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「どうして大事な青春を恋に費やすことができるでしょうか」

昨日、中国出身の文筆家の文章(日本語)を読んでいたら、 興味深い一節を発見しました 中国の女子高生が書いたという 「どうして大事な青春を恋に費やすことができるでしょうか?」 という箇所です さらに著者は、この青春とは勉学に費やすものだという考え方は、 中国の優等生にとってはフツウのことであると結んでいます 日本の優等生は違うでしょう。 学力が高い高校生であっても、恋はしたいが、一種のあきらめのようなものを同時代人として感じます 大学であっても、中国では図書館で朝から長蛇の列で開館を待っており、先生方は学生が勉強のしすぎで体を壊さないか心配であるとも、別の本で読んだことがあります 長蛇の列の意味がどれほどかよくわかりませんが、 日本の大学図書館で自分も過去に一度だけ空くのを待っていた経験によると、推定で30人ほど待っていたと思うので日本も捨てたものじゃないぞと ちょっとわき道にそれて質問の意図はわかりづらくなっていますが、 青春に勉強をするのは当然であるという考え方は、中国でどの程度普及しているんですか? こういう考え方はきっと近年復活してきた儒教思想に基づくのでしょう 北京大学、精華大学、上海交通大学などの有力大学に進学希望がある高校生だけでしょうか…

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  • candy0412
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回答No.1

日本語専攻の北京人です。答えさせていただきます。 そうですね・・・わたしにとしては青春とは自分が思うままに生きるべき時なんです。つまりわたしの意見は「どうして大事な青春を勉強に費やすことができるでしょうか?」です(汗 自分が言うのもなんですが、昔わたしが通っていた高校はとても評判がいいです。近20年は毎年すべての学生が大学に行けるのはもちろん、北京大学と清華大学に進学できる学生も100人以上です。友達はみんな毎日遊んでばかりいないんですが、勉強だけに時間を注ぐのはわたしたちにとって不思議なことなのかもしれません。 でもたしかに中国人が多すぎるせいで、「勉強ができる」=「いい大学に進学できる」=「将来はいい仕事が見つける」という考えが普通なんですね。そして今北京では大学院卒の人でも仕事が見つけるとは限りないんです。そこで大学入学試験にすべてをかける人がたくさん出てきました。特に「勉強さえしなければ、一生ここから出られません!」という考えを持っているあまり発達しない町育ちの学生も少なくないです。 そのほうから言えば、わたしが北京生まれですから、勉強がすべてではないといえるかもしれませんね。でもどう考えても、勉強はたしかに将来に大切ですが、青春は人間にとって一番大切な時期ですから、短期間に高効率の勉強をして、ほかの時間は自分のためにもっと有効で、楽しく利用すべきなんじゃないでしょうか。たとえいい大学に進学できても、勉強以外なんでもできなかったら意味がないでしょう。残念なことで、今中国ではそんな人は多くはないんですが、少なくもないようです。 こんな長文になってすみません。 日本語が下手で、大変失礼いたしました。

noname#98991
質問者

お礼

ni的意見很有参考价値!! 記述日文很好 私の長文を読み、そして長文を書くことができるなんてcandy0412さんはスゴイです! 日本でも東京大学卒業でも学術系の仕事が見つかるとは限らないです 東京大学は比較的全国(=全ての日本の都道府県のこと)から来ますが、 早稲田大学、慶応大学などその他の有力大学は、東京に近い出身者が多いみたいですね そうですね。勉強ができるだけでは、生きていくのは困難なので、私も勉強以外なんでもできなかったら意味がないと思います 回答ありがとうございます 参考になりました☆

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回答No.2

この問題はかなり難しいなあという気がします。 私個人の印象からすると、やっばり「中国の」優等生の場合はそういうタイプが多いと言えるでしょう、彼女たちはずいぶんはっきりした学習の目的があるだろう。ただし大学に進学したら、ある割合でその思いが変わたこともあるでしょう。 「青春に勉強をするのは当然であるという考え方」について、日本と同じように、みな知ってるでしょうか、そのようにできるかどうかの問題になるでしょう。

noname#98991
質問者

お礼

あ、先日はどうもありがとうございます! 中国人の真面目さというか、勤勉なものを最近あちこちの文章で読む機会が多いので実際どうかなと… 「中国の」優等生の恋に対する考え方が面白いです。 日本でも昔は、お見合い結婚(=中国語で、介紹結婚のこと)が多かったですし、明治時代、大正時代(=日本は平成時代←昭和時代←大正時代←明治時代←・・・・)の優等生たちは、高校と大学は男子のみしか入学が許可されていない時代だったので、勉強しかしていなかったそうです。 現在では日本人は遊んでいると一般に言われますね。苦笑

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