[川が氾濫してRAJAGRRIHAという場所からVAISHILという場所にいけず]
ですか。そうであれば、
マガダ国の首都の王舎城(ラージャグリハ:現在のラジギール)にあった竹林精舎からバイシャリーの都への遊行の道すがらですね。竹林精舎があったところは有名でしょ。バイシャリーにはアンバパリという女性ですが有名なお金持ちがいてそこで世話になり何ヶ月か暮らしていたのですね。バイシャリーというぐらいですから商人の町ですね。精舎にいたり、富豪のやっかいになりながら説法していたのですね。それを遊行といいます。インドの地図を見るといいですね。バイシャリーはネパールに近いところです。ラージャグリハ:現在のラジギールからバイシャリーへは北へかなりの行程ですね。途中にはいくつもの川がありますのでそのひとつでしょうね。川が氾濫してということですから、空中に浮いて渡ったのでしょうね。仏陀には神通力がありますから簡単なことでしょうね。 その様を霊的に描いた絵でしょうね。
仏陀は見かけは人間なんですが霊的には(目には見えないですがのほうがわかりやすいかな)光りの塊なんですね。眉間や手のひらから光りを出すのですね。釈尊としての光りの塊は目に見えない直径10キロもの光りの塊(ルシャナブツ)の一部なのです。空中には光りを体全体から放射すればロケットのように浮くのですね。左手で光りを受け右手で出す。手向けるといいますが、この光りはまた慈悲の光りでもあるということです。普通の人間の目には見えませんよ。
追伸はこんなんでいいかな。
お礼
回答ありがとうございます。少し説明があるので、補足しますね。この本によると、川が氾濫してRAJAGRRIHAという場所からVAISHILという場所にいけず、誰も仏陀をつれていこうとしなかったらしいのですが、仏陀が自らのパワーで空気中?をただよっているところらしいのです。 しかし横にいる人は船をこいでくれるらしく、なんだか説明も矛盾していて混乱しています。。。 ちなみになにかこの場所についてご存知であればお願いします>_< mmkyさまのご説明では、左手は世の人々に自分の教えをひろめるためのジェスチャーということでしょうか??? また、光があらわしているのは、仏陀の元の姿、仏陀は本来はとても大きいということですよね? 右手はなぜ天から光をうけているのでしょうか??? 質問ばかりで本当にすいません。。。