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人生どうやったら楽しくいきられるのですか・・・

よろしくお願いします。 20代後半男性です。 人生どうしたら楽しくいきられるのでしょうか? 朝起きるとつらいです。 前向きになれません。 常に不安を抱えておしつぶされそうです。 社会に自分の居場所がないようです。 出来るだけ色々なことをしようと活動しますが 一人になるとまた鬱鬱とします。 一応退職にはついていますが 能力がないからか、社会人としてスキルの 成長などが実感できません。 職場を他に探そうとしても、受け入れてくれるところはありません。 もっと気楽に生きようと、遊ぼうとしたり、買い物したりしようとするけど、罪悪感を感じてしまってできません。 一時の快楽に身をゆだねているようでたのしめません。 美術館などが好きですが時間がなくていけません。 行ってもきっと罪悪感で楽しめないでしょう。 お前は遊んでいる場合じゃないのではないか、という声が頭の中からきこえてきます。 逃げたいからお酒をのみます。ふらふらになると不安を感じません。 自虐的になって、もうどうでもいい、となっていれます。 皆さんが考える人生の楽しみ方とはなんですか? どうやってたのしんでいるのですか? 教えてください。 よろしくお願いします。

みんなの回答

noname#81719
noname#81719
回答No.9

質問者さんの文章を読んでいると、すべて 「出来ない、やれない、辛い」といった否定ばかり、暗黒ばかりですね。 暗闇の中にいると、そこから見えてくるものは「暗闇」ばかりですよ。 もっと貴方が恵まれてることを見つめてみませんか? 目はみえますか? 一人で外出できますか? 食べ物 むしゃむしゃと口に入れ、たべること出来ますか? 住む処はありますか? 人と話すこと出来ますか? 耳は聞こえますか? 親はいますか? 私は、腸閉塞から、小腸 大腸を失いました。 そろそろ、1年になります。 モノを食べることが出来ません。 多いのですよ。そういう人。 テレビを見ると 食べ物ばかりでてきます。 また、それらをタレントさんたちが、これでもか!!といった風情で 食べ歩いています。 ほんの少し、(スプーン 一、二杯)食べることがありますが、 消化器官である小腸がないので、食べても そのままの形で出てしまいます。 胃癌にもなり 胃も三分の二は有りません。 皆さんが こともなげに食べ物を口にし、ゴクゴクと飲み物を飲んでおられるのをみるだけでも 羨ましいです。 貴方は生きるように、この人生をenjoyするために神様(仏様)から 命をあたえられたのです。 罪悪感なんて神様に失礼です。 神は 「生きよ!!生きよ!! もっともっと 人生を楽しみなさい」と この世に、母親を通じて貴方を、人間を生み出してくださったのです。 貴方が、与えられた人生を大いに楽しむことが神様の喜びなのです。 せっかくの人生を楽しまないのは、神への冒涜です。 「人生は楽しむためにある」のです。 現在の世の中、右をみても左をみても「不況、不況」のかけ声が 私達の精神を圧迫し覆い被さってくるように感じられます。 しかし、今の日本が、世界が大変!!といっても 100年、200年前の時代に比べれば、恵まれた時代におります。 蛇口をひねれば水が出る!! こんなのは世界を見回しても、日本を始めとして、ほんの少しの国だけですよ。 貴方の空虚感は、すべてに対して(ご自分の体や社会や家族等) 感謝が足りないからこのように感じるのです。 朝、起きたら太陽を眺めてみてください。 (都会だったら空気悪いでしょうけど)、深呼吸するのです。 夜、布団に入って、何事もなく朝が迎えられたということは 貴方が思う以上に素晴らしいことなんですよ。 朝 目が覚めた!!  ありがたい!! 顔を洗えた!!     ありがたい!! ウンチが出た!!    ありがたい!! 歩くことが出来る!!  ありがたい!! 等々。 喜ぶことは無尽にあります。 人生を喜ぶ、人生を楽しむコツは、日頃、当たり前に過ごしてる何気ない事柄に感謝し、喜ぶことです。 >職場を他に探そうとしても、受け入れてくれるところはありません。 どうして 「無い」と決めつけるのですか? 自分には○○しか出来ない!! と決めつけてませんか? まだ 若いのですから もっと目を見開いて 様々なことに挑戦してみませんか? 地方では、農業の、酪農の後継者がいなくて、田畑が荒れ放題になってるそうです。 そういう処に行って、社会に貢献してみませんか? 屋根があり、住むところがあれば、何でもできるはずですよ? 「自分を生かす」には。 「自分を生かすということは自分の生命が歓ぶことです。自分の生命が 生き甲斐を感じることです。自分の生命が伸びることです。どうしたら 自分の生命が歓びを感じることができるかと言えば、他(ひと)を喜ばしてあげることです。他が自分のことを喜んでくれるとき、はじめて 自分の生命が本当の歓びを感じるのです。それは自分の生命が隣人まで 拡張したのです。自分の生命が伸びたから喜べるのです。これが生き甲斐というものです。人間はそいういうふうに造られているのです」 明日から、家族に周りの人に明るい大きな声で挨拶し声をかけましょう!! それだけでも、随分と違いますよ。 鬱になる人は自分のことだけしか考えない人が多いです。 自分の周囲の人に、貴方の明るい笑顔を与えるだけで、その笑顔で救われる人もあります。 その救われた方の、喜びの念や思いが、与えた貴方に良いオーラとして帰ってくるのです。 他人に対して 良いオーラ(思念、感情)だけをあたえましょう。 まわり回って 貴方の運が向上してきます。 人間社会とはそういうものです。 貴方なら 出来る!! 頑張れ!!  

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.8

人生を楽しむ基盤は自分で自分を愛するところ、寛容になるところから出来上がるような気がしております。それは自惚れるとか自己欺瞞に陥るということでなく、生きているからには生きているという価値が自分にはあることだなあと気づくことではないかとも思えるのです。 仕事のことで悩む苦しみや体や気分のすぐれない苦しみ、多くの苦しみが人にはあると思います。それでもなおかつ、生きていられるというのは楽しみを感じて生きても良いのだという運がきているからだと私は思うことにしています。すると気持ちが楽天的になり色々と楽しいと思うことが増えるような気がします。 余り自分に厳しい判断を下すとどんな人生でも楽しくなくなると思います。とても真面目でご自分に厳しすぎるのではないでしょうか。 質問者さまはもう十分に苦しむべき苦しみは苦しんだのだから、遊んでも買い物しても美術館に行っても罪悪感など感じる必要もないし、楽しい思いをしても誰にも迷惑をかけている訳ではないのでご自分に寛容になられることがお気持ちがラクになる第一歩になるのではないかと思います。 逆に言えば、大変、深い、透徹した心の眼があり、精神的に満たされるものを求められるのでそれ以外のことが一時の快楽のような気がされるのかもしれません。 ご自分の価値に気づいてください。 深く深く。そしてどんな時でもご自分を責めないでください。 誠実な人柄、潔癖な気性、質問者さまがご自分の良さを深く肯定された時、人生の楽しみも始まるのではないかと思います。

noname#77952
noname#77952
回答No.7

美味しい物を食べるという本能からくる行為にまで 罪悪感を感じてしまうのは、さぞお辛いことでしょう。 一度、心療内科や精神科など心のケアをしてくれるところへ行って 存分に今の想いを吐き出してください。 楽になれる方法を教えてもらえると思いますよ。 今の時代 心のケアを必要としている人は五万といます。 頭が痛いときは頭痛薬を飲みますよね? 風邪をひいたら風邪薬を飲みますよね? それでも治らなかったら病院へ行きますよね? それと同じように 心も病気になったら薬が必要なのです。 この場合の薬とは 人の温かさ、優しさだったりするかもしれません。 飲み薬の場合もあるでしょう。 ここへ投稿することによって 前向きになっている貴方は素晴らしいです。 自信を持っていいのですよ。 誰でもみんな他人が羨ましいし幸せそうに見えます。 でも しあわせ・・って、ひとりひとり違うものであっていいはず。 今の貴方は小さな事にもしあわせを見つけられる人です。 まずは、美味しいご飯を食べる事にしあわせを思いっきり感じてください。 そして 心療内科の門を叩いてみましょう。 元気になれるヒントが必ずあると思いますよ。 あ・・ でも 病院も「合う」「合わない」があるので 自分に合った医者に会えるまで 良い医者を探していくのもいいことです。

  • magga
  • ベストアンサー率15% (56/359)
回答No.6

<<もっと気楽に生きようと、遊ぼうとしたり、買い物したりしようとするけど、罪悪感を感じてしまってできません。>> つらいですね。理想の自分像に押しつぶされるのは苦しいことです。 これは捨て去るべきものと思います。自分を苦しめ理性を圧迫し能力を削ぎさらに苦しむためにあるものですからね。 これらは慈悲の冥想などで落ち着きと善い思い癖をつけて、観察に興味をもって楽しむようにヴィパッサナー(ありのままにみる)修習によって徐々になくなると思います。 「現代人のための瞑想法」をオススメします。 <<一時の快楽に身をゆだねているようでたのしめません。>> やはり貪欲の所までいってしまうと苦しみが生まれますね。興味をもって観察する楽しみを見出せれば結構問題なく、しかもその観察自体が自分の能力向上にも役に立つものになると思いますよ。 ここは「ライバルのいない世界」をオススメします。 ジャガイモの皮むきの如く、体の動きや感覚を楽しめるようになると結構人生軽くなると思いますし、能力も上がると思います。 <<能力がないからか、社会人としてスキルの成長などが実感できません。>> 人生に必要なことを「楽しむ」ように工夫していると徐々に能力が上がると思いますよ。勉強でも雑務でも何でも必要なことに楽しみを見つけましょう。チャレンジして観ましょう。これが出来れば怖い文無しだと思います。 「ブッダの集中力」をオススメします。 <<お前は遊んでいる場合じゃないのではないか、という声が頭の中からきこえてきます。逃げたいからお酒をのみます。ふらふらになると不安を感じません。自虐的になって、もうどうでもいい、となっていれます。>> お酒は人間の唯一の救いである理性を支える脳細胞を壊します。直る場所はありますが直らないところも壊れます。それは理性を圧迫します。理性が圧迫されればより苦しみやすくなります。 お酒はオススメしません。 気楽に楽しめるように紹介した書籍を読んでやりやすいことから実践してみてください。 何気ないことを楽しめるようになれば、「楽しみ」を多くなせば心が安定すると思います。 幸福であれw では。

kimi1980
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 お酒は脳細胞を壊すのですか? 知りませんでした。 疲れたときにお酒を飲むと元気がでるので (肉体的にです) いつも飲んでました 控えようと思います。 ありがとうございました

noname#132831
noname#132831
回答No.5

 ♯4さんの文章を読んでみて、たしかにそうだなぁと思うのは「楽しさ」は人によってそれぞれ違うということです。だから、何が楽しみなのかは他人に訊いても分らない、自分の胸に訊いてみなさいということです。    http://www.ykren02.com/chap-b_07.html ゲシュタルト療法、「考えないこと」が幸せになるコツ  「楽しい」とか、幸福感と同義である「ラッキー感」は“感情”ですよね。“考える”というのは過去のデータと照合することであって、そこからは「楽しい気持ち」は生まれてこない。“感情”は私たちに「何が楽しくて、何が楽しくないかを教えてくれる」…だから、己の感情に耳を傾けなさい…この文章はそういう意味ではないかと僕は理解したのですが、どうでしょう。  ともすれば私たちは“考え”に“感情”を従わせようとします。遊ぶときは「楽しむべきだ」と考えたりしてね。しかし、本当は逆で、“感情”を楽しませるように“考え”の方を従わせるほうが、しあわせになれるのではないかということです。こうであるべきだという“考え”優先の「べき思考」から、“感情”優先の考え方へ、パターンを作っていくということかなぁ。  だから、楽しめない自分を受け入れ、不安に思う自分を受容すればいいということ。ただしこれは自然にそう想う部分を許容するということで、意識的に楽しまないとか、意識的に不安に思うということではない。(あ~、もう理屈っぽくなって“考え”ることをやめていない。むつかしいなぁ。)例えば、「気に障る」というのは無意識のできごとで、「気に留める」のは意識的な行為でしょう。その差は判然とはしないけれど、たしかに意識的と無意識の区別はありそうです。    http://www.h5.dion.ne.jp/~fleur/essay2005-7.htm 努力って何?    http://coaching.livedoor.biz/archives/50471019.html 罪悪感から自分を開放することのパワー

noname#84191
noname#84191
回答No.4

人生どうやったら楽しく生きられるの? との事ですが、質問者さんの思う楽しくとはどの様な事を言うのでしょう。 多分、私が思う楽しさと、質問者さんが思う楽しさは同じではないと思うのですが・・・ 如何でしょう?? 私の思う・あるいは感じる楽しさと同じであるならば、私の話をしても何かのお役に立つかも知れません。 が、現状ではその点が詰められていません。 と言う事で、質問者さんの楽しさの定義をお聞きしたいです。

kimi1980
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。言葉の定義が違うのかもしれませんね。 難しいですね。 今の私にとっては回りにいる皆が”楽しく”生きているように見えます。 将来の不安が一時的にでも忘れられるような状態 食事、睡眠、など生理的な出来事を大切、大事だと思える 一人でいるときも不安に負けない ・・・なんでしょうね。難しいですね。 今の私は、不安で不安で 何をしても嬉しい、というような感情がわきません。 食事をしても罪悪感を感じる お前はこんな美味しいものを食べる価値がある人間なのかと。 友達とあっても焦りがうまれてきます。 何のスキルも市場価値もないのにこんなところで時間の無駄をしていてもあるのか、と。 今は職についていても、いつ会社がつぶれるのかわからない状態ではしがみつくという感情以外生まれてこないのです。 電車に乗っていると、社会人でも ”○○と××はつきあっているんだって” ”○○部長は××大学だからだめだよ” みたいな他愛ない会話で盛り上がっている人たちを みると羨ましくなります。 私はきっと混じれないのです。 不安に負けず人として普通に生きていける人、 それが楽しいということなのかもしれません。 わかりにくくてすいません

noname#132831
noname#132831
回答No.3

 たびたび、おじゃまします。  「人生の楽しみ方」ということですが、この質問の仕方では「人生は楽しくて当たり前」という考え方が潜んでいるように感じます。逆に、仏教では「人生は一切苦である」というのが考え方の基本のようです。その肝は、そう思っておいた方が何事も有り難く感じられて、幸せな気持ちでいられるということだと思います。幸せというのは、つまるところ「自分は恵まれてるなぁ」と自然にそう感じられることだと思います。このラッキー感は、作られたものではなく自然にそう想えなくては、本物ではないと思います。自然にそう想う、すなわち感情です。頭で考えて直接に作り出せるものではないと思います。ただ、考え方や言動を変えることによって、感情(潜在意識・無意識)を間接的にコントロールする方法はあるように思います。  例えば、この質問の中で「前向きになれない」「楽しめない」という記述がありますが、そう書くことによって自己イメージを規定し、自分自身に暗示を掛けているのではないか、と一度は疑ってみるといいでしょう(もちろん、解ってもらうために記述しなければならないのは仕方のないことです)。  ちょっと理屈っぽくなりましたが、このような理屈を考えなくても体感として心得ている人も多いでしょう(どうも僕は理屈で理解しないと理解した気になれないようです)。  「居場所がない」という感じ方は、生産性が向上した現代の多くの人が感じていることではないでしょうか。たとえば、未開墾地の多い江戸時代、明治時代でしたら、大して能力のない人でも労働力として活躍できる場所が与えられたでしょう。生きることに直結した産業に従事する人がほとんどでしょう。ところが、生産性が向上した成熟した現代社会では、生きるために必要な産業とかけ離れた産業(たとえばゲーム機産業、ヘッジファンド、コンサルタント会社、などなど)に従事する人が多くなり、「自分は必要とされてる」感が薄くなっています。常に(自分の)「代わりはいくらでもいる」という不安にさらされています。この状況が「自己肯定感」「自己重要感」を奪っていきます。これは、質問者様の責任ではありません。  ひとつは、自分が「何を当たり前だと想っているか」に注意することです。他人はこうしてくれて当たり前と思っていれば不満になるでしょうし、人生は楽しくて当たり前と思っていれば楽しめないでしょう(禅問答のようですが)。理想(当たり前)が高いから挫折感が大きくなる、ということもあるでしょう。よく『まじめ過ぎるんだよ』とアドバイスする人が言わんとするのは、そういうことです。    何かを頑張ろうとする時、「あるべき自己像」とのギャップを埋めようという気持ち(焦り・脅迫感)を原動力にすることがあると思います。あるいは(罪悪感・劣等感)のようなマイナス感情を原動力にすることが考えられます。だけど、このようなマイナス感情を動機に行動すると、そのマイナス感情は強まるばかりです。そんな気がしませんか?  まずは、現状を肯定することです。「仕方がなかったんだよね」と自分自身に共感して、自己受容することです。「現状でも構わない、現状でプラマイ0である」と自然に思えるようになるには、少し時間がかかるかもしれませんが、それがスタートラインです。これは決して自分を甘やかせているのでも、希望を捨てているのでもありません。スタートラインに立てたら、つぎに「こうなれたら素晴らしい」というプラス感情を原動力とすればいいのです。失敗したってプラマイ0です。少しでも望みどおりに事が運べば万々歳です。  これが僕が思い描く「人生の楽しみ方」です。何を当たり前(プラマイ0)と考えるか…これが大事です。なぜなら、いかなる状況に自分が置かれようとも、幸福とは「自分はラッキーだなぁ」と感じられること(考えることではない)だからです。 

  • hosiboshi
  • ベストアンサー率9% (15/158)
回答No.2

今はそういう時代なので、そういう考え方も普通というか、普通の人の考え方だと思います。 なにか自分の琴線に触れるものを見つけられれば、変えられると思います。 一番好きなものはなんですか?

kimi1980
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 好きなもの、音楽だったり空手だったりします。 ウォークマンで音楽を聴いているときや 稽古をしているときは本当に楽しいのですが 離れてしまうと一気に不安が押し寄せてきます。 やはり大事なのは経済的基盤である 会社生活と思ってしまうと 先も見えず、展望も見えず真っ暗なのです。 最近は音楽を聴いていても稽古をしていても あまり楽しくなくなってしまいました。 ”こんなことをしていていいのか” という声が聞こえてくるのです。

noname#251407
noname#251407
回答No.1

「蟹は甲羅に合わせて穴を掘る」と云われます。 「上を見れば限りが無い、下を見ても限りが無い」です。 「自分に忠実」に仕事も時間も自分流に楽しむ事です。  人間、最大限に生きても百年   くよくよ生きても百年、同じ百年なら楽しく生きなれれば損です。