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少子化は強制結婚・打算結婚絶滅の必然の帰結では?
タイトルのとおりです。 独身・子供を育てないことを「わがまま」「利己的」と言って非難する子持ちの方が多いですが、 これは一昔前までのお見合いのような「強制結婚」、男女雇用機会均等法以前女性が自活できず不本意な相手とでも生活のために結婚せざるを得なかった「打算結婚」が消滅してきた(それでもまだ残存していますが)ことの当然の帰結ではないでしょうか。 愛し合ってもいない者同士無理やり結婚させて子供を産ませていた時代の価値観が前近代的なものだと思いますが。 女性は出産の名分の下に望まぬセックスを強制され、男性にしても家庭を養うためという名分の下に資産を搾取されていたわけですよね。 当人同士の純粋な愛情の上に成り立つ結婚が主流になったという点で、 憲法にも定められている「婚姻の自由」「両性の平等」に照らしても、望ましい姿だと思います。 結婚しない、子供を産まない人は「わがまま」「利己的」でしょうか。 結婚したいと思えるぐらい愛する人と結婚できる人など、全体の中のごく一部ではないでしょうか。 誰だって、愛する人の子供を産み一生添い遂げられたらめたらどんなに幸せでしょう。 その幸せが叶わなかったことを「わがまま」と非難したところで、本人にどう仕様もないと思いませんか? 努力が足りないからというきれい事を唱えても何も問題は解決しません。 努力が確実に反映される学業や仕事と違って、恋愛は天性の性的魅力に依存する部分が大きいです。 女性が「対価なしでセックスしたい」と思える男性は、10人いたら2、3人ぐらいでしょうね。 残りの7、8割の男性とあえて結婚しない女性が増えたから少子化が増えている、わがままでも何でもない、望まぬ性交を強いられない「性的自由」の行使の結果です。 男性にしても、性的対象にならない女性とのお見合い結婚を強制されたら、国のためにと言っても不服だとは思いませんか? 強制結婚の消滅は20世紀の日本の進歩の一つです。 21世紀の課題は、自発的結婚の増大です。 名目的に子供の数を増やしても肝心の国民の幸福を奪うようでは、何のために国家が存在しているかわかりませんよね?
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頑張るしかないと書きましたが、付け足します。愛と言うものが何なのかは、nomaneko25さんの感じ方があると思いますが、少なくとも女性が幸せになるには、相手の男性の愛が本物かどうか見分けられないといけないと思います。おそらく飽きたら捨てられるのは、嘘の愛だったからではないですかね。でも全ての男性がそうではないと思いますよ。愛を深めると言う事は、愛があって初めて深められるのではないかと思います。 それからたまたま出てきたのが先に紹介した本のレビューでしたが、他にも関連して色々ある様です。そういうのも、本など、参考になるかもしれません。あくまでもあの本自体は読んでいないので推薦はできません。 それと、子供を産む事が社会的責任だと書きましたが、そういう事もあるとは思いますが、仰る通り、愛している人の子供を自然に産む事が最善ですね。またそういう社会にしていく事が社会的責任かもしれませんね。語弊がありました、すいません。
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No.28への回答はだいたい同感です、結婚と言うものはふたりの人生を手助けする制度であると思いたいですが。 同じ様な事だと思って書いたんですが、良くなかったですね。それ以前の問題でした。 そうですか、本当に好きだったんだと伝わって来ますね、愛してくれない人とそういう関係になって、幸せだと思うのなら仕方無いですが、本当にそれで良いのですか?そういうのは長く続かないでしょう。せっかく自由恋愛なんだから、これからは愛してくれる人とそういう関係になった方が良いと思いませんか、もっと幸せになれるかもしれません。またそれができないからと言って、愛してくれない人とそういう関係になるのは、その幸せから遠のいて行く事になってしまいませんか。 男女の間で愛があれば、結婚をするか、それに代わる形を取る事以外にありえないと思います。愛すべきものは守るべきものだと思いませんか。
お礼
100%思い通りの愛が手に入る人はごくごく一部ですよ。 世の中には努力していても誠実に生きていても愛されない人もいますからね。 それは本人が生まれ持った魅力とか能力とか、運とか環境とか、 いろいろな要因があります。 そのように愛を手に入れられなかった人を迫害するような政策はやめてほしいとは思っています。
本来フリーセックスとは、開放的にセックスする事ではなくて、開放的にセックスについて話し合う事らしく、その言葉が意味を間違えられて一人歩きしているらしいですが、完全に本能である性欲の処理に重きが置かれているんでしょうね。 昔に戻る事が良い事か、悪い事かは別として、もう戻れないんだと思います。これからは、自由恋愛、愛情確認、生殖の為の後継ぎ作り、性欲処理、これらを両立させないといけませんね。愛しているもの同士が結婚出来る様に努力しないといけませんね。たとえ結婚までの駆け引きの中でセックスが行われなくなる事が多くなっても、駆け引きを断念する人は少ないでしょう。だって結婚しないとセックスできない場合が増えるんですからね。 愛ね、深まりますかね?そもそもそこに愛はありますか?愛って何ですか?仰る通り、男女は資源の交換なら、せめてこれからふたりで支えあって生きて行くって事ではないんですか?彼女に対して何の責任も持たない性欲処理が、愛ですか?それが良質のセックスですか?愛してる、その嘘の愛の意味に気が付いた時、傷つくのは誰ですか?そんな事を続けて幸せになれますか?幸せって何ですか?愛し愛される事ではないですか?良い男性が少ない?だからってそんな事を続けるのは愛の打算ですか?男性不信ですか?もう他には不服な男性しかいないですか?人は法の上では平等でも、実際はそうではないだろうし、弱い遺伝子は自然淘汰されるんでしょう、頑張るしかないのではないですか、幸せになりたいのなら。失敗したとしても誰も攻めないでしょう、その時は、あなたを見ていた人ならね。 それと「誰も書かなかったアメリカの性教育事情」なる本を見つけました。僕もまだ読んでいないので、本の内容は分かりませんが、アマゾンのレビューに、良い事が書いてありました。見てみてください。
お礼
>駆け引きを断念する人は少ないでしょう。 うーんと、結婚するまでセックス一切禁止、でもって風俗利用は可能、となると、恋愛そのものを断念する男性が増えると思います。 風俗を禁止したらレイプが増えるでしょうしね。 まあ程度問題ですね。 愛は、天から降ってくるものではなく、努力して築いていくものですし、努力しても手に入る保証はないですね。 容姿のいい人は努力せずして手に入れられることも多いでしょうし。 残酷なものですね。 幸せとは愛を手に入れること、そのとおりだと思います。 お金は愛を実現するのを容易にするからあった方がいいのであって、 お金があること自体に幸せがあるのではないと思います。 果てしのない困難な試練ですが、愛を手に入れる過程そのものが人生の醍醐味なんだろうと思います。 結婚だけが愛とも限らないし、 事実現代の社会に不適応になっている側面もありますが、 愛という不確かなものを制度と言う形で法的社会的に保護しなければ、 人々は安心できないのでしょう。 ただし制度はあくまで「容器」、「中身」である愛がなければ意味がない。 一応「中身」があっても未熟だったり腐敗していたりすることもあるかもしれない。 未熟ならば完熟させなければいけないし、腐敗していたら廃棄して別の本物を入れ直さなければいけませんね。
- fuss_min
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質問の最大の要点は、タイトルどおり、 「少子化は強制結婚・打算結婚絶滅の必然の帰結では?」 でいいのですか? → 一因であったとしてもそれが全てではないでしょうね。 もうひとつ。 >名目的に子供の数を増やしても肝心の国民の幸福を奪うようでは、何のために国家が存在しているかわかりませんよね? → 人口が減れば、日本の国力が弱体化します。 国家の繁栄からみれば好ましくないと思います。 **** でも、あなたの言うことに賛同する部分もあります。 現代の若者は、動物本来の本能的欲望を、 昔よりも重視するようになったかもしれません。 ただ、私はそれが必ずしも好ましいことだとは思いません。 他の方の回答やあなたの補足・お礼を 全て熟読したわけではありませんが、 あなたは20代女性の方なのですね。 私は貴方様とほぼ同世代の20代男性です。 ちなみに、個人的事柄で恐縮ですが、今女性不信です。 私は必ずしも恋愛結婚以外の結婚に 不賛成ではありません。 ルックスが気に入って恋愛して結婚したカップル以外には、 本当に互いの愛情が存在しないとも思えません。 お見合い婚だって愛のある夫婦はいると思いますが。 愛(安定した愛情)と恋(ときめき)は別だと思います。 確かに、一生に体験できる「恋の成就」の数や、 若いうちの性体験人数は、 男女ともルックスのいい人にかなわないと思います。 その点、私もルックスのいい人間をうらやましく思います。 でも、愛はルックスばかりが ものをいうものではないと思います。 どんなルックスの良い相手でときめいても、 時間とともに同じ相手に対する ときめきは長く続かないように 人間はできているそうです。 ちょっと確認をしたいのですが、 質問者さんは「恋した人」とセックスはしたくても、 「愛した人」とセックスはしたくないのでしょうか? 確かに、ルックスに劣った男性でも、 お金や安定した社会的地位があれば 女性と結婚できるという考えはあります。 (1)金や地位があればルックスが特別良くなくても、 その男性のルックスを素敵だと思い込むことができて、 セックスをしたがる女性もいます。 (2)一方で、どんなに金があったり、 素敵な男性であっても、男としてルックスが良くないと 生理的に進んでセックスする気にはなれないけれど、 金や愛情、(性的な感情ではない)触れ合いが欲しいので、 男性とセックスする女性もいます。 つまり、性的快楽を二の次にしたセックスをする女性ですね。 この点、あなたに賛同します。 2の女性のなかには、愛と金で結婚した旦那に貢がせて、 他のルックスだけの男と浮気して、彼の子を宿した挙句、 旦那を騙して彼の子を育てさせる女性すらいるようです。 だから、女性不信の私は男性として、 2の女性には細心の注意と警戒を払っています。 ちなみに、ルックスの件でひとつ。 確かに優れない遺伝子は淘汰されるというのは、 自然の法則です。 しかし、ルックスは男性の育った環境で決まる部分もあります。 たとえば、顔はほとんど先天的に決まりますが、 身長は、男性の先天的遺伝的な体質要素だけではなく、 その男性が育った環境の影響も大きく受けます。 しかも、10代までに決まってしまいます。 さらに、子供に遺伝するのは、先天的な体質だけです。 成長期の環境が悪かった男性は、 背の高くなる遺伝子を持っていて (=子供が背が高くなる確立が高い)も、 一生良い女性にはめぐり合えないのでしょうか? (与えられた生育環境や親の経済力は公平ではありません。) 人間は自然界の動物とは違って長生きするのに、 大事なことは人生の初頭で決まってしまいます。 育った環境で損をしてしまった男性は、 先天的に背の低い男性よりも辛い思いをすると思います。 そういう男性に、 女性とセックスをする機会(子孫を残す機会)が 全く与えられないとすると、 希望を持てずに絶望する人間は増えて、 社会が荒れる気がします。 だって、彼らの子供時代の育った環境が悪かったせいで、 彼らがその後のどんなに素晴らしい功績を残しても、 彼らの子孫は残らず、その功績によるメリットを享受するのは、 育った環境もよく、ルックスが良い男性の子孫だったら、 彼らは「自分は何のために生きているんだ?」という 絶望感に駆られるのですよ。 でも残念ながら、 実際そういう社会になりかねない状況に近づきつつあると思います。 人間的エリート(人間として優れた人・努力家、善人・聖賢者、他) をあざ笑う、 生物的エリート(ルックスに優れた人)が増えた気がします。 このままで良いとは思えません。 (いろいろ乱雑に話しましたが、) 従って、私は結婚しない男女に、 社会が結婚を推奨することは、 必ずしも悪だとは思いませんね。 この関連で、 私が過去に行った質問や回答をいくつか紹介します。 質問者さんのお役に立てれば幸いです。 http://okwave.jp/qa4446054.html(質問=私) http://okwave.jp/qa4479021.html(質問=私) →(関連1)http://okwave.jp/qa4308636.html(回答12=私) →(関連2)http://okwave.jp/qa4285249.html(回答14=私) http://okwave.jp/qa4500540.html(回答4=私) http://okwave.jp/qa3958922.html(質問=私) 乱文、失礼いたしました。
お礼
>私は結婚しない男女に、社会が結婚を推奨することは、必ずしも悪だとは思いませんね。 それは私も賛成ですよ。 というか、お礼の中で、「国の方で公的に恋愛・結婚を支援する制度を整備するべきだ」と主張しています。 もてない人はそもそも恋愛を学習する機会すらないのですから。 異性と触れ合い、自分を磨く機会を与えるのです。 容姿の悪い人が割を食わないよう、共同で仕事をさせるなど長く一緒に行動させて、 自然と愛着を抱けるような環境を作ってやるのもいいと思います。 >愛はルックスばかりがものをいうものではないと思います。 これはそのとおりです。だって容姿など必ず衰えるのですから。 風俗嬢とのセックス。 これは彼女の一時的な容姿を消費するためのものです。 若さを失ったら用無しです。 結婚相手とのセックス。 これは彼女の一生に対して責任を負うことを意味するものです。 結婚が社会的に善とされているのは、上記のとおり、 親から与えられた容姿だけでは勝負できない、 内面や能力がなければ成功できない、という理由もあるのだとは思います。 とはいっても、容姿「だけ」では駄目というだけで、容姿も重要な部分を占めることには変わりありません。 いずれ容姿は衰えると言ってもそれは生殖機能が失われる爺さん婆さんになってからの話ですから、 若い時の段階で「セックスに耐え得る容姿の持ち主か」ということは、 決定的に重要な要素です。 恋愛市場から脱落してしまう人が一定数現れるのはやむを得ません。 こういった人たちには風俗など性欲を満足させる方法を与え、 結婚・出産以外の形で社会貢献してもらえばいい。 >「恋した人」とセックスはしたくても、「愛した人」とセックスはしたくないのでしょうか? 確かに格好いい人とならしたいし、とてつもなく不細工な人とは生理的に無理ということはあります。 が、一時的な性的快楽のためにセックスしたいと思うのと、 その人の子供を身ごもってもいいと思えるのとは全然別ですから。 今までの事例を振り返ると、最初に容姿が気に入って好きになったわけではないですね。 ルックスはあまり好みじゃないなと思った人もいるぐらいですし。 容姿も性格も含めたその人全てをどう感じたか、ということだと思います。
補足
もう一点。 >女性とセックスをする機会(子孫を残す機会)が全く与えられないとすると、 >希望を持てずに絶望する人間は増えて、社会が荒れる気がします。 うーん、男性の場合は容姿より経済力が重視されるので、 こと結婚という生活が絡む事柄に関しては、中身のないイケメンより努力家の方が報われると思いますけどねえ。 それでも女性が経済力を持つようになった今では、 金持ちでも不細工とは結婚しないという人も多いでしょうからね。 女性とセックスする機会というのは2種類あると思っていて ・単純に性欲処理。愛情なんてどうでもいい。 こういう人はむしろ結婚せずに永久に風俗に通っていた方がいいので、 経済力さえあれば問題ないでしょう。 ・愛してくれる人・子供を産んでくれる女性が欲しい。 お礼にもあるとおり結婚は「内面」「財力」の方が重要ですから、 こちらを磨けば特に男性の場合はカバーできる部分は大きいと思います。 一番悲惨なのは不細工な女性ですよね。 こちらの女性の保護を何とかするべきだと思いますが。
人間は、社会的責任だけではなく、古代からの歴史も制度も背負っているのですよ。 それは、誰かに感謝して自分を卑下したり、自分の属性を蔑視したり、異質な性を優位に上げても、nomaneko25 さん個人が乗り越えるべき問題の解決にはなりません。 他の方々の書き込みやレスを読んでいないのですが、一人一人の意見からヒントは見付けられたのではないでしょうか ? 或いは、一つの回答も得られているのではないですか ? そうであることを願って、大好きな祖母のことを書かせて頂けたことに感謝して、nomaneko25 さんが愛し愛される方と出会えて、二人の文化の性を構築して、社会的責任を果たせられますように。
お礼
結婚してセックスして子供を産むということ、 社会的責任には違いないのでしょうけど、 愛情のために行われるから価値のある行為であって、 「義務だから(望んでいなくても)行う」となった時点で、 その結婚は本来的価値を失っていると思うのですよね。 難しいですね。
そうです、社会的責任からは逃れられないと思います。少子化は国民の責任だと思います。あなたの彼はそれがなく、あなたとセックスしていたので、その気があったあなたはまた別ですが、それに付き合っていたのは良くないと思います。あなたは犠牲者です。だからこそこれからはそう言う事を減らす為にも、教育、思想などが必要です。セックスは結婚してから、子供が産めるなら、産んでから楽しむべきではないかと言う事です。自由は義務を果たしたものに与えられるのだと思います。これは自由恋愛を阻害するものではありません。言っている事は到底実現不可能かもしれませんが、それが技術を生み出した、理性を持った事の代償だと思います。
お礼
なるほど、至極同感です。 自由は責任と一体のものですね。 現実的には難しいとは思いますけどね。 結婚という重大な決断に至るまでは、 男女間の莫大な駆け引きが必要になります。 その駆け引きの過程の中でセックスが行わないとなると、 駆け引きそのものを断念してしまう人が増えると思います。 男性にとっては戦利品、女性にとっては交渉道具みたいなものですから。 あと、セックスを通じて愛が深まるという側面もありますしね。
避妊、堕胎技術を禁止しろと言っている訳ではなく、技術を使う事は、人の生き方を変える事です。それだけに慎重にならなければいけないのだと思います。と書きましたが、この先も人が生きて行きたいのなら、人が生き物である事を忘れてはいけないと言う事です。人工的に命の誕生を阻害する技術を生み出した以上は、人工的に命の誕生を支える思想などが必要であり、人の生活を豊かにする為に、セックスを楽しむ為に生み出した技術、その文化を保ちながら、人が生きて行くには、それを補う倫理などが必要ではないかと言う事、つまり命の誕生が阻害される事によって軽くなったセックス、その重みを取り戻す事が必要ではないかと思います。
お礼
婚前交渉の制限などですかね。 確かに昔は今のようなフリーセックスではなく、 結婚しなければセックスできない(もちろん遊郭はありましたが) から人々を結婚に向かわせていた、 そしてセックスが命を生み出す重大な行為だという認識を共有していた、とは思います。 ただひとつ、昔は 「生殖のため、後継ぎ作りのためのセックス」という側面が強く、 次に「性欲処理」という機能があり、 「愛情確認」という重要な機能はほとんど果たされていなかっただろうと思います。 そもそも愛しているもの同士結婚できなかったのだから仕方ありませんね。 だから今と比べて良質なセックスを人々が享受していたか、 というと、とてもそうとは思えないというのが正直な感想です。 こういった利害打算のためのセックス観に対抗して、 70年代から80年代にかけて、 当人たちの自由意思のもと行うフリーセックスを標榜する若者が現れた、と聞いています。
こんばんは。 私の祖母は5人生んでなお60歳まで仕事をしており、経済的にも家計を助けていましたから、そういう実例を見ていると、子供が一人もいない・1人しかいないのに勤労・納税をしていない方は日中夫や子供が会社や学校に行っている間家で何をしているのか?と甚だ疑問に思う 因みに、私の祖母は86歳で他界する間際まで仕事をしてました。子供は6人。昔は、学校の地位も低く、学校に行く暇があったら家の手伝い、弟・妹の世話をしろというのが一般。長男は跡を継いで、女の子は一定の教育を受ければ、親が見合いをさせて嫁がせるのが親の務めだった。 つまり、時代背景も制度も全く違うのが今なのです。勤労・納税をしていない女性の中には、障害を持っている人や病気の人もいますし、健康体でも子供がいないとできない PTA 活動や地域活動をして、社会参加している人もいる。国の経済を支える基盤の家庭経済を運営していることも、立派に勤労に値するものです。納税していなくても、犯罪者にしない子供を育てられているのも、立派な社会貢献でしょう。 nomaneko25 さんのお婆様も私の祖母も、今なら違う生き方をしていたことでしょう。 その時代は、男性も強制的に見合いさせられ、性的対象であろうとなかろうと、結婚させられていたのです。嫌でも後継ぎとしての役目を負わされていたのですよ。そこには男女差はないのです。
お礼
確かに、子供を育てるということは大変な責任と労力を伴うものですね。人間一人の命を預かるのですから。 仕事は嫌になったら辞めることはできますけど、 子育てはそうも行きませんから、ある意味子供を育てている人は 仕事をがんばっている人よりも重い責任を負っているのだろうなと考えたことはあります。 彼女らがいるからこそ独身で子育てをせず労働という形で社会貢献をする女性の存在が 認められるということもありますし、感謝すべき存在だとは思いますね。 それぞれが自分にあった形で社会貢献を行えばいいと思います。 無理やりセックスさせられ、女だから子供を生まされ男だからお金を稼がされていた昔と比べて、 遥かに幸せな時代だとは思います。 ただ、どんな生き方をするにせよ、 「社会に対して責任を負う」ということからは逃れられないと思います。
独身・子供を育てないことを「わがまま」「利己的」と言って非難する。とありますが、そもそもこの非難は、この国に属し様々な恩恵を受けながらも、その存続に関わる小子化に対して、何の努力もしていない事に対して非難しているんですよね?非難されているのは、鼻からそのつもりがない人達ですよね。あなたは充分頑張っていたのではないですか?子供を生みにくい社会にしている政治にも責任はありそうですが。 相手の男性のことが本当に好きだったから。でも結局彼は私のことを好きになってくれませんでした。私だって愛している人の子供ならば産みたいのです。でも相手がそう思ってくれないのです。とありますが、このような状態はつらいですね。その様な事が起こる背景を考えると、極めて魅力的な男性がたくさんの女性に子供を産ませるのでも良いと思うんです。とありますが、弱い遺伝子は自然淘汰される、そうですね。一夫多妻制で、その男性が、たくさんの妻、たくさんの子供を保護し、扶助し、平等に扱えるのならそれでも良いと思います。しかしその男性がたくさんの女性に子供を産ませ、その他の独身男性がそれを経済的に支える、これを成り立たせるのは、身分が平等なこの国では難しい。避妊、堕胎技術を生み出した事によって、本能としての性欲、性交、快楽の先にあったはずの命の誕生が阻まれると書きましたが、この技術によって、婚前交渉が正当化され、性が開放的になりました。これは昔に、動物に戻った訳ではなくて、重大な欠陥を残している状態だと思います。この国ではひとりとしか結婚できない法律、複数の女性を養うのが困難である状況、宗教的背景もなく、結婚しない、あるいは子供を持たない状態で、おいしい思いができるのに、わざわざそうしようとは思わないのかもしれません。それで本当に良いのか?国を守って行くのであれば、ある程度個人の欲望などを抑える事が必要になってくると思うんですよね、あくまでも人権を侵さない程度にですがね。しかし男性の本能は根深いです、それだけにこの技術は人類滅亡への取り返しのつかない打撃にすら思えてきます。本能としての性欲、性交、快楽の先にあったはずの命の誕生が阻まれる事によって軽々しくなってしまったセックス、それとセックスに関連して大変な思いをするのは女性ですよね。だからこそ女性は特に、「純粋な愛情のもとに家族を作る」社会の実現を目指す為にも、本能としての性欲、性交、快楽の先にあったはずの命の誕生が阻まれるようになったからこそもっとセックスを重く考えるべきではないかと思います。 そもそも本能が、子孫を遺す事ではなく、食欲、睡眠欲、性欲など、最終的に子孫を遺す手段でしかなく、それを阻んでしまった以上は、滅びる動物もいる、人間も滅びる、それがいけない事なのかとなると、矛盾が残ってしまいますね。あるいは日本、日本人が滅びても、避妊、堕胎技術を使えない貧しい国、人種の人口が増える、その繰り返しなどですね。 作文力不足で長々とすいません、言いたかった事は、少子化は強制結婚・打算結婚絶滅の必然の帰結では?それが本質ではないと思います。ということです。たとえそれが絶滅しても、避妊、堕胎技術がなければ、少子化にはならなかったのではないかと、あなたは彼の子供を生んでいたか、身ごもっていたかもしれません。あるいは女性も性欲がない訳ではないでしょうから、他の男性に興味が持てたかもしれません。
お礼
避妊堕胎技術がなかったら、愛している人としかセックスしなくなる、ということはあると思います。 でも、愛される人の絶対量が増えないまま避妊堕胎を禁止すれば、結局不幸になる人が増えます。 できちゃって仕方なく結婚→出産とか、 女性が売春できなくなる→経済的に困る→仕方なくお金のために結婚→出産 というルートで子供が増えることはあるかもしれませんが、 このような不本意な形で出産しても、あまり意味はないと思います。 女性がセックスさせなくなるので、男性は困りますね。 レイプが多発します。堕胎できないとなると遺棄・子殺し・虐待が横行します。 性病も蔓延します。HIVは母子感染します。 確かに子供は増えるかもしれませんが、不幸な人も増えます。 よく「女に教育と仕事を与えなければ少子化が解決する」と言う人もいますが、 これも国民を不幸にするだけで根本的な解決にはなりません。 途上国では人口が増えていますが、これは女性の人権が保障されていないから (教育・就労の機会がないから金持ちに身売りして子供を産むしかない、レイプの横行、避妊技術の未発達)です。 国民を不幸にしなければ体をなさない国なら、滅びてしまった方がいいと思います。 子供を産む理由は「伴侶と一生添い遂げて大好きな伴侶の分身を作りたいから」でしょう? だから、各自に「大好きな人」「一生セックスしてそばにいたいと思える人」が現れなければ、子供は産まれないのです。 それぐらい魅力ある人間をなるべく多く作ることが根本的な解決策です。 しかし、悲しいかな、「セックスしたい」と異性に思わせる魅力というものは、 先天的に決定される部分が大きい。容姿でほとんど決まりますからね。 だから、恋愛できない=性的弱者であるからと言って、 その人が努力をしていないとか決めつけるのはやめてほしい。 家庭を築くこと以外の分野、仕事で努力し社会に貢献している人だってたくさんいる。
こくばんは。御丁寧に読んで返信下さって有難う御座います。返信を拝読して「nomaneko25 さんの中に、女性蔑視・男性優位視が根付いている」ように感じられました。 男性の結婚の動機としてセックスが大きな部分を占めます セックスが第一目的の男性は、結婚という縛りを作らず、自分が勃起する間はセックスパートナーをとっかえひっかえして生きていますよ。 性器結合だけの貧しいセックス観しか持っていない人は、性別や婚姻に関係なく体に飽きれば捨てられます。 慰謝料などもだいぶ女性に有利なようにできていると思いますが? 金額はそうでしょう。しかしながら、実際に支払う男性がどの位いると思いますか ? 全体の1割もいません。親権も渡したくない男性がいても、現在の封建的な調停員や裁判官は、子供は母という役割をする女性が育てるものという考えから、親権など不要という女性に負わせていることもある。しかも、養育費を支払っている男性ともなると、5%を越えたことがありません。 専業主婦を望むこと自体が我侭だと思いますけど。 子供を産まない選択をしても我侭ではないし、専業主婦を望むのも我侭ではありません。それを望む男性は多く、理想の結婚生活と思い込んでいる男女も多くいます。セックスをするかどうか、結婚するかしないか、子供を持つのか持たないのか、持つなら何人にするかは、自分の責任、若しくは自分とパートナーの責任で決めることで、我侭でも勝手でもありませんし、攻撃材料に利用するものでもありません。 結婚という形式に囚われているから子供を産みた くても産めないということもあると思います。 そうですね。婚姻という制度と妊娠・出産・子育てとは別物なのですから。でも、この未熟な社会ではその制度に乗って人生を送らないと、自分の子供にすら責任が持てない未熟な人間が多い訳です。nomaneko25 さん風に言えば打算的・強制的を、愛というオブラートで誤魔化して少子化を盾に、自分と違う立場に向けての攻撃材料にするという構図で成立しているのが、この現状なのですよ。 nomaneko25 さんも、その部分を提起しての質問をしたのではなかったのでしょうか。自由意志の生き方や希望が違うことを我侭と片付けるのなら、独身で子供を育てないことを攻撃することと同じ。そこからは何も生まれてこないのでは。
お礼
>男性の結婚の動機はセックスが第一ではない 男性にしても性欲だけでなく愛しているから結婚するんでしょうけど、 もしかしたらその愛ってのいうのも性欲がオブラート化されたものかもしれない。 奥さんが年をとって性の対象にならなくなったら飽きてセックスレスになり風俗遊びに走る男性も多いでしょう。 このような現実を指してあえて「セックスが結婚の動機の大きな部分を占める」と書きました。 とは言え基本的に性欲の処理と結婚は重なる部分はあれど別物でしょうね。 先のお礼にも書いたとおり性欲処理だけしたいならば、ずっと独身でいて風俗に通ったほうが安上がりでしょう。 >専業主婦を望むことは我侭ではない いろいろな生活形態があるので、確かに一面だけ見て我侭と決め付けるのは勝手だったかもしれません。 専業主婦の中には、大変な苦労をして子育てをがんばっている方が多いとは思いますが、 社会的責任を放棄している方も少なからずいるように思えるので。 私の祖母は5人生んでなお60歳まで仕事をしており、 経済的にも家計を助けていましたから、そういう実例を見ていると、 子供が一人もいない・1人しかいないのに勤労・納税をしていない方は日中夫や子供が会社や学校に行っている間家で何をしているのか?と甚だ疑問に思う、 というのが率直な気持ちです。 >制度に則る やはり一夫一妻制・婚姻の元に子育てをするという形式しか認められないのですかねえ。 確かに、制度で守られていないと、社会的立場を保てなくなりますからね。
hyuuma8579さんの意見に感動しました。 どうすれば良いのか考えてみました。参考になるかは分かりません。 名目的に子供の数を増やしても肝心の国民の幸福を奪うようでは、何のために国家が存在しているかわからない。 そうですね。しかし子供の数がこのまま減り続ければ、国が滅びてしまう。そうなれば国民の幸福どころか、生活すら危うくなりますから、それではいけません。 仰る通り、自発的結婚が増えれば良いですね。 日本国民であり様々な恩恵を受けている以上は、次の世代に国を引き継ぐ事が義務なのだと思います。それで自由が得られる。 仰る通り、様々な事情で独身の方々は、仕事を頑張ってたくさん税金を納めてもらえば良いのだと思います。 そこでまず何故少子化が起こっているのか。本当に少子化は強制結婚・打算結婚絶滅によるものでしょうか? 僕は本能としての性欲、性交、快楽の先にあったはずの命の誕生、これが阻まれている事にあると思います。 その原因は何か、快楽に浸る為だけに使われている避妊、堕胎技術、技術の発達に人が付いて行けていない、忘れられている事によるものだと思います。 これが現代の自由恋愛でどう使われているか、皆セックスはしたくても責任を伴う恋愛・結婚・出産はしたくありませんよね。 と仰る通り、快楽には浸りたい、しかし経済的負担や社会的責任は負いたくない。 そして残念ながら、何かをされる、受ける側の女性は、性欲処理の道具になっている場合もある。 相談、捕捉から察すると、この様な事がnomaneko25さんの周りにも見受けられる様になっているのかもしれません。 技術を使う事は、人の生き方を変える事です。それだけに慎重にならなければいけないのだと思います。 それだけに婚前交渉の正当化、快楽に浸る事を助長させる様な性教育は改め、単に性感染症の拡大を防ぐだけでなく、 女性が性欲処理の道具になる事を防ぐ為にも、セックスは軽々しいものではないと言う事、愛の重みを伝える教育は必要かもしれません。 また性欲、性交、快楽の先にあったはずの命の誕生を阻む技術を生み出した訳ですから、本当に大変だとは思いますが、 本来的に利己的な生き物なんでしょうね、人間てのは。と仰る通りですから、 子供を生みたいと思える、親になる喜びを感じられる様な国にする為に、大胆な支援が必要なのかもしれません。 そうする事によって自由恋愛を保ちながら相手と心で向き合える様にする、それで自発的結婚が増えませんかね。
お礼
>本能としての性欲、性交、快楽の先にあったはずの命の誕生、これが阻まれている 食べたい寝たいセックスしたい だけであって、その結果(生命活動の保持・子作り)まで望んでいるわけではないですからねえ。 動物なんて何も考えないからぽんぽこ子供産みますよね。 産んだら産んだで子供を愛し育てますから、 自分の子供を虐待したり殺したりする人間より高等なんじゃないかと思ったりします。 知性と理性を持つゆえのジレンマと言えますね。 >性欲処理の道具 >愛の重みを伝える 結局、売春でないセックスなんて存在しないと思うんですよ。 女性が男性から受け取る対価がお金でなくて「愛情」であっても、 それでも売春であることに変わりないと思うんです。 だから、セックスは男と女の資源の交換であるという現実に向き合った上で、 男と女がどう交渉して結婚という契約を成立させるか、 「あたかも商談のごとく」考えることの方が重要なのかな~と思います。 比喩的に「商談」と言いましたが、関係を媒介するものはお金ではなく愛情であるべきです。
補足
>子供を生みたいと思える、親になる喜びを感じられる >自由恋愛を保ちながら相手と心で向き合える 結婚は労働のようなものだ、といったとおり、 家庭の運営というビジネスを行うことだと思うんですよね。 そのビジネスパートナーを見つけることが就職に相当すると。 恋愛ってコミュニケーションだと思うから、 単純に学校や職場で男女のコミュニケーションの機会を増やせばいいと思います。 それも、従来のような「女性は補助業務・花嫁候補」ではなく、 目標を共有し競争し助け合う「戦友」としての関係を結べるような環境を作ればいい。 とにかく何か一緒に仕事をさせるのです。 そこに恋愛感情が生まれれば、自然とその延長線上に家庭を築くようになると思います。
お礼
私は最初から愛されていなかったんですよ。 確かに、セックスだけで愛を作るのは無理です。 体という「入れ物」なら他の人間でもいいわけで、 その人そのものを愛しているわけではないのですから。 ただ、セックスが関係の潤滑油になるということはありますよ。 たとえ相手が愛していない人であっても、肌のぬくもりを感じあえる、 存在を確認できる、これだけでも幸せなことだと思います。