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なぜ交通制度はイギリスを手本としたの?
明治維新以降日本は社会政治制度の多くをプロシア/ドイツから学び手本としました。しかしなぜ交通制度のひとつ、車の左側通行はイギリスを手本としたのですか?理由を教えてください。また、左側通行以外にイギリスを手本とした規則を教えてください。
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日本は元々「左側通行」だったんです。 イギリスの真似して「左側通行」にしたんじゃないんです。 すでに江戸時代には人々は「左側通行」するようにしていたそうです。 何故か?それは「侍」の「刀」に理由があります。 「刀」を左に差し「侍」同士が「道」の「右側」を歩いたとします。 すれ違う時に「刀の鞘(さや)」がぶつかり合う可能性があるでしょ? 「鞘」と「鞘」がぶつかると「喧嘩刃傷沙汰」になってしまいます。 何しろ「刀」は「侍の魂」ですから。。。 (現在ではわけわかんない理屈ですけどねw) 誰しも「喧嘩刃傷沙汰」はしたくないですよね? だったら「お互い道の左側」を歩けば「鞘」同士がぶつからないですよね?無用な「トラブル」を避けられる。 そんで「人」は道の左側を歩くようになったそうです。 「馬上」でも同じ。。。 んで「馬」も左。。。 気がつけば「馬車」も左側を通行。。。 車が入って来た時も自然と「馬車」と同じように「左側]を通行。。。 交通規則を作ろうとした時には、すでに「馬車」も「車」も左側通行。。。 で、イギリスが同じ状況だったので「えげれすの真似しちゃえ」ってなったんだそうです。 そして、付け加えるなら、伝聞でしかないのですが、その他の理由として「イギリスは紳士の国」だからだそうです。 「ドイツは哲学の国」「イタリアは芸術の国」「フランスは芸能の国」っていうイメージが明治維新の頃にはあったようです。 「交通は紳士でなければならんだろう」って考えだったみたいですよ。 (これは現在にも通じますね) 「何で、えげれすの真似すんのよ!?」 「だって、左側通行同じだし、えげれすは紳士の国じゃんか!」 「あ、そっか、紳士の国ならマネしてもいいんじゃね?」 って会話があったかどうかは定かではありませんが「同じ左側通行&紳士の国」ってのが根底にあるらしいです。 明治維新当時「一国で回りが海の日本」と同じ状況だったのがイギリスであったからって部分もあるでしょうね。 (旧日本海軍もイギリスを手本にしてます。) 日本もイギリスの真似してれば、現在において、、、ってこれ以上は議論になってしまいますので止めておきます。 確たる「証拠」も「根拠」も「記録」もありませんが、私の聞いたところではこんな状況からだそうです。 詳しく調べれば、なんらかの「記録」はあるかもしれませんね。
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- papepo_08
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wikipedia「対面交通」沿革 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E5%81%B4%E9%80%9A%E8%A1%8C 「説がいっぱいあってよくわからん」っていうのが真相みたいですよ。w
- santana-3
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日本が左側通行になったのはイギリスを手本としたわけでは無く、刀を差した武士がすれ違う時に刀同士がぶつからない様に、左側通行になったと言う説が有力です。 ではイギリスが左側通行になったのはなぜか、と言うと鉄道の切り替えポイント通過の際の目印受け渡しに起源があると言う説があります。