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自分がどん底の時、話しを聞いてもらいたいと思えないのは、心で信頼してないからなのか?
とても大きな壁にぶつかってしまった時や、どん底の時、自分から誰かの助けが欲しいと思っているのに、その話を聞いてもらいたいと思う人が周りに誰もいなかったとしたら、自分の方が心の奥で周囲の人を信頼していなかったということなのでしょうか。 周りの人はおそらくしっかり耳を傾けてくれるだろうと予想できるのに、自分が話すのを躊躇する場合です。 抽象的な表現ですが、どのように思いますか?
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30代男性です。こんばんは。 信頼していないってことでなく、心の奥底を見せたり、 心の琴線や涙腺のようなものを人に見せたくない、っていうことだと思います。 人間は動物と違って理性や羞恥心を持っているので、 動物のようにあるがままの心で行動できないこともある、 人間とはそれだけで重いというか、不便なものですね。 周りの人はおそらくしっかり耳を傾けてくれるだろうと予想できるのに というところで、立派に信頼はされてると思います。 私も、同じように思うこと、多々ありますよ。 特に、顔を知られている相手なら尚更ですね。 羞恥心(この躊躇が、羞恥心の一種と呼べるなら)が絡むのはここだと思っています。 躊躇は羞恥心であって、信頼とはまた別なのでしょうね。 例えばtara15さんのことでなく、私や色々な人も含め、一般論として ネットでコアな悩みをまったく信頼関係もない第三者に問える行動も、 匿名性ありきという点に集約されるといって良いと思っています。 顔が伏されているので羞恥心に関りなく本音を吐露でき しかも私生活に関与しないので、上記のことにも整合性が生まれますね。 私もその辺の機微に苦しむことは時々あります。
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- dai-ym
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自分の見栄が邪魔をしている人も居るでしょう。 どん底に居るために自分の予測を信用できなくなっている場合もあるでしょう。 少なくとも相手を信用していないのならしっかり耳をかたむけてくれるだろうという予測ができなくなります。
お礼
>どん底に居るために自分の予測を信用できなくなっている場合もあるでしょう。 自分が悪い状態なので、親しい人や周囲との距離をとても感じるというような、これまでの人間関係に不安を抱いたのは、一時的なことかもしれません。 ありがとうございます。
自分が話を聞いてもらいたいと思えない程 どん底にいるのではないでしょうか? 私もあまり他人に自分の心の話はしません。 ドラマや、生活上の軽い話はしますけれどね。 他人に話して解決するわけでもありませんし、 それよりも、その問題を整理して、どうしたらいいかを 考え、解決するために関係している人に相談という形で 交渉する。という 感じです。 話を聞いてもらったからといってその問題が解決する わけではありませんから、気持ちが少し軽くなるか どうか、位ではないでしょうか? こういう考えをしていますが、 周りの人は大切ですし、信頼もしています。 ただ、問題が起きたときには第三者に話しても 仕方が無いと思っています。
お礼
自分にとっての問題が少しでも軽くなった時、 時間がたてば、また違ったように思えるようになるような気がしました。 ありがとうございました。
- kanburu
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個人的な経験では自分自身がどん底の時はそれを伝える表現をもっていませんでした。 それくらいどん底という事ですね。 と言うことは相手に自分のどん底が伝えることが出来ならば、まだどん底ではなく真のどん底はこれからであると言うことです。 他人には「見たくも無い闇」を見せる必要も無いと思います。
お礼
誰かに聞いてもらいたいという発想自体、まだまだ余裕なのかもしれません。 そう考えることもできます。 ありがとうございました。
- buster0824
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私もそんな感じです。ちっちゃいことは言えますが大きな悩みごとはいえません。 だから、自分に結構大きな話題を相談してくる人はすごいなぁと思います。 自分の中では言っても最終的に解決しなきゃいけないのは自分だとわかってるから言えないんだろうな。と勝手に解釈してます。
お礼
ご回答、ありがとうございます。 最終的に解決できるのは、自分だけ、その通りなんです。 私が、弱いだけかもしれません。とても、一人を感じてしまいました。
- monchi17
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自分の抱えている問題があまりにも大きい場合は人に話すのをためらいます。それは自然なことなんです。 例えば、レストランで接客が悪い、財布を落とした、友人と口論になったなど日常的にいろんな人々が抱えそうな問題は、人間って相談や愚痴がいえるものなんです。 自分がどん底のときほど1人で淡々と頭の中で整理しようとするほうの力が強いはずです。 人間の脳は受け取る情報はたくさんできるけど、出す方法は限られているのです。出すには練習が必要です。 なので、今のどん底の問題は過去にも沢山あったことなのでしょうか
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃるとおり、その問題は、自分にとっては大きい部類です。 私自身が本当に困った時になって、周囲と良い関係を築いていたのだろうかと、自分が周囲には良い顔をしながら自分にも周囲にも不本意な付き合いを続けてきたのだろうかと思い、質問に至りました。 >今のどん底の問題は過去にも沢山あったことなのでしょうか ずっと積み重なってきたものが、限界にきたという感じです。例えば何か嫌なことがあっても、周囲の人の前で明るく振舞うことで頑張ってこれたのですが、自分でどうにもできない状態です。
お礼
夜分遅くに、ありがとうございました。 本当に、不思議ですよね、顔を合わせる相手だから言えないのか…。 合わせないから言えるのか。 自分が心の奥底にある、今は抱えきれない問題を話すことで、今まで築き上げてきた自分が壊れてしまわないか、確かに羞恥心もあります。 話すことで、その事柄についてとても心配されると、気が引ける気もしますし、でも、一人で考えていても自分が崩れそうなんですね。 自分勝手なんですが。 信頼関係とは別なような気がします。 少し、頭が整理できました。不思議ですね。 ありがとうございました。