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(引退した)彼女は結婚して幸せに暮らしている、という言葉
よくありますよね。 芸能界でも普通の会社でも。 さらに「2人の子宝にも恵まれ~」と続く場合、 更に幸福感が増すように感じます。 だけど本当のところ誰も彼女の結婚生活が どのような物か知らないわけですよね? にもかかわらず「結婚」という文字を見た瞬間 何かホッとするような(ああ、無事でやってるん だろうな)と納得してしまう自分がいます。 逆に「彼女は未だ独り身で、、」とか言われると 世間でいくら「結婚する、しないは本人の自由」と 吹聴されてもやっぱり可哀想、、、と思ってしまいます。 やはり女の人生、結婚とは何だかんだと言って「女の幸せ」 独身は「不幸」、、、 こういう考えってやはり偏見から来るものでしょうか。 それとも普遍的なものなのでしょうか。
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○独身は永遠の孤独 ○晩婚は子供をタイムリミットで作れず晩年は孤独 ○若くして子供がいれば 子供が手を放れてもまだ元気だし孫に囲まれ賑やかな老後 世間一般のイメージであり現実です。 ただそう言ってしまうと非難があります、晩婚や未婚の人は早く子供を持った人にないものを幸せと置き換えるけど (時間やお金や旅行や豪華な食事や自由)本当は不安で寂しいけど戻れない時間に後悔していることをみんなわかって 聞いているのだと思います。 孤独はやはり可哀想。 本人の前では言ってはいけませんが偏見ではなくみな思っている事です。
- kyoutoukyo
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芸能界や会社が戦場だとすれば、そこから引退するということが「幸せ」ということになるのではないでしょうか もう戦わなくていいわけですからね
- elenjynt
- ベストアンサー率4% (17/389)
普遍てきとおもいます。 女にきくと こども は ほしいを 10人中 9人まで いいます、
- rtgzwt
- ベストアンサー率46% (40/86)
私は大恋愛の末に結婚し、5年後に離婚を経験した男ですが、 ご指摘の >女の人生、結婚とは何だかんだと言って「女の幸せ」 >独身は「不幸」、、、 とは、私は幻想だと思っています。 「そして、王子とお姫様は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ」 と言う、おとぎ話を実生活に準えて、自分を安心させたい願望が生んだ、 ハッピー・エバー・アフター幻想です。 結婚は、実生活です。生きて暮らして行く、生々しい現実です。 子供ができれば、そりゃ可愛いし、その子の為に自分を犠牲にしてでも!と感じます。 ですが、それを実践するには、自分の欲望を抑え、 子供や家族が求める“父親像”を担わなくてはなりません。 女性の場合は、男性よりも子供との関係が濃厚ですから、 役割はもっと過酷で、休む間など、最初の数年間は、ほとんど無いと思って良いでしょう。 今まで自由奔放に生活していたものが、 全て子供や家族中心の生活パターンへと変化し、 それへの適応を強制されて、自分を抑えながら生活するコトが、 「幸せ」なワケがありません。 イライラするし、自分だけが不幸に陥ってるようにも思えてくるし、 結婚に先述の幻想を抱いていたとしたら、 「こんなはずじゃなかった」と、必ず思うでしょう。 そんな“波乱の季節”を乗り切って、 結婚生活が落ち着いてから、子供の成長や円満な家族関係などを思えば、 「やっぱり、結婚してよかった」と思える時もあるでしょう。 でも、それは結果論であって、 リアルタイムで、結婚生活のドタバタを経験している最中の人に、 「あなたは幸せですか?」と問えば、 「はい、幸せです」と即答できる幸運な人は、非常に少ないと思いますよ。 独身の時、その孤独さから、時折、結婚した友人の生活が羨ましく思えるコトがあります。 クリスマスや年末など、“家族”という集団が美化されて、 マスコミに多く流されますからね。 でも、実際は、配偶者の実家の、古くさい風習に悩まされたり、 互いに不慣れで、緊張を強いられる、相手側の実家へ帰郷するコトを嫌がって、 夫婦仲が険悪になったり、 反対に、あれだけ熱烈に恋してた相手が、徐々にうっとうしくなってきて、 帰省を口実に、別々になるコトを「ラッキー、肩の荷が下りた」とせいせいしたり、 実情は、シチューやカレーのコマーシャルのような、 美しく、温かい家族像とはほど遠い、 もっとドロドロした感情のぶつかり合いの現場が現実だったりするのです。 「幸せ」とは、個人の価値観で、その人が独自に感じる物ですから、 幼少時に両親を亡くし、祖父に育てられていた友人は、 奥さんと子供と、奥さんのお母さん(義母)とで構成された、 新しい自分の家族に、この上ない幸福感を感じていて、 多少、夫婦喧嘩をしても、喜々としてその状況を受け入れ、 ハタ目にも、心底、幸せそうです。 別の新婚夫婦の場合は、まだ子供も居ないので、 正月やお盆は、夫婦別々に、それぞれの実家に帰り、 休みが終われば、家庭に戻って、それぞれ別の仕事に向かうという、 結婚してんだか、単なる同棲なんだか解らない、 自由な結婚生活をしてますが、 見た感じ、あまり幸せそうではありません。 旦那さんは、奥さんともっと一緒に居たいようですが、 奥さんには、そんな気持ちはカラッキシ無いからです。 また別の熟年カップルでは、 奥さんが旦那さんより20才近く若くて、 奥さん自身「生活力だけを求めて結婚したから、最初から愛情は無い」と言い放つ結婚生活で、 お子さんが大きくなった今、奥さんは方々に“恋人”を作っては、 お子さんや旦那さんが家を留守にする平日に、“恋愛”を楽しみ、 土日や休日には、主婦に戻るという、二重生活を楽しまれてます。 未だにそんな奥さんに恋してる旦那さんからは、 頻繁にメールを貰ってましたが、「うるさいジジイだ」と、 完全無視で、返信をしたコトは無いそうです。 ここの奥さんは、独自の生活に「幸せ」そうですけど、 旦那さんは、どうなんでしょうね?。 と言う具合に、「幸せに暮らしましたとさ」の後にも、 このように、様々な人生があって、 どれが幸せと言えるのか、または、不幸と呼べるのか、 簡単には判断できないのが現実だと思います。 さて、貴女は、どこに「女の幸せ」を見出しますか?。 案外、天涯孤独で哀れなはずの独身女性が、 実は、一番「幸せ」なのかも知れませんよ?。
- sakusya
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まあ、哲学的な話はしたくないので前提として簡単に書きますが、まず「不幸」という概念は実にブレ幅が大きいんですよね。だからそれが幸福か不幸かは個人の主観でしかないわけで、少なくとも対立概念としてはそれをはっきり区別しにくいんですよ。 ということをお分かり頂いた上で結論を申しますと、社会的な考えとしては「結婚」を「不幸」と考える見向きはあります。悪い言い方でさらに言えば、“社会が子供を産む”と比喩してしまっても差し支えないと思います。結構珍しくないと俺は考えています。大抵の人は、思想が社会に直結している生き方をせざるおえません。俺も建前としては、そういう考えを常識として意見するときもあります。 ただ、それが「幸福」か「不幸」かの是非は、最初に書いた前提のとおり、個人の主観でしかなく、その人が何であれ「幸福」であればそれでいいと個人的には思いますが。ちょっと概念的な話をしてしまいましたが、結論としては、結婚の皆無で「不幸」を決める向きは社会的にあるのは事実でしょうね。子供の皆無もそうだと思います。