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少子化は強制結婚・打算結婚絶滅の必然の帰結では?

タイトルのとおりです。 独身・子供を育てないことを「わがまま」「利己的」と言って非難する子持ちの方が多いですが、 これは一昔前までのお見合いのような「強制結婚」、男女雇用機会均等法以前女性が自活できず不本意な相手とでも生活のために結婚せざるを得なかった「打算結婚」が消滅してきた(それでもまだ残存していますが)ことの当然の帰結ではないでしょうか。 愛し合ってもいない者同士無理やり結婚させて子供を産ませていた時代の価値観が前近代的なものだと思いますが。 女性は出産の名分の下に望まぬセックスを強制され、男性にしても家庭を養うためという名分の下に資産を搾取されていたわけですよね。 当人同士の純粋な愛情の上に成り立つ結婚が主流になったという点で、 憲法にも定められている「婚姻の自由」「両性の平等」に照らしても、望ましい姿だと思います。 結婚しない、子供を産まない人は「わがまま」「利己的」でしょうか。 結婚したいと思えるぐらい愛する人と結婚できる人など、全体の中のごく一部ではないでしょうか。 誰だって、愛する人の子供を産み一生添い遂げられたらめたらどんなに幸せでしょう。 その幸せが叶わなかったことを「わがまま」と非難したところで、本人にどう仕様もないと思いませんか? 努力が足りないからというきれい事を唱えても何も問題は解決しません。 努力が確実に反映される学業や仕事と違って、恋愛は天性の性的魅力に依存する部分が大きいです。 女性が「対価なしでセックスしたい」と思える男性は、10人いたら2、3人ぐらいでしょうね。 残りの7、8割の男性とあえて結婚しない女性が増えたから少子化が増えている、わがままでも何でもない、望まぬ性交を強いられない「性的自由」の行使の結果です。 男性にしても、性的対象にならない女性とのお見合い結婚を強制されたら、国のためにと言っても不服だとは思いませんか? 強制結婚の消滅は20世紀の日本の進歩の一つです。 21世紀の課題は、自発的結婚の増大です。 名目的に子供の数を増やしても肝心の国民の幸福を奪うようでは、何のために国家が存在しているかわかりませんよね?

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noname#91465
noname#91465
回答No.28

 頑張るしかないと書きましたが、付け足します。愛と言うものが何なのかは、nomaneko25さんの感じ方があると思いますが、少なくとも女性が幸せになるには、相手の男性の愛が本物かどうか見分けられないといけないと思います。おそらく飽きたら捨てられるのは、嘘の愛だったからではないですかね。でも全ての男性がそうではないと思いますよ。愛を深めると言う事は、愛があって初めて深められるのではないかと思います。  それからたまたま出てきたのが先に紹介した本のレビューでしたが、他にも関連して色々ある様です。そういうのも、本など、参考になるかもしれません。あくまでもあの本自体は読んでいないので推薦はできません。  それと、子供を産む事が社会的責任だと書きましたが、そういう事もあるとは思いますが、仰る通り、愛している人の子供を自然に産む事が最善ですね。またそういう社会にしていく事が社会的責任かもしれませんね。語弊がありました、すいません。

nomaneko25
質問者

お礼

私は最初から愛されていなかったんですよ。 確かに、セックスだけで愛を作るのは無理です。 体という「入れ物」なら他の人間でもいいわけで、 その人そのものを愛しているわけではないのですから。 ただ、セックスが関係の潤滑油になるということはありますよ。 たとえ相手が愛していない人であっても、肌のぬくもりを感じあえる、 存在を確認できる、これだけでも幸せなことだと思います。

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noname#233306
noname#233306
回答No.18

 こんばんは。 ? があったので私なりの答えを出しますと、 その男性を束縛する枷が欲しかったんだ  妊娠を手段にする女性は多くいますね。私は、性をきちんと教えられなかったことの犠牲者と思っています。だから性教育してるんですけどね。性教育は生教育なんですよ。その人が自分の人生を生きる教育なんですね。性教育を受ける中で、自分の文化の生と性を構築できるように。 男性は経済面ではむしろ結婚して子ども持つ方が負担大きいですよね? 結婚してもいいことは一つもないのでは?  これは人間が社会的な動物だからと言えますが、経済面の負担を強いられているのは、むしろ女性と言えるのが現代です。専業主婦を望んでも実際にはパートででも働かなければならない。離婚しても慰謝料は愚か養育費さえ支払われず、全て母という女性に押し付けられていることが物語っています。  結婚して良いか悪いかも、視点によって大きく違うものです。制度に則って結婚すると他者からの冷ややかな視線を受けることが無く、制度を無視して結婚しないと社会の責めの視線を受けてしまう。どちらを選ぶのかは本人次第ですが、前者で離婚するよりも、後者で幸せに子供も作り幸せな家庭を継続している人もいますから。 女からすれば子供は自分のお腹から出てきた分身だけど、 男の人にとっては、もしかしたら他の男性の子供かもしれない。 何で本能的にかわいいと思えるのかな。  これが人間ならではの婚姻制度(家と家の結び付き)です。他の動物は、性別の性と生殖の性しか持たないから、契約しなくても不安がないのですが、人間は、結婚という一つの形で契約していないと、家の血筋かどうか、自分の子供かどうか不安になるのです。

nomaneko25
質問者

お礼

>妊娠を手段にする女性は多くいる 人間の愛情など不確実なものなので、子供という「人質」を作りでもしないと相手を逃してしまう恐れがあるから、です。 端的にいうと、男性の結婚の動機としてセックスが大きな部分を占めますが、 奥さんが年を取ったらセックス対象としての魅力は減るので、 そうなると旦那さんに捨てられる可能性があります。 その予防策が子作りなんでしょうね。 >経済面で負担を強いられているのは女性 うーん、そうですか? 母子家庭手当てはあっても父子家庭手当てはないし、 慰謝料などもだいぶ女性に有利なようにできていると思いますが? 離婚した際も8割のケースでは母親に親権が与えられて、父親は養育費を負担するだけだし。 専業主婦を望むこと自体が我侭だと思いますけど。 5人も6人も子供を育てているとかでもない限り。 >制度を無視して結婚しない >結婚という契約をしていないと不安 先のお礼にも書きましたけど、結婚という形式に囚われているから子供を産みたくても産めないということもあると思います。 別にシングルマザーでも不倫相手の子供を産むのでもいいと思うんですよね。 女性が打算抜きで「セックスしたい」と思うような男性はごくごく一部なんですから、 その極めて魅力的な男性がたくさんの女性に子供を産ませるのでもいいと思うんです。 どの道、愛もない形式だけの家族も多いし片親家庭もすごく多いんだし。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.17

たとえば、一つの案として、こういうのはどうでしょうか? 老後問題と、少子化問題、幼児虐待などが、半ば同時に解決できる案だと思いますが・・・ それは、一定の年齢(たとえば、25歳)に達した時から、「子供はその親に毎月、一定の金額を納めることを義務付ける」ことにする。義務とはいっても、親子という、水入らずな関係だからこそ、無理強い的な義務ではなく、親孝行を具体的にやれるという、喜びを伴う主体的義務となることでしょう。親側も、よりたくさん産もうとするだけではなく、子供から恨まれるようなこともできなくなり、いかに、子に尊敬される親になるかを真剣に考える人生になることでしょう。子供を産めば産んだだけ、大切に育てれば育てただけ、自分の老後に憂いはなくなることでしょう。親子ですから、義務で蓄えたお金を、子供達に還元することもまた自由であることは言うまでもありません。子供を産めない人は、多く産んだ家庭から、養子をもらってでも自分の子供を得ようとすることでしょう。死角は少ないと思いますが、如何でしょうか?

nomaneko25
質問者

お礼

ふむ、なるほど。いい案ですね。 私が考えているのは「年金制度の一律廃止」です。 よく「子供を持たない人間は、次世代の稼ぎから年金を受け取る権利はない」と主張する人がいますが、 子無しでも、勤労・納税という形で次世代の育成にかかるコストは負担しているし (教育・司法・警察・防衛・医療・道路・公園など公共制度・政策・インフラの利用料を子供や専業主婦は払っていません。 独身者はその肩代わりをしています。)、 少なくとも自分が現役時代に払った保険料を還付してもらう権利はあるし、 現今の賦課方式でなく完全積み立て方式にするか いっそのこと、年金制度を子供のあるなしに関係なく一切廃止すればいと思います。 こうなると逆に、老後の生活の保障を国に頼れないので、家族に面倒を見てもらうために子供を産む人は増えると思います。 また現今の制度下では、専業主婦など保険料を払っていない人間も年金を受け取っており、 この負担も他の納税者が肩代わりをしています。 この不公平を解消するという意味でもいい対策だと思いますが。 この方法にしても結局お金を餌に子作りを促すことに変わりないのですけどね。 私が願っているのは「純粋な愛情のもとに家族を作る」社会の実現なのです。

  • hyuuma8579
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回答No.16

それと、気になったのは、貴方様は、日本の国策に関心を持っておられるようですが、そういう方面の仕事に関わっていらっしゃる方か、もしくは、そういう仕事をやりたいと願ってらっしゃる方でしょうか? 貴方様のおっしゃりたいことや問題点は、役人や専門家が当然はるか以前からよくよく、考えてきたことに違いありません。 確かに「木を見て森を見ず」という言葉が示すように、大局を見る視点の大切さは、言うまでもないことと思います。しかし、大河も水の一滴一滴が、集まってできたものですから、身近でできる精一杯をやることが、我々の最低の責任とも言えると思います。 国を憂う気持を持つことは、悪いことではありませんが、どんなにこうしたいと思っても、水一滴が、すぐに、全体の流れを変えることはできません。もし、ここをこうすれば、もっと良くなるとわかっていらっしゃるなら、それを実現すべく、まずは身近なところから、あらゆる努力をするべきでしょう。その努力は、単なる水一滴から始めたことが、いつの間にか小さな川になっているかもしれません。そして、いくつもの川が合流することで、いつしか、大河の流れを変えることが出来る時がくるかもしれませんね。 その方が、単に大局を分析して終わるだけより、はるかに、実のあることではないでしょうか?

nomaneko25
質問者

お礼

直接国策に関わるようなことはしていませんが、仕事はしていますよ。 仕事は、お金よりも、自身の存在確認のためにやっていますね。 で、もう一つ、仕事以外に皆「家庭」に帰属することで、存在証明を行っている。 帰属すべき家庭を持たない人間は、かたわもの(差別用語ですが)なのか、という不安はあります。 少子化問題は「合成の誤謬」ですね。 現今の家族制度を擁しつつ、人権を侵すことなく国を維持するのは不可能なのではないかと思っています。

  • hyuuma8579
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回答No.15

ああ、やはり、誤解しましたか。 私の最後の言葉をよく、読んでみて下さい。 どう、書いてありますか? 「私の言った言葉には囚われないで下さい」とわざわざ、断り書きを入れたのは、 貴方様の、そういう傾向を質問文から見てとったからです。 基本的に貴方は、言葉に囚われ過ぎる傾向があるため、言葉に囚われ過ぎれば、今度は、 貴方が、「語るに落ちて」しまうのですよ。 ま、こんなことはどうでもいいのですが、とりあえず、貴方様の誤解部分だけは、解かせて頂きます。 まず、貴方様の指摘で「あなたのおっしゃることは現実では通用しません。 無理無理にでも結婚しろと言いますが、 無理無理他人と同居を強いられて セックスを強制されて妊娠させられたり 勝手に自分のお給料を他人の生活費に充てられたりしたら、 皆法律に訴えるでしょう。 他人の身体や財産を侵犯するのは犯罪です。 愛を磨くどころの話ではありません。」・・・貴方様のおっしゃることは、全くもって同感です。何ら、そこに否定や反論の余地はありません。誰もが納得することでしょう。 では、何故私が、無理無理にでも結婚せよと言ったのか、これは、あえて逆説的に言ったのです。つまり、今の時代、「無理無理に結婚しろ」と言ったり、「はい、そうですか、その通りにします」と答える人こそ現実的には存在しないことでしょう。存在しないからこそ、あえて、そういう言い方をしたのです。つまり、(純粋な)結婚の大切さを強調したに過ぎません。あまりにも安っぽくなった今の結婚観に対して、「無理強いされても感謝できるほどの素晴らしいことが=本来の結婚なのだ」ということを強調したかっただけです。 わかり易い例で言えば、例えば、金額は、何億円でもいいですが、「このトランクに5億円入っている、これをもらうことを貴方は否定できない、無理にでも受け取らねばならない」という場合、もし、お金の価値が知らない人がいたら、その人にとっては、重いし、無理強いになることでしょう。「そんなもん、いらね。それでも、もらえっていうなら訴えてやる!!」しかし、いくらそのトランクが重いといえど、お金の価値を知る人から見れば、無理強いであっても、もはや嬉しいだけのことです。「へえっ!!こんな大金を・・・ええっ!!くれるっていうんですか?信じられない!!」つまりは、無理強いとは、呼べないのです。結婚の素晴らしさは、その比ではありません。問題は価値を知っているか否かです。私が「無理無理にでも結婚しろ」といったのは、当然結婚の素晴らしさを知っていることが、前提だからです。結婚を本当の無理で終わらせるのも、無理どころか、とんでもない素晴らしい宝箱にできるのも、そのカップル次第なのですから。 それと、「金銭的対価がなければ人は動かないでしょうね。」・・・これもその通りです。 つまりは、現代人は、結婚の価値は知っているかは別として、少なくとも金銭の価値は知っていると見ていいでしょう。 貴方様が、私の言った言葉に反応して、上述のような反論を述べたい気持はわかりますが、それは、同時に語るに落ちたともいえるのです。 第一に、私の言葉の真意がわからないことによる、誤解、曲解であることを露呈したこと。 第二に、貴方様の価値観が、金銭問題に支配される程度の乏しい結婚観しか持っていないこと。 第三に、私の親切な忠告を読んでいなかったこと。(貴方様には一番必要なことだったかも) ただ、そういう貴方様だと知りながらも、言葉を選ばなかった私にも過失があることは、間違いないので、この場を借りてお詫び申し上げます。

nomaneko25
質問者

お礼

結婚は労働と同じようなものだと思います。 労働には金銭面以外の価値もありますね。 宝くじが当たって一生遊んで暮らせるお金が手に入った、仕事を辞めるか。大半の人は辞めないでしょう。 仕事を辞めたら自分が何のために存在しているか分からなくなるから。 結婚にも同様の、お金だけでは測れない価値があるんだろうとは、思います。 結婚は就職と似ています。 第一希望の会社に就職できる学生はごく一部です。 愛する人と結婚できる人はもっと稀少でしょう。 仕事はしないと生きていけないしビジネスライクな関係なので不本意でも割り切ることは容易です。 結婚は、しなくても生きていけるし、「生活」「セックス」という最もプライベートな部分を形成するから、結婚について割り切るのは困難なのでしょうね。 いや、「割り切る」ということは「お金のため生活のために心を殺す」ことだから、「割り切った」瞬間に結婚の本来的な意義は失われてしまうのだと思います。 人間は仕事をすることで自分の存在理由を確認します。それは金銭以上の価値を持ちます。 しかしそれは金銭的対価が得られてこそ実現するものです。 結婚・出産育児を賃労働にすれば、結婚出産する人は増えるでしょう。 家庭を運営することに自身の存在理由を見出し、それが当初目的としていた金銭的対価以上の価値を持つようにもなるでしょう。 しかし「結婚」「子育て」は「愛という金銭に換算できない価値があるからこそ尊い」と考えられている。 政府が結婚を賃労働化した瞬間に、結婚の本来的価値を否定することになりますね。 誰も結婚が素晴らしいものだと思わなくなるでしょうね。 難しいですね。

noname#233306
noname#233306
回答No.14

 こんばんは。再度のレス、有難う御座います。  経済的社会的利益を得る手段として子供を産む人もいる  これは、構築できていない文化の性に、生殖の性を絡めてしまったからでしょうね。だから、虐待したり捨てたり売り飛ばしたりもするし、子孫繁栄というスローガンにしてみたり後継ぎの為に子生みの道具扱いをしたり、育児を片方に押し付けて養育費すら出さなかったり(育児放棄)、産めないと責められるて簡単に代理を求めるし、結婚したいだけで簡単に妊娠するし、きりがないほど問題を作り出していますよね。  そこに、愛だの人権だのを持ち込んでも解決できないのは、やはり貧しい性しか生きていない、生かされていないと言えるのでしょう。国の為に、国民を生み出すのではないし、不幸な子供を生み出して不幸な国家が出来上がるのでは、その存在は不要ですね。

nomaneko25
質問者

お礼

愛する男性の子供を産みたいと思ったこともあった、と書きましたが、 ひどい言い方ですが、子供が間にいたらその男性がずっと自分のそばにいてくれると思ったから、 その男性を束縛する枷が欲しかったんだと思います。 枷があれば子供じゃなくてもほかのものでもよかったんだと思います。 でも私だけでなく多くの女性が同じ思いで子どもを作っているだろうとは思います。 逆に男性がなぜ子供を持ちたいのか聞きたいですね。 今は後継ぎとか世間体とか余計な干渉もないし、 男性は経済面ではむしろ結婚して子ども持つ方が負担大きいですよね? 独身でいれば稼いだお金を全部自分のために使える、財力を利用して若い女の子をとっかえひっかえ抱くことだってできる。 むしろ結婚しない方が性欲を満足させられます。 結婚してもいいことは一つもないのでは? 女からすれば子供は自分のお腹から出てきた分身だけど、 男の人にとっては、もしかしたら他の男性の子供かもしれない。 何で本能的にかわいいと思えるのかな。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.13

すみません・・・誤字があったようです。中断頃にある「夫婦愛とは、兄妹愛及び姉妹愛、あるいは、父娘愛及び母息子愛などの家庭の中での異性間の愛では、許されなかった「性関係」が、唯一許される特別な関係なのです。・・・・・」中の姉妹愛は姉弟愛の間違いです。

  • hyuuma8579
  • ベストアンサー率29% (326/1097)
回答No.12

相対的善悪でいえば、打算的結婚や打算的出産よりも打算的非結婚や打算的非出産の方が悪だといえましょう。 自然界の極小から極大に至るまでの全ての存在階層において、プラスとマイナス、陽陰相引き合う関係を見てもわかるように、本来、人間の男性と女性も、ごく自然に引き合い、結婚して一体となって、最低の安定形態である「家庭」という最小社会を形成するのです。 したがって、「家庭」は社会の縮図であるのです。同時に「家庭」の拡大的展開が「社会」です。社会は、広い故に、いろんな人間関係の宝庫でもあります。しかし、どんなに多くの人が存在し、それらの個性が無限であろうとも、性格には一定のタイプがあります。表現方法はいろいろありますが、たとえば、春夏秋冬の4型や血液型による4タイプ分類法、12タイプ分類法etc.ここで何故、この話をするのかはお察しの通りです。社会でどんな人間とでも関係性を良好に持つためには、家庭で予行演習できたほうがいいと思いますか?思いませんか?そうです、本来子供は12人以上いた方が、子供の成長や将来のためになるのです。例えば12人兄弟で、自分がどのポジションに生まれるかで、様々な感情や関係性の妙を、頭ではなく、肌で思い知ることができるでしょう。 厳しい長男がいると思えば、なぜか自分をいじめる五男がいる。かと思えば、自分にいつも甘える七男やかわいい三女がいる。あるいは、どうして、三男と四男は喧嘩するのかを考察できる。姉御肌の次女に対して母のような寛大で優しい長女・・・etc. この環境でどれほど、自分という人間が、多くを学び、愛を豊富にすることができるでしょうか? 12人いれば、12人のどのポジションにおいても、得ることに飢えることはないでしょう。12人といったのは、ものの話であって、子供をたくさん産むに越したことはないのです。ですから、肉体的理由などの特別に困難な場合、つまり、産みたくても産めない場合は別にして、 子供を産む価値に勝る「産まない動機や目的」の存在は到底、想像できないのです。ですから、結婚しないとか子供を産まない生き方があるとすれば、それがわがままであるとか利己的であるとかの前に、「かわいそう」とか「人生がもったいない」とか「人生の大損」・・・こっちの方が真っ先に思い浮かびますね。始めに相対的悪といったのは、同じ強制や打算でも、結婚しないよりした方が、産まないより産んだ方が、より自然だからです。自主的結婚が一番いいですが、強制結婚や打算結婚は二番目で、一番悪いのは、自主的であろうが、強制的であろうが、打算的であろうが、「結婚しない」ことになります。「子供を産まない」ことも同様です。単純に、自然界の法則を無視しているからです。つまり、不自然だということです。不自然には必ずどこかに無理が生じています。また、存在基盤が脆弱になるし、精神的不安をまねいたり、負わなくてもいいリスクを背負う行為です。 それと、貴方様のおっしゃっている「結婚したいと思えるぐらい愛する人と結婚できる人など、全体の中のごく一部ではないでしょうか。」と 「誰だって、愛する人の子供を産み一生添い遂げられたらめたらどんなに幸せでしょう。」これは、発想が逆になっています。真実は、夫婦間において、出発点の愛のあるなしは、あまり問題ではありません。むしろ結婚は「愛を磨くために結婚する」「自分の愛を深め強めるために結婚する」「結婚を通さなければ愛は得られない」それが、結婚する理由だからです。・・・「自分という作品」を作るには、途中までは、一人でも成長できるが、もはやどんな本を読もうとも、どんな博士や師匠に師事しても、一人で到達できる限界点がやってくる、すなわち、愛だけは、自分ひとりでは、完成できないのです。人間界における極と極、最も異質なもの同士、即ち男女間の結合だけは、「真の愛」が現れなければ、不可能なのです。男と女という極と極が一つになる時、またなろうとする時、「愛」を獲得してゆけるのです。ですから、貴方様の言うように、愛し合って結婚するのはいいとして、結婚してからが、むしろ、愛を豊富にしていかなければならないし、また、愛を磨く道場は結婚(夫婦)以外にないのです。もっといえば、結婚のスタート時点に愛があろうとなかろうとどっちでもいいのです。そこから始まるわけですから・・・そこから、どんどん愛を大きくしていけばいいのですから・・・むしろ、悲惨なのは、始めは愛があったのに、「こんなはずじゃなかったのに」と段々愛が減っていく場合です。ですから、見合いだろうが、強制だろうが、まずは、「結婚」して夫婦になるという形が重要です。独身では、夫婦には勝てないからです。もし、生涯独身なら、=人生の敗北者という烙印が押されてしまうのです。どんなブスであろうと(女性のみなさん、失礼なことを申し上げて、すみません)夫婦という形を得たものに勝るものはありません。強制でも、無理無理でも、結婚するのです。夫婦という形が「人間の最小単位」であって、独身では、「人間」と呼べるかどうかもわからないからです。人間と呼べるのは、「夫婦」単位以上といってもいいかもしれませんね。人という字にしても、人間という言葉も、人はみな「関係」を前提にした存在なのだと明示しています。愛を一番成長させるには、愛が発動するしかないところに、自分を追い込む以外ないのです。 特に男と女は、異質な者同士ゆえ、一つになるのは、最も困難な組み合わせ・・・それを一つにするには、「愛」を使うしかないではありませんか?愛なくして、夫婦が完全に一つになることはできないのです。つまり、自分の中に無い、あるいは少ない愛を搾り出すようにして相手を愛する時に、愛は、徐々に成長してゆくのです。夫婦愛とは、兄妹愛及び姉妹愛、あるいは、父娘愛及び母息子愛などの家庭の中での異性間の愛では、許されなかった「性関係」が、唯一許される特別な関係なのです。夫婦関係が主体ではなく、唯一その関係を通さなければ「愛」は現れないのです。性関係が主体なのではなく、それを通さなければ「愛」は現れないのです。愛は、身も心も完全に一体化した場合のみ顕現するのです。即ち、愛という人生の最大のテーマにおいて、その愛を見聞きし、知る場所は、夫婦しかないのです。つまり、主体は何か?夫婦を持つことでも、セックスを通して快楽を得ることでもありません。あらゆる存在の中で、最大にして最強不滅の存在である「愛」が主体なのです。肉体のみの距離ゼロ(=性的一体化)だけを抽出しても、意味や価値はありません。性交が唯一意味を持つのは、それを通して愛をつかむか、その愛の結晶としての子供を残す場合だけです。よく、学校問題で自殺などの事件が起きた時、校長先生などが、「命の尊さ」発言をしていますが、では、何故命が尊いのかは答えられないことでしょう。 答えは簡単です。「命を生み出した愛が尊いから」となります。命の前に、愛があるからです。愛という原因なくして命という結果は生まれなかったのです。つまり、命よりももっと尊いのが、愛なのです。その尊い夫婦愛の結晶だから、子供という命もまた尊いのです。だから、いい加減な夫婦生活や、酔った勢いでセックスして子供を産んだ人間からは出てこない言葉なのです。仮に、逆にそういう経緯で世に生まれた子供がいて、自分が生まれた本当の経緯を知ってしまったとしたら、その子供はその時こそ、自殺することでしょう。愛のない命には意味が無い、価値がないことは、誰でも知っているからです。自殺しないまでも、死んだも同然になることは確かです。それぐらい、愛のあるなしは、生き死に直結したものなのです、いい加減な夫婦関係やいい加減なセックス、愛のない関係はやめましょう。・・・ですから、命の尊さや、それが何故尊いのかは、自分自身が、自分の夫婦が愛で結ばれていてこそ、初めて言える言葉なのです。いくら、校長先生が、先生としてりっぱでも、家庭に帰ったら夫婦喧嘩では、りっぱとは呼べないのです。 ですから、人生の主体は、まず存在基盤としての夫婦関係を持ち、(もちろん、子供がいれば、子供との親子関係、兄弟関係も愛を熟させなければなりません)家庭さえ、愛でうまくまわるなら、あとの社会に出てからの関係は楽です。すいすいす~いってね!子供が一人っ子の場合も大変です。親子関係は知っているから、会社や、社会の目上と目下の間の関係はうまくいくかもしれませんが、兄弟関係は知らないし、いろんなタイプを知らないので、社会に出てから擬似兄弟的な関係を学んでいかなければならないという逆転現象が起きてしまいます。そういった子供の苦労を考えたら、子供を産まないよりは、まだましだとはいえ、罪深い親であることは、否定できません。一人産むなら、せめて三人ないし四人は最低産んであげないと・・・犯罪に近い所業といえますね。子供に負わなくてもいい苦労を与えてしまっています。 家庭は社会の縮図といいましたが、愛という視点から言えば、家庭で得た愛の業を単に応用展開すればいいのが、社会になります。家庭の中で夫婦、親子、兄弟が愛の関係で、強く、深く、濃く、結ばれることを知る者は、社会に展開する、あらゆる愛の基本をマスターしていると見做すことができるのです。したがって、友愛、恋愛、師弟愛、和愛、愛校心、愛社精神、忠誠心、地域愛、郷土愛、同胞愛、愛国心、博愛、地球愛、etc.全てに通ずることができるのです。あらゆるものと関係を持ちたいのが、人間です。難しい者同士が・・・・距離が遠いもの同士が・・・異質な者同士が簡単に一つになることはできません。しかし、どんな垣根でも、一瞬にして払拭できるものがあるとすれば、それが愛なのです。二つのものを一つにできるものは、愛以外ないのです。愛の中では、二人は存在しないのです。私即貴方、貴方即私になるからです。二元性の壁を破ることができるのは、唯一愛だけなのです。 よって、人生、一人で生きるメリットはないのです。誰かと関係を持つことがより、賢明なことです。しかし、関係を持っただけでは50点です。関係のための関係ではなく、愛のための関係だと知り、愛を最上位に置いた者のみが、真の幸せを見た者、知った者、得た者だといえるのです。即ち全ての主体・・・主体中の主体は『愛』なのです。 なんか、くどくど同じこと言ってしまった感じです。 私の言った言葉に囚われるというより、貴方様の感性で理解してみてください。

nomaneko25
質問者

お礼

あなたのおっしゃることは現実では通用しません。 無理無理にでも結婚しろと言いますが、 無理無理他人と同居を強いられて セックスを強制されて妊娠させられたり 勝手に自分のお給料を他人の生活費に充てられたりしたら、 皆法律に訴えるでしょう。 他人の身体や財産を侵犯するのは犯罪です。 愛を磨くどころの話ではありません。 金銭的対価がなければ人は動かないでしょうね。 結婚して子供を産むことに対して数千万円払うとかしない限り結婚する人は減る一方でしょうね。 でもこれは愛を磨くのとは程遠い行為ですね。愛ではなくお金のためなんだから。 好きでもない人とは一億もらっても結婚しないという人も少なくはないでしょう。 結婚しない人が増えて困るのは次の世代がいなくなって日本人が消滅するから。問題はそこだけでしょ? 夫婦の愛が家族の愛がとか唱えている間にも少子化は進み 生産力は減り社会保障制度は圧迫され国力は低下していきます。 いっそのこと精子バンクや代理母を用意して人工授精をして各自自分の子供を育てるようにしたらいいんじゃないですか? どの道今は離婚する夫婦ばっかりで片親に育てられる子供がすごく多いのだから。

noname#233306
noname#233306
回答No.11

 こんばんは。レス、有難う御座います。 「愛のあるセックス=子作りを目的としたセックス」 「愛のないセックス=子作りを目的としない快楽のためのセックス」  それを完全に切り分けられないというのはちょっと違いますよ。愛とセックスも別物ですから。人間には3つのセックスがあります。一つは生物学的な性(性別)、二つ目は生殖の性(妊娠・出産・育児)、三つ目は文化の性(愛情表現としてのセックス、親密なコミュニケーションとしてのセックス、共有する特別なプライバシーとしてのセックス、ポルノグラフィや AV や売買春といった商売としてのセックスなど)。  問題は、人間だけが持っている三つ目の文化の性にあるのです。それをきちんと確立できなかったことが根底にあると考えています。その文化を制度が利用したのだと。

nomaneko25
質問者

お礼

ふむ、納得です。 子作りを目的としたセックス =「生殖のセックスかつ愛情表現のセックス」 もしくは「生殖のセックスかつ商売のセックス」 となると思います。 ここで商売と言ったのは、経済的社会的利益を得る手段として子供を産む人もいるからです。

noname#233306
noname#233306
回答No.10

 大事な事柄が抜けています。絶対的な性差です。それがある以上、国の在り方や社会の近代化などよりも、もっと以前の変化しえない性差をどう扱うかが重要です。  結婚しない、子供を作らない・生まないのはわがままでも利己的でもありません。結婚と妊娠・出産という別物を混同することから生じているのが nomaneko25 さんの指摘されている一つの側面です。  結婚という家制度の上に成立するのが、妊娠・出産という後継ぎ(特に男子)を生み出すこと。それは性差を利用した制度意外の何者でもありません。動物としての本能をいけないことのように扱って、性をきちんと考え確立してこなかった結果を、少子化という問題に摩り替えてしまえば簡単なのですね。結婚して子供を持っている人には保障が与えられるから安心でき、結婚しない、子供を産まない選択をした女性を非難するという構図が出来上がるのです。  周囲を見回してみれば、何故子供が欲しいのかと聞いても、しっかりと答えられないのが証明しています。制度が刷り込まれていて、結婚を意識されられお見合いを勧められたり、恋愛していればそろそろ適齢期だしと結婚し、妊娠すれば生む。望んでいない妊娠の結果、できちゃった結婚をする。 離婚すれば、親としての責任も果たさない。まるで、ベルトコンベアーに乗っている人生が殆どではありませんか ?  もっと、自分の性に向き合って、人間を生み出すというのがどういうことなのか、根本を一人一人が自覚してほしいものです。

nomaneko25
質問者

お礼

>絶対的な性差 そうですね、基本的に 男性はセックスをそれ自体目的とするのに対して 女性は何らかの見返り(金銭・愛情)がないとセックスしない生き物ですね。 ある意味この性差を利用して子作りに仕向けている、とも言えますね。 >なぜ子供が欲しいのか聞いても、しっかりと答えられない なぜ人間は子供を産むのでしょうか。 思うに、子供を産み家庭を築くことによって社会的身分が保障されるという制度がある故だと思います。 学校に行って就職するのと同じようなものだと思います。 昨今はそういうがちがちの家制度がなくなってきたことも少子化の一因なんでしょうね。 男性にしてみれば、「一家の継承」「次世代の形成」という社会的役割を全うするためでしょうし、 女性にしてみれば、愛している男性・お金を与えてくれて経済的に保護してくれる男性を手放さないための手段なんでしょうね。 結局、本能と考えられている出産すらも、保身の手段でしかないんですよ。 私は今まで、ざっくりと 「愛のあるセックス=子作りを目的としたセックス」 「愛のないセックス=子作りを目的としない快楽のためのセックス」 と考えていましたが、実際他人のためのセックスと己の利益のためのセックスを完全に切り分けるなんて無理だと思います。

noname#138477
noname#138477
回答No.9

 興味深い考察を拝見させていただき、ありがとうございました。  少子化問題が、結婚問題であることは、同感です。すべての女性が結婚して、一人以上子供を作るのが当たり前になれば、少子化問題は自然に解消すると思います(年齢が50代前半以下の各世代で男性の方が人口が多いですので、男性に余りがでるのはやむを得ません)。マスコミで挙げられている保育所問題等は、本質的な少子化の原因ではないでしょう。 ・女性が「対価なしでセックスしたい」と思える男性は、10人いたら2、3人ぐらいでしょうね。   そのとおりだろうと思います。容姿や経済力がある男性に人気が集まるのは、やむを得ないことだと思います。あまりにも露骨ではありますが「市場経済」の結果です。  経済にある程度ルールが必要であるのと同様、結婚にもルールや理性が必要であることを、理解しないと少子化は進行するばかりでしょう。    ちなみに、私自身独身男性ですが、「性的対象にならない女性とのお見合い結婚を強制されたら、国のためにと言っても不服だとは思いませんか?」については、ある程度は、やむを得ないと思っています。人間は、男女一組で生活していくべき生物だと思います。自分で相手を見つけることができない一定年齢を超えた者が、お見合い結婚や子作りを求められるのは当然でしょうし、むしろ国はそれを求め、システムを整えるべきだと個人的には思います。結婚の強制は不可でしょうが、斡旋すること(どうしても駄目な場合は拒否することを認めた上で)は法律違反ではないと思いますし、一生結婚しない者の増加は、生活保護その他の負担が拡大する可能性が高く、国の破綻につながりかねません。 

nomaneko25
質問者

お礼

うーん、やはり人間としての務めなんですかね?結婚・出産は。 でも、今は愛している人じゃなければ結婚しない人の方が多数派ですし、難しいと思いますね。 本来的に利己的な生き物なんでしょうね、人間てのは。 >自分で相手を見つけることができない一定年齢を超えた者が、お見合い結婚や子作りを求められるのは当然 ここがちょっと納得できませんね。 異性に選ばれなかった人たちというのはそもそも 「後世に残す価値のない劣った遺伝子の持ち主」ということで、 彼らが性淘汰されるのはまさしく「市場経済の結果」だと思います。 ここで「劣った」というのは生殖能力に欠けるという意味で、 人間としての魅力や職業人としての能力に欠けることをも意味するものではありません。 こういう人たちはそもそも子孫を残さないように神様がDNAを設計したので、当然のごとく異性から選ばれないわけです。 ならば無理して残させる必要はないと思います。 強制される本人も、彼らとセックスさせられる配偶者も、 望まれてもいないのに産まれて来た子供も、皆が不幸になります。 恋愛・子作りに向かない人もいるんですよ。 異性をひきつけられる繁殖能力のある人たちに子供を生んでもらって、 繁殖能力のない人たちには仕事など別の方向で社会に貢献してもらった方が、社会全体の効率と効用は向上します。 経済力がないから結婚できない・子供を産めない、 というのは本人の努力不足なので、 これは外部からの強制により解消することができますね。

nomaneko25
質問者

補足

訂正 「生殖能力・繁殖能力がない」 と書くと不妊とか種なしを連想されるので 「性的魅力がなくセックスの相手がいない」としてください。

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