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私は、能の鑑賞で、新しい発見をしました。現代人は芸術は、自我意識つまり自己表現と、思っていますが、昔の日本人は無我意識を追求しています
なぜ無我意識を、追求してるかというと、心が癒されるからです。自己表現だと、脳が思考するのて、ストレスになります。無我意識だと、脳が休むので、癒しになります。だから演技をする人の脳は、座禅のように休んでいます。観客も座禅のように、脳を休めて見ると癒されます。
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発見でも何でもなく、少なくとも5つの点で的外れです。 もう少し体系的に学ばれることをお勧めします。 (1)自我意識/無我意識を、形式知/暗黙知と混同されていませんか。 玄人の演者の演技技術は暗黙知の範疇でしょうが、演者独自の知恵と工夫の試みなしに 舞台芸術など成立しません。鑑賞者もそこを楽しむという一面があります。 (2)神仏への奉納や祝祭のための一部の曲や、仮面舞踊・夢幻能(亡霊を演ずる)としての性質から、 現代演劇と比べて能の演者の自我(パーソナリティ)に依存する割合が少ないように見えますが、実際は逆です。 仮面舞踊だからこそ演者の技術がにじみ出るよう発展します。 扇の振り方ひとつからでも演者を判別できます。 (3)かりに演者側の演舞技術の本質が無我状態にあったとしても、 鑑賞者側の鑑賞態度に無我状態を求めることに直接つながりません。 (4)能を癒しのツールとしての鑑賞態度は斬新ですが、表層だけの鑑賞に陥ってしまいませんか。 曲の主題と心情表現を理解して観能に臨めば臨むほど、演者と観客との真剣勝負となり、 観能後に心地よい興奮と疲労感が残るものです。 (5)「無我意識だと、脳が休むので、癒しになる」というのは、囃子と謡の調べにまかせて 観能中にうたた寝をしている状態とどう違いますか。 (個人的には観能中のうたた寝は大変心地よいので大好きです)