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「労働の目的は収入を得るため」は、間違いでしょうか。

「働き方の多様性」の次は「働くことの目的はいきがい」などと、障害者に対するようなことが、社会人の義務として、働くしかない人間に対しても、語られています。 「労働の目的は収入を得るため」、「仕事の価値は報酬で評価されている」は、間違いでしょうか。 「お願いします」や「ありがとう」だけで仕事をするためには、生計を依存できる安定した収入や資産が他に確保されていることが前提条件だと思います。 それは、一般の労働への従事に対してあてはまるものではない、と思うのは、私のような卑しい人間だけでしょうか。 私は、対面でのサービスの提供に対して、料金を支払う際には、「ありがとう」とか「頑張って」とかいつでも適当に声をかけてはいますが、「お代はいりません」などとは、言われたことがございません。 彼らがお金を受け取ってこそ、「ありがとうございました」の言葉を聞くことができます。

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  • ciscis430
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回答No.1

まちがいではありません。 日本でも労働者が受け取る正当な報酬についてもっと議論がなされるべきですね。

noname#82615
質問者

お礼

ありがとうございます。 まず、一般(あるいは一般以下)の労働者は公僕(それとも奴隷)ではないということを理解して欲しいです。

noname#82615
質問者

補足

私は子供の頃から潜在的に被差別者意識を持つ、或いはコンプレックスを抱いている人々からよく吠えられています。なぜこのような表現になるかというと、彼らは権力者などの上位者には決して吠えないからです。私は自分の身を守るために、それを「噛みつかれた」と報告することもありました。 大人になってからも、私はよく1人で散歩をしていますので、公園などで見知らぬ人から話しかけられることが少なくなかったです。一般の人々にとってそれは日常的なことですが、私にとってはそれが非日常的であるのは、彼らは日雇い労働者あるいは生活保護受給者、ときとして自衛隊員や共産党員であったりしたからです。 私の顔を見て安心したかのように話し始める彼らに対して、私は不愉快であり嫌悪感さえ感じていましたが、1時間でも、2時間でも、彼らが立ち去るまで話を聞いていました。 なぜここにこのような話を記述しているかといえば、何を書きこめばよいのかわからなかったからです。 仕事のできる医者などは「医者は自腹では治療しない」などとテレビで笑いながら話すことも、「年収2000万円でないのなら働いていられない」などと市民病院を退職したりしています。 なぜ医者の話になるかというと、一般的な職種としては、もっとも高い教育を受けているからです。 病院で散歩はしませんが、風邪で4週間の入院をしたときに目に付いた事務職や販売職以外の職種といえば、医者、看護婦、看護助手、調理員、ベッドメイク係、トイレ掃除係などで、化学的に一番きれいな仕事は調理員、物理的に一番楽な仕事は医者ではないかと思います。 私は医者や看護婦に対しては、挨拶をして敬意や感謝を示しましたが、他の職種の方々とはなるべく近づかないように、サービスの提供を受けるときでも、目が合わないように注意していました。それは、私が6人部屋に入院しているあまり金にはならない客だったからです。緊急での入院は、最初は断られました。2回目の外来で認めてしまった担当医は「あんな客でベッドを埋めて」などと経営者から叱責されていました。 私はそのとき週42時間+月10時間の早出のパートタイムに勤務していましたが、健康保険は社会保険の被扶養者でした。 パート労働者に与えられている世界は、職場を離れても、高額所得者に与えられている世界とは異なるものです。割り勘感覚は理不尽です。 高額所得者は、自宅に帰って、玄関に水道料金の明細書が落ちていても、それを拾って悩むことはないでしょう。それが1万円でも2万円でも、高額所得者にとっては同じことなのではないでしょうか。 低所得者にとっては、それが1万円であるか2万円であるかは、かなり違います。毎月いくら引き落とされているかなど知らない、とう状態はありえません。

その他の回答 (2)

  • 11501150
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.3

>まあ、所詮、負け犬のたわごとですから、回答をいただけだけでも光栄に思わねば罰当たりであるというのが、一般の意見でしょうね。とても参考になりました。 あんたが大変なのはよーくわかったけど、 そんな風に卑屈になっていると碌な事は無いよ。 今まで頑張って頑張って、それでも報われないってのは非常に良く判った。 俺になんぞ全く想像もつかん。 というか、できればそんな体験はしたくない。 でも、そんだけ歯を食いしばって頑張った人間の成れの果てがこれ? 何?その卑屈さは。 もっと、自分の頑張りに誇りを持てば? 甘ったれた俺のような人間にすら卑屈になっているようでは、 一生底辺のままでしょ。 もっと自分のしてきたことにプライドを持てよ。 なんかイライラする。

noname#82615
質問者

お礼

それが、社会の秩序、とまではいいませんが、経済社会の基準であると思ってください。私はこの3年間だけで、企業の直接採用の求人だけでも50回ぐらい、面接の機会だけはえることができました。求職者の義務として、人材派遣会社の登録にも何度も足を運んでいます。 過去を反省して、仕事を選んでいますから、この3年間は、年中休み、とまではいいませんが、単発の短期の仕事を、たまにしているだけです。 現状維持が精一杯ですが、私の未来が絶望的になる他者の評価を、私は許容することができません。 私は、自分では完璧なナルシストであると自負しています。私の行動は、私の中ですべて正当化されます。 私には仕事も配偶者もないので、この世で一番不幸な人生である。これが間違いであることは、誰にでも反証できますが、私には仕事も配偶者もないので、社会の誰もが隠蔽しているある種の絶望を共有していない。それは、疎外される原因にもなりますが、無菌室にいる、と自分の立場を有利に表現することが可能なのです。 この質問の意図は、確かに、私が今のところ普通には働いていないということを正当化するためのもです。私は「お金にならない」という理由で仕事を選んでいます。それが労働である以上、その理由が不当になる原因が、私に限って生涯継続する、などということは、たとえ学歴社会が絶対的なものであったとしても、上位の判断基準が、人間社会には存在するべきではないか、という私の正論を展開するためのものでした。 それは、上位の判断基準が、現実的に、資本主義社会として存在しているので、不毛の論理ではございますが、他になぐさめるもののない者のことですので、寛容に考えてやってください。 ご回答ありがとうございました。ご親切に感謝いたします。

  • jpstyle
  • ベストアンサー率18% (99/546)
回答No.2

間違いではありません。私は好きな仕事を自由にしているほうですが、 そうでない人間もいます。専門職にはとても色濃くでますね。 正確には「労働の目的は収入を得るため」をはじめとして、労働の目的が複数考えられ、各自どの理由を(複数同時かもしれないが)もっているか、ということです。 >らがお金を受け取ってこそ、「ありがとうございました」の言葉を聞くことができます。 サービス提供だから当たり前です。世間と母親は違いますので、奉仕を経済システムと社会における「役割」を混同してはいけません。 本当はサービスでは言わなくても結構なのです。 現に役割とは関係なく、個人的に勝手にすることに関しては、お金を受け取らなくても「ありがとう」と言います。 逆に、べつにお金を受け取っても「ありがとう」と言わないのもまた道理です。殺し屋に仕事頼んで、お金の受け渡しの時に無言、なんてのはどうでしょうか?

noname#82615
質問者

お礼

好きな仕事を職業にしている人は、優秀な方ばかりであると認識しています。ご回答いただいて光栄です。 プロフェッショナルが完璧な仕事をしている場合、付加価値としての営業トークも必要とはしないでしょう。 私にとっては、どちらかといえば、仕事とは、やりたくないことの総称でした。 長期的なビジョンで、経済的に採算が取れない仕事であることがはっきりすれば、その仕事を継続する理由はなくなるわけです。 それが、誰かが必ずやらなければならない仕事ではあっても、一般社会人の仕事としては、前提条件として、その仕事は不適当である、ということです。

noname#82615
質問者

補足

その経済システムにおいて、たくさんの利益を得ている人が、その現状維持のために、たくさんの経費を負担することに、何か問題があるとは思えません。その社会において、低所得者は納めている税金が少ないのだから、法で定められている権利でさえ認められなくもよい、というのは正しいでしょうか。 税金が少ないということは、利益が少ないということです。月額10万円程度の給与所得は年間を通して働くことができても、課税所得はゼロになります。低所得者は、税金や保険に関して無知ではございません。それは、自分で納付しているからです。そして、その金額が10万円であるのか20万円になるのかで、生活はかなりの影響を受けるからです。 残虐な殺人犯は人道主義で矯正しても、従順な貧乏人はお客ではないから殺してしまえ、などという社会では「テロリストに一票」といいたくなります。 私は現在は就業していませんが、過去にはたくさんのアルバイトを経験しました。多くは、会社での呼称を短期のアルバイトとする、給料が日払いではない時間給制の日雇い労働です。私の特技は「初めから手抜きすること」でした。それは、「その仕事を長くやっているように見せること」です。経験者の場合、採用の担当者からは無視されても、給料だけは確実に支払ってもらえます。未経験者可能の仕事で、「初めから頑張らなくてもいいですから」などという担当者の言葉を真に受ければ、「普通にはできなかったでしょう」などと給料を支払ってもらえなかったり、「簡単だけれど最も疲れる仕事」に回されたりするからです。この場合、「あてがはずれた」担当者は、それを隠すことなどはできませんが、すれ違えば会釈されることになります。大事なことは、それを貫き通すことでした。「実は初めてなんです」などと打ち明ければ、その仕事をそこで長くやっているパートの人達などの機嫌を損ねることになります。彼女らもあてがはずれたことにかわりはありませんが、私が自分たちの同類である以上は親切でした。それに、できることであれば、あくどいことには参加したくない人のほうが多いものです。 さて、この話の結論は、このような幸運な経験ばかりを持っていない人は、犯罪によって生計を立てる道を選択することを躊躇しないでしょう、ということです。それは、このシステムは、安心して商売ができる、安全な社会に支えられているものではなくなるということです。 今は、中流社会の人でも、すましていられる立場ではないと思うのです。政治の行く末をおもしろがっている場合じゃないと思います。「下層へのさらなる締めつけ」だけでは間に合いません。中流社会の人は、考え方を改めなければ、次は自分たちの番です。それとも、現代社会の倫理観などは捨ててしまいますか。太平洋戦争に負けたときのように。 文章をつくることは、それを職業にしていない者、特に低学歴者にとっては、大変なことなので、寛大な気持ちで、誠実な回答をお願いします。

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