言葉について、というものすごく大きなテーマだと色々な切り口がありますね。
言葉は物事を構成するパーツだと思います。
特に抽象的なことに関してはそうですね。目に見えるものは「りんご」と名前がついていようがいまいが、あの赤くて丸くて食べると美味い(美味くないのもある(^_^;))物体ですが、目に見えないもの、たとえば愛とかですか。言葉がなければ「愛」も存在しないのですね。名前をつけられていなくてもその心の動きや状態はあるはずなんですが、名前をつけられていなければ存在として明確にならないといいますか。
名前をつける=区別をする。区別をしたことで差が出来る。差ができると違いを考える。そういう方向から物事は複雑になっていきます。
物事が複雑になるということは一長一短があり……という風に発展させていくとものすごく長くなりそうですのでやめましょう。
わたしは以前英会話学校に通っていたのですが、そこでの経験でちょっと面白かったことがあります。
英会話学校などではテーマを決めておしゃべり、というのがけっこう多いのですが、そのテーマについてその場ではなかなか面白いことを思いつかないのです。あとから考えて「こうも言えたんだ」と残念だったりしますが、それはおそらく使っている言語にしばられたからではないかと思います。
これは「言葉を知らないからいいたいことも言えない」という話ではありません。習熟していない言語を使うことで、思考が深まらない(というと大層なことのようだが)のではと。「言いたいこと」の内容に差が出るということですね。「言いたいけど言えない」のではなくて。
つまり3歳児並みの英語しか使えないと考えることも3歳児並(まあここまで極端じゃないかもしれないけど)になるといいますか、日本語で考えられることが100だとしたら50程度までしか考えられないということがあるのではないかと。これは個人的に思ったことで、普遍的なことかどうかは自信ないのですが。
「ああ、思考は言葉に左右されるなあ」とその時に思ったのでありました。
えー、考えに考えた結果じゃなく思いついたことだけで書いてますので結論とかありませんが(^_^;)、旧約聖書で神様が、天地創造の折に「言葉あれ」といったことはまことにむべなるかな……と思います。
といって文章を終わろうとしたのですが、天地創造の時に「言葉あれ」とは言ってませんね?(←今確認した)あれー?変だなあ。どこで見たのかなあ。
(そして問題は解決しないままFade out)