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六道珍皇寺の十界之図。その意味は?
京都の六道珍皇寺ではお盆に「十界之図」が公開されるそうです。 http://yamaguchikatsuo.k-server.org/page033.html ↑ 小さいのでわかりにくいかもしれませんが その写真はここにありました。 ここに描かれた内容について知りたいのですが どなたかご存知ありませんか?
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追加ですが、熊野は他の神と異なり、古くより死穢や血などの「浄不浄をきらはず」という神であり、生理中の女性も参拝が許されたことで女性の信仰を集めます。 参考URL「熊野の歌」 http://www.mikumano.net/uta/izumi.html 女性の地獄がことさら描かれるのも、それだけ女人救済という信仰が熊野に根付いていたことでしょう。 また上述の様な熊野信仰は、時宗(時衆)系の念仏聖が広めました。これは一遍上人が熊野権現に参籠したことで道を得たことから、熊野は時宗の守護神とされたからです。 時宗系念仏は日本の土俗信仰、祖霊信仰と深く結びつきますので、古くから葬送場所であった六道珍皇寺周辺に熊野信仰が広まる一因かもしれません。
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- yuhkoh
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この絵は「熊野観心十界曼荼羅」と呼ばれる系譜の図像で、もともとは熊野比丘尼という、熊野信仰を広める尼僧によって絵解きされたものです。 なお、神仏習合当時は熊野三所大権現、つまり本宮・新宮・那智はそれぞれ阿弥陀・薬師・千手観音の化身とされ、三山は神の山と同時に仏の浄土とされました。 自身の心を中心に周囲には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人の六道(迷いの世界)と、声聞・縁覚・菩薩・仏の四聖(悟りの世界)の十界が描かれ、上部には人間の一生が弧を描くように表されています。 参考URLには三重県大円寺に伝わる十界図が解説されています。 http://kumano-etoki.jp/jikkai_mandara.html なお、参考URLには解説されていませんが、右下の血の池は、当時、女性は月経により大地を汚したとして落ちる所とされました。蓮に乗る女性は如意輪観音より授かる『血盆経』の功徳によって救済される姿です。 不産女地獄は不妊の女性が、両婦地獄は嫉妬によって蛇と化し男を奪い合うという様子で、女性である比丘尼がこの様子を説いていたことは興味あることです(なお、『血盆経』は仏典に似せて作られた偽経であり、不産女地獄等は本来の仏教とは関係のない伝承です)。 刀葉林は淫欲な者が堕ちる地獄で、刃物が生える木の上に美女がいて、体を切り刻まれながら木に登ると、美女は木の下にいる。また木を下りると・・・という繰り返しです。 四十九餅は四十九日(満中陰)の供物であり、施餓鬼は、目蓮尊者が亡母の苦を救うために、釈尊の教えに基づき一切の餓鬼、亡者に食を施し、仏法を説く供養です。
お礼
そういえばこのあたりで昔、熊野比丘尼が牛王宝印を売っていたときいたことがあります。 ここに十界の図があるということはかつての熊野信仰の厚さを示すものなのかもしれないですね。 それにしても昔の人の想像力には驚かされますね。 丁寧に説明くださったのでとてもわかりやすかったです。 心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。
お礼
何度もありがとうございます! 以前節分の日に近所の寺の星まつりに行ったことがあります。 火渡りが行われましたが、山伏さんが 「生理中の女性はご遠慮ください」と言っていたことを思い出します。 今ですらそんな風習があるのに熊野の神様は女性の味方だったのですね。 なぜ熊野の神様は女人救済の神なのか、興味ありますね。 六道珍皇寺から少しいくと空也上人が開基と伝わる六波羅蜜寺があります。 空也上人は踊り念仏の開祖だということですが この地域に熊野信仰を広めたのは時宗の僧というのは興味深いですね。 念仏つながりということでしょうか。