臓器提供の意思表示
このカテゴリーで適当かわからないのですが・・・
友達と臓器提供の話をしていたとき、私以外はみんな
「もちろん提供するよ。ドナーカードもずっと前からもってるし。」
というようなことを言っていました。
私は保険証の意思表示の欄には「提供しません」にマルしている、と言うと、いっせいに非難されてしまいました。
「人としてありえない」「軽蔑する」とまで言われて、かなりショックでした。
私は輸血には抵抗はないのですが、臓器移植には提供する側としても受ける側としても抵抗があります。
提供する側としての抵抗感は、相手にとって自分は死んで喜ばれる対象になるのが嫌であること、また、非科学的なのですが死後の生活が不自由になる・・・たとえば、角膜を提供したら幽霊になって出てくるとき眼が見えなくて不便になるのではないか、という考えからきています。
受ける側としての抵抗感は、また非科学的な考えで、臓器に相手の意思、と言うか魂のようなものが残っているのではないかと思うからです。
どちらにしても、相手が親兄弟なら抵抗はないです。そこから生まれた、あるいは同じものから生まれたものなので。
実際に死か移植かと問われたとき、やっぱり移植を選ぶかもしれません。でも、今の気持ちとしては友人のように「死んだら終わり」と割り切れないのです。
もちろん、友達のように誰かの役に立てるのなら、という考えはすばらしいと思います。
友達にも以上のようなことを話しましたが、理解できない様子で、自分の生き方考え方に不安を感じています。
私のような考えは「軽蔑する」とまで言われることなのでしょうか?
皆さんは、私を薄情な人間だと思いますか?