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仏壇は絶対に必要?
先日ひとり暮しの私の母が亡くなり,実家は半年後に解体予定です。 夫とふたり暮しの狭いアパートに位牌を持ってきてありますが、仏壇を購入しなければいけないのかどうか・・・迷っています。 夫の家系は神道,私の実家は曹洞宗ですが,夫は、もともとが神仏混交の国だったんだから、しゃれた木製の小さなラックに夫の両親と私の両親両方並べて大事に守っていけばそれで良いのではないかと言います。 コンパクトな仏壇もありますが,私たち2人共形式にこだわらない性格なので「仏壇」という形にしなくても亡き父母たちの霊を私達なりのやり方で守っていけばそれで十分供養する事になるのではないかと私も夫と同じ考えです。 ですが、色々ネットで調べると「仏壇は仏様の家」とのこと。 仏壇がないと仏様は守れないのでしょうか。 皆様のご意見をお聞かせ下さい。 なお、実家にある仏壇は大きくて狭いアパートに置けません。 ご本尊(?)は、実家で仏壇を買い替えた時に「良い仏像だから燃やしてしまうのは忍びない」との和尚様の言葉で私が貰ってきた小さい仏像があります。
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>夫の両親と私の両親両方並べて大事に守っていけばそれで良いのではないかと言います。 >亡き父母たちの霊を私達なりのやり方で守っていけばそれで十分供養する事になるのではないかと私も夫と同じ考えです。 まさにそのとおりですね。形式をおろそかにしていいとは思いませんが、形式だけを整えて心がこもらない行いより、(事情が許さずに)形式が整わずとも心のこもった行いの方がその数百倍数千倍も素晴らしいと思います。仏具屋さん、お坊さんの宣伝(?)にだまされてはいけません(笑)。モノが先にあるのではありません。心が先にあるのです。私たちは仏壇を通してその向こうにある先祖の霊に合掌しているのであって、仏壇そのものに合掌しているわけではありませんものね。tiitanさんご夫婦にご両親を供養しようというお気持ちがある。それがすべてで、それだけがすべてです。 >仏壇がないと仏様は守れないのでしょうか。 仏様を守るのは「仏壇」ではなく、供養する立場にある人たちの「心」でしょうね。どうぞ『仏壇を購入しなければいけないのかどうか・・・迷っています』という迷いをお解きになりますように。
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- jinko935
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こんにちは。m(__)m tiitanさんのその優しいお気持ちに勝る供養はないと思いますよ。 きっと亡きお母様もtiitanさんの決めた事に賛成されると思いますが・・・ ですから、お仏壇が必ずしもなくてはいけないという考えには 私もちょっと疑問です。 ようは、ご先祖様を大切に想う心が大切ではないかと思います。 亡くなった方は、自分の可愛い子供が決めた事にお怒りになるわけがありませんから・・ (よっぽど理不尽なことは別でしょうが(^_^;)) きっとお優しいtiitanのことをいつも見守ってくれていますよ。 tiitanさんのこの発言を読んで、私も優しい気持ちになれました。(^^ゞ いつまでもそのお心を大切にしてくださいね。m(__)m ちゃんとした回答になってなくてごめんなさい。m(__)m
お礼
暖かい回答、ありがとうございます。 その様に言っていただいて本当に嬉しく思います。 父も母も亡くなるというのは中年に成ってからでも辛いものがあります・・・ 何もしてやれなかったと言う後悔ばかりで・・ せめて、今の自分に出来る精一杯の供養をしていくつもりです。
- Don55
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仏壇屋です。 しゃれた木製の小さなラックにご両親のお位牌を並べられているとのこと それも立派な「仏壇」です。 ご実家から貰ってきたという仏像を中心にお奉りなさるといいでしょう。
お礼
専門の方からそう言って頂いて、心強いです。 有難う御座いました!!
- masatoshi-m
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tiitanさんは宗教、宗派を選択しようというのじゃありませんよね? ただ純粋なお気持ちからご両親のお弔い、供養をなさりたいのですよね。宗教、宗派にこだわるのならそれぞれの宗教宗派に教義上の何らかの決まりがあるのでしょうからそれに従われるのが一番スムーズに事が運ぶと思いますが、そういうものにこだわらないで済むお立場なのであれば、やはり「モノ」は要りません。いえ、条件が整うならばお揃えになってもいいのです。でもどうしてもそれが不可能だということなら、どうしてモノにこだわる必要があるでしょう。仏教形式だけが死者を弔えるのではありません。 因みに私の家は仏壇があります。昔からあったものですし、それをわざわざ取り除く気はさらさらないし、仏壇の前に坐って手も合わせます。しかし、だからと言って、「全ての家に仏壇がなければならない」とは思わない。置ける条件が整わない家庭もあるだろうし、「偶像崇拝につながるから」と嫌がる人もいるでしょう。また、仏教を含め、あらゆる宗教に無頓着、無関心の立場の人たちもいるだろうからです。 tiitanさんのところは昔から何か宗教的な約束事に従わなければならないご家庭でしょうか。或いはご両親はご自分たちが亡くなったあとの弔いに何か特にこうしてほしい、ああしてほしいというご希望があったでしょうか。もしあったのなら、その遺言に従われるのがいいかもしれません。亡き人のご意思を尊重したいですものね。でも、特にそういうものはないというのであれば、すべて tiitanさんご夫婦の気の澄む方法でご慰霊なさって構いません。 「バチが当たりはしないか」? 当たりませんよ、罰なんて(笑)。ご先祖様も亡きご両親も、そして仏様も、金輪際罰を当てるなんてことはなさいません。「じゃあ、心安らかに成仏できるだろうか」? 当たり前じゃないですか。tiitanさんのようなお優しいお気持ちを持った子供さんから弔ってもらえるのですから、こんなに嬉しいことはありません。あの世で最高の笑みを浮かべてらっしゃいますよ。そしてtiitanさんご夫婦をしっかりお守りしてくださると思います。tiitanさんの心の中にこそ最高最上の仏壇が配置されています。 勿論、先々、条件が整った段階で「形」を整えられるのは大いに結構なことです。私のような不信心な輩でも、家に仏壇があるというだけで何だか殊勝な心がけを持った人間のような安心感を覚えられるから不思議なもんです(笑)。 >自分たちの考え方が間違っていないと確信して供養していこうと思います。 どうか揺るぎのない信念とご先祖様、ご両親への愛情を持ってご供養していかれますよう・・・
お礼
再度の回答、有難う御座います。 No.#5の方の回答にかなり動揺してしまい返信が遅れてしまいました、申し訳ありません。 仏教徒の子供が必ず仏教徒になるわけではないと思いますが、父母が信仰していたことを考えると、やはり仏壇と言うものが必要になるのではないのか・・ そう考えて相談させていただいたのですが、今の段階で出来る最良の供養を心がけていこうと思います。 本当に有難う御座いました。
- amida3
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残った自分たちが自己流にやって満足すればよい。気持ちの問題だ!というご意見がありますが、それはまさに自己満足で、亡き人のためではなく、自分の都合のための勝手な理屈ではないでしょうか? 亡き人のためなら、亡き人の都合に合わせるべきです。 もし、亡き人のために仏壇が必要な宗派なら、小さくてもそろえるべきでしょう。 それを自分の都合で、亡き人に不都合でも気持ちの問題でこれでよいとと自分で自分に言い聞かせて納得しているだけのように思います。 なお、お仏壇は家庭内におけるようにしたミニチュアのお寺の本堂です。 その点非常に誤解が多いです。 仏教徒なら毎日お寺に詣でてお参りをするのが当然なのですが、それが出来れば良いのですが、それも出来ませんので、家の中にお寺の本堂と同じ空間を作るのです。ですから、お寺の本堂をそのまま、飾付けも仏具もミニチュアにして、お寺の本堂と同じになります。これが仏壇です。したがって、仏壇のあるじは、ご本尊さまであって亡き人ではありません。 お寺の本堂と仏壇は、大きさこそことなりますが、宗教的意味合いからは同じもの なのです。 その、ミニチュアのお寺の本堂である仏壇に、亡き人がいれば、ご本尊のおそば近くに、その仏弟子としての名前(戒名や法名)を奉じさせていただくだけです。したがって、作法も、お寺の本堂での作法と同一でもあります。 3人の子供があれば、それぞれの家庭にある仏壇に両親や先祖の名前を安置します(長男だけとかということはありません。長男だけに親がいるのではありませんので長男、次男、三男それぞれの家にそれぞれ仏壇を安置します)。 お寺の本堂と仏壇は、大きさこそことなりますが、宗教的意味合いからは同じもの ですから、最低限守らなければならない教義上の決まりもあります。 なお宗派ですが、仏法は、お釈迦さまがその人に合わせて説いています。ちょうど医者が薬を出すようにです。 腹痛の人に風邪薬では役に立ちません。それぞれ相手に合わせています。したがってどれも(その宗派も)正しいのですが、自分に合っているかは別物です。自分に合うのはコレだと言うのが「宗教の選択」です。 宗教は、厳しいほど「選択」の実践でもあります。 山に登るのでも徒歩がよい人、乗合バスがよい人、マイカーが良い人、ケーブル カーが良い人といるわけです。「どうやって登れば」という質問にどれを答えても間違いではありませんが、本人(自分)にとってどれがよいかは別なのであります。 同じ目的地に行くにも道は多数あります。急いで行きたい人に、バス路線でなく徒歩の道を教えてもね。運転免許の無い人に高速道路を教えても意味ありません。 そのような選択が宗教であります。 その上で、自分の都合を通すか、亡き人のために亡き人の都合にあわすかをご自身で考えてください。 合掌
お礼
お返事をお待ちしておりましたが、頂けないようですのでこの相談を終了させていただきます。
補足
>亡き人のためなら、亡き人の都合に合わせるべきです。 亡き人の都合とは一体なんなのでしょう。 亡父は私の知っているだけでもキリスト教、天理教と宗教を変えました。 その父は幼い頃から子供たちに、宗教にはこだわる事はないとよく言っていました。 その影響を強く受け、私は無宗教、という言い方でおかしければ宗教に対するかすかな不信感を持っています。 でも仏教の信仰心を持たずとも仏教徒であった両親祖父母を思い、遺骨の前にお線香を焚き蝋燭に火をともしています。 これが今の私達夫婦に出来る精一杯の事です。 確かに仏壇仏具をととのえ、きちんと納められればそれに越した事はないのでしょう。 ですが母が入院生活をはじめてから5年、東北と東京の何度もの往復、葬式、法要・・・お金は羽根が生えた様に何処かへ飛んでいき家計は火の車です。 借金をして買った仏壇に入って、本当に両親は喜んでくれるのでしょうか。 仏教とは、そういう残されたものの犠牲もやむを得ないとする宗教なのでしょうか。
故人を供養するとは、故人を思いやることと同時に残された人の安心感・満足感だと思います。 お寺や仏壇等はその為の用具です。 自分が最も安心でき、満足できる方法が最善の事だと思います。
お礼
おやさしい解答、ありがたく拝見致しました。 今の気持ちをこのまま持ち続けていく事が大事。 その様に考え供養していこうと思います。 本当にありがとうございました。
- akubihime212
- ベストアンサー率30% (866/2882)
#1の方と、全く同じです。 経験豊富なおじんですが、仏壇がないと仏様は守れないのでしょうか?ってことはありません。もちろん、あるに越した事はないですが・・気持ちがあれば十分でしょう。立派な仏壇と位牌があっても、全くお線香もあげず、掃除もしないよりは、ご先祖様も今の気持ちがあれば十分成仏されるはずです。 いまは、このままで我慢して、将来大きな家に住むことが出来たり、仏壇を構えてあげれる環境になったときには、チャンと買って、立派にしてあげましょう。 ご先祖様も、今の事情は、十分にわかってくれていますよ。
お礼
皆様の暖かい回答に涙が出てしまいました。 形式より心・・・ 本当におっしゃる通りですね。 自分たちの考え方が間違っていないと確信して供養していこうと思います。 ありがとうございました。
- vanyatan
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ご先祖をご供養したり、敬うということは、残された方々の気持ちです。 その気持ちに「形式」など全く必要ありません。 ご位牌があるのですら、それで十分です。その横にお線香を焚いて差し上げれば宜しいでしょう。ご主人がおっしゃられるように、貴方のお宅のやり方で良いでしょう。冒頭に申し上げましたが、大事なのはそういう「敬虔な」気持ちです。 但し、例えば法要をご自宅で行うという時に、来られた和尚様に何か言われるかもしれませんが、別に法要はそのお寺でなされば宜しいのですし、お盆も和尚様に来ていただかなくても大丈夫です。
お礼
回答ありがとうございます。 私達の考え方が間違いではない事、嬉しい限りです。 ご先祖を敬い、供養する心を何時までも持ち続けていこうと思います。 本当にありがとうございました。 なお、法要は新盆一周忌までは実家で行い、その後は旦那寺にお願いする事で親戚の方たちにも了解を得ております。 皆様の回答を読んでいて、やさしいお心遣いに涙が出てきました。 嬉し涙です。 本当に本当にありがとうございました。
お礼
>仏壇を合掌しているのではない・・ 本当にそうですね。 形式にとらわれずに今の気持ちのまま供養をして行こうと思います。 本当は仏教関係の方からお叱りの回答が来るのでは・・と案じておりましたが、皆様のやさしいお言葉に励まされ迷いが吹っ切れました。 ありがとうございました。