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病気になると感受性は鋭くなるのでしょうか?
ボランティアとして、障害や病に苦しまれている方のお世話をしていらっしゃる方にお話を伺うと、障害や病に苦しまれている方は、私たちが日々の生活に追われ、見落としてしまう事柄を見る(感じる)ことができ、私たちはそのような方々と接することで、逆に、生きる力(生きるということに対する感受性)のようなものを分けてもらえる(そういうことに気づくチャンスをもらえる)のだ、とおっしゃっていました。 なんとなくそうだろうなと思うのですが、みなさんどうお考えでしょうか? また、これは、どうしてなのだと思われますか?心理学・精神医学の範囲でなにかある一定の理解のされかたなどがあるのでしょうか? 漠然とした質問ですが、よろしくお願いします。
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お礼
「『いま』という別の現実」によって現実にがんじがらめになっている時間とは違う「『いま』このひとときをあるがまま」受け入れ、『いま』を相対化して、つまり、現実を相対化して受け止めれるようになる、との意味なのかなと思いました。 春になりましたね。散歩(ジョギング)してみました。私の近所では梅が満開です。あふれ出る生が私の現実には無関心に、いえ、私のかたくなな現実を突き崩してくれるようです。littlekissさんがおっしゃっているように、「『いま』という別の現実」を受け入れることが、私のなかにある生命力のようなものの呼び水になっているのかもしれないなと思いました。(もしlittlekissさんが北国に住まわれていたらごめんなさい。私も北海道に住んでいたことがあって、そのときは、テレビなどで(したがって関東地方で)春!春!と騒いでいると、むっとしていました。いまはのんきに春だなぁと同感してしまいます。) いろいろ、ご意見やアドバイスをいただきどうもありがとうございます。