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1954年製作の「ゴジラ」の中で、、、
ゴジラの帝都上陸を防ぐ為に、防衛隊が高圧電流の鉄塔を建築するシーンで、M24チャーフィ軽戦車が鉄橋のような場所を進軍して行く場面が有りますが、私はあの鉄橋は作画合成したものだと言ったらゴジラファンの友人は、何をバカなことを、、、あれは鉄橋を戦車が単に渡っているだけのもので合成にする必要性がないと猛反撃してきたのですが、私が思うに撮影の規制が生じて、指定場所での撮影が許されず、仕方なく当時の防衛庁の敷地内で撮影した戦車に鉄橋の作画を合成したものなのだと推測したのですが、これは私と友人のどちらが正しいのでしょうか? 詳しく御存じの方がおられましたら、ぜひ納得のいく回答をお願い致します。
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当時のほうが、自衛隊は映画に対してはるかにオープンな組織でした。また、規制などもゆるやかなもので、ラドンでの福岡市内自衛隊行進、地球防衛軍のモゲラ出現シーンでの実演(トラック縦列から兵士がワラワラおりてきて展開するシーンや、機関銃や迫撃砲を空砲であれ撃つ、火炎放射器の至近距離撮影)などは、その後見られなくなります。海底軍艦くらいまでは、回収するならクルマを港から海に突っ込ませる事などもできました(仲代達也のやった最初の野獣死すべし、でもクルマを海に捨てるシーンあり)。 で、本題ですが、当時の合成技術ならDVDで見ればわかると思います。私は、実際に走ったに1票です。
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- kaori7774
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そうだったのですか… 勉強になりました。<(_ _)>
- kaori7774
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最新作でさえ、ミサイル発射シーンでは模型を使っているのですから あの当時なら全てミニチュアの模型と考えるのが自然では無いでしょうか 自衛隊が映画に協力したのは野生の証明以降だと記憶しています。 あの当時の自衛隊は社会党に違憲扱いされ、肩身の狭い思いをしていた頃です。 とても映画に協力するほどの余裕は無かったと思います。
お礼
いやいや、当時は確かに社会情勢を考えて自衛隊を防衛隊と改変していましたが、ノンテロップ扱いとすることで協力することを承諾していたのは文献として残っていますし、逆に「野性の証明」は、自衛隊の承諾が取れなかった為、苦肉の策としてアメリカロケを敢行しアメリカ軍の戦車や銃器類を自衛隊の装備に見立てて撮影したものなのですよ。
お礼
確かに当時の数本までは全面的というぐらい協力的でしたからね。 本策は、ゴジラが都内を暴れ回るシーンで何気ない屋根や看板などが作画合成されていたので、問題の鉄橋も作画のように見えたのですが、、、う~ん、あのシーンは実際に進軍していただけで合成ではなかったのかな~。 よく見ると絵に見えるんですけどね~、、、。 いや~、私のくだらない疑問に答えてくださり感謝いたします。 有り難う御座いました。