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宮城谷昌光の中国歴史小説の良さを教えてください。
以下については批判的な内容もあり誤解が生じるかも知れませんが敢えて質問させていただきました。 お答えいただけると幸いです。 宮城谷昌光先生の中国歴史小説を読みながら長年抱え続けている疑問があります。 私は中国史の研究をしていることもあり、 多くの作品について興味深く拝読させていただきましたが なぜ宮城谷先生一連の作品が一般に高く評価されるのかが分からないのです。 というのは、古代史は特殊な要素が多く、 あの内容を一般の人が咀嚼できるとはとても思えないのです。 実際、研究者でも背景などをすぐに把握できないような時代を作品の舞台にされています。 よく、政治家などの偉い人が宮城谷先生の作品を引用したりしているのを耳にするのですが、 聞いていて本の内容と思い合わせて自分の教養に箔を付けるために読んだといっているだけなのではと思ってしまうのです。 作品では題材はとても興味深いものを取り上げていると思いますし、 執筆にあたって相当勉強されているとは感じるのですが、 原典を読み比べると、ほとんどが歴史書に書いてあることをそのまま蘊蓄として書いてあるだけで、 こんな抜き書きを読むくらいなら原典などを読んだ方が よっぽど早いし面白いのでは、と感じてしまいます。 小説としてキモとなる創作部分についてもキャラクターが傍観者的で魅力が今ひとつ、 物語にも起伏や抑揚が薄く、面白みが感じられません。 司馬遼太郎から是非会いたいと評価されたという逸話についても 宮城谷先生をポスト司馬遼太郎のような存在として押し出したい、本を売りたい、という 出版社の思惑から創作されたのではないか、とも勘ぐってしまう自分がいます。 しかし、宮城谷先生の作品は書店でもかなり売れているそうなので、 作品のどんな点を魅力と感じているのかファンの方から教えていただければと思い質問しました。 常々疑問に思っていたことを端的に書かせていただきましたので 以上の質問でお気を悪くされてしまったら申し訳なく思います。 宮城谷先生に対して悪意はありません。 何とぞよろしくお願い申し上げます。
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- hakoiri_quota
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こんばんは。 あんまり詳しくないですがただの中国小説好きの30代男です。 自分は宮城谷先生のファンと言うよりは、面白ければ何でもいいというタイプの人間です。 その立場からお答えさせていただきますと、宮城谷先生の小説は中国を舞台にしていながら、いわゆるチャンバラのシーンや恋愛のシーンが少ないような気がします。 ただそこに出てくる主人公および選ぶ題材はストイックな職人と言ったような人間像が描かれているように思えます。 乱暴に言うならいわゆる「職人気質でいい人」(またはいい人に仕立て上げられた人)が自分の信念を全うして世に出る物語ガ多いような気がします。 中国小説を読みながら、日本の武士道の精神を感じるように思えます。 それはほとんど多くの日本の作家の書く中国小説の底にあるような気がします。 武侠・任侠を日本的な味付けで解釈しているように感じます。 それは司馬遼太郎先生の書く小説でも感じられますし、津本陽先生でもあると思いますし、北方謙三先生の小説なんてもっと武士道的な美学と人間的な感情を追求しているように感じます。 個人的にはそれらの解釈も好きです。 中国の金庸先生や梁羽生先生の書く武侠小説を始めて読んだときは、底に中国的な思想や感覚・文化を感じました。 (世の中にこんなにスピード感とスケールがあるのに今まで知らなかった面白い小説があるのか、と思いました。) それを読んで宮城谷先生や北方先生の小説を読むとやはり和風のテイストを感じざるを得ません。(しょうゆ味?) けれどそこに武侠小説とは違う、キラリとさりげなく光る武士道の美学を、作者が気に入っているであろう職人のような登場人物(主人公とは限らない)に感じて、悦に入ったりするのです。 分かりにくい例えですが、すし屋で、思いがけず新鮮な美味しいホタルイカの刺身に美味しさを感じるようなものですかね。 自分は文章を書く気持ちも読む気持ちも生ものだと思っていますから、思いがけず美味しさを感じたら、それは良いものだと思います。