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親から冷たく扱われ「死んでくれ」と頼まれた過去をひきずってます

母が亡くなりました 母子家庭で育ち母は体が弱く生活保護を受けていましたので 小さいころから元気だった記憶がありませんが 酒癖や男癖が悪かったために良い思いでがありません 思い出すことも  小さいころから酒癖が悪く毎日のように酒を飲んでは  暴れて家のガラスや物を壊したりトイレに行かずに  部屋で小便をしていたりしていた、よく殴られていたので  毎日青あざを作って学校に行っていました  たまに腕に鉛筆などを刺されたりして怪我をしたりすることもあり  真冬に外に出されて水をかけられたりという虐待のよくされていま した  暴れて近所のガラスを割って帰ったことがあり翌日に警察が  来たことや寄ってタクシーで100km以上離れた場所まで行って  いたことがあった、もちろん本人は記憶がない  親から料理を作ってもらったことがなくいつも惣菜や  祖父母の家に私だけが行きご飯を食べさせてもらっていた    男が数人いて週に数人が入れ替わりで立ち入りSEXを隣の部屋や  小学生の私のいる前で行っていた  小さいころから私が貯金していたお金を母親に酒代や  男に使っていた  男と一緒にいるときに母から「あなたがいたら私たちは幸せになれ ないから自殺してほしい」と何回も頼まれていた   高校に入学しても「お金がもったいない」との理由で退学を強要さ れ自主退学をしました   私が夜に寝るといつも男の家に行っていたので夜中の3時とか  朝方までは一人でした これは私がされたことの一部です 私は母が亡くなってからはちゃんとした葬儀を出しましたが 今でも母のことを恨んでいます 生前も他の人に比べたら親に対しては冷たかったと思います 私の元配偶者は「生んでくれた親だからどんな親でも親孝行するのが 当たり前であなたは冷たかった」と言われましたが 私は親から受けた虐待の約15年間は忘れることができません (15年というのは親が入院していた時期は親戚をたらいまわしに  されていたからです) 私は冷たいのでしょうか? 生むのは誰でもできると思います、生んでから親らしく 育てていくのが親であると今でも思いますので 親らしいことをしなかった親は親ではないと思うのです 私の考えは間違っているでしょうか?

みんなの回答

回答No.6

あなたは冷たくなく考えも間違ってはいません。親らしいことをしなかった親は親ではない、というあなたの考えは正しいです。人は子供を生めばその子供の親になるというのは、親としての条件を満たしていません。愛を注いでこそ真の親です。あなたの元配偶者があなたに言ったことは僕は大変許しがたいです。その人は虐待の経験がないからそんな事が言えるのではないでしょうか。逆に元配偶者が冷たいです。親に15年間も虐待されていたら親に対して冷たくなるのは当然でしょう。ただあなたが母親に感謝すべきことは、この世に自分を生んでくれたということです。人生はいつからでもどうにでも変えられます。いつまでも過去に目を留めないで明日を見つめましょう。

noname#132831
noname#132831
回答No.5

 すべきとか、すべきでないとか、間違ってるとか、間違っていないとか、そういう言い方になじまないと思います。恨みたくて恨んでいるのではないのですから。  誰かを恨むのって辛いですよね。怒っていたり、恨んでいたりする時、ひとは幸せではありません。だから、そのような悪感情は手放すべきなのです。だけど、恨むべきではないという強迫観念があなたを苦しめるのなら、それは本末転倒です。幸せになるために恨みを手放すのですから。  あなたのお母さんなのですから、他人がとやかく言う問題ではないでしょう。恨みを手放せる日まで、ありがたく恨ませてもらえばいいではありませんか。それがあなたの心の平静に役立つのなら。お母さんの不幸な人生を偲ぶことが供養になるでしょう。それが、あなたの恨みを供養することにもなると思います。  過去は変えられませんが、過去の出来事が持つ意味合いを変えることはできます。「自分を強くした」「些細な事でも幸せを感じられる」など、不幸な生育暦がポジティブな方向に意味を持てばいいのですが、「だから自分は特別扱いされるべきだ」とか「だから自分は駄目なんだ」思うとネガティブな方向に向かうでしょう。  親であれ他人であれ、ひとのことを反省するのは役に立ちません。「こうしてくれたら良かったのに」と思うほど、不満は大きくなるばかりで、幸せな気分でいられなくなります。だから、人がすべき反省には目をつむっていたほうが良いのです。自分の事で悩むのは大いに結構です。悩みがなければ成長もありません。自分の事で悩むのはいいのですが、人のことで悩んでも何の益もありません。  同じ行為でも、義務感や強迫観念でするのと、自発的に主体性を持ってするのでは、まったく違うのです。前者は生きずらさを生み、後者は自己肯定感を生みます。外見上はいっしょでも、自分にはね返ってくる効果はまるで違います。アドバイス通りにすること自体にあまり意味はないのです。  私たちは自分の感じ方を信じられないで、何を信じて生きていけばいいのでしょう。自分の歩幅で歩いていけばいいのです。人が決めることではなく、自分が決めることなのです。自分の価値も、生きる意味も、私たち一人一人が問われているのです。  『苦境に立たされることが悲劇なのではない。その状況を人がどう思うかを考えたときに、それは悲劇になるのだ。』    くだくだと、失礼しました。どう考えるかはあなたの自由です!  あまり深い考えもなく、常識に流されている人が多いのです。  お互い、がんばりましょうね!

  • fusem23
  • ベストアンサー率18% (72/383)
回答No.4

あなたの考えは常識的で、別に冷たくはないでしょう。 でも、別の考え方もあるのです。 あなたの親が、ろくでもない大人だったのは確かでしょう。そんな大人と一緒にいれば、ひどい目に遭うのも当然です。でも、それ以外に生きる環境がなかったんだから、仕方ないじゃないですか。親がりっぱな大人であることは、当然ではありません。 >生むのは誰でもできると思います、生んでから親らしく >育てていくのが親であると今でも思いますので >親らしいことをしなかった親は親ではないと思うのです じゃあ、親と思わなければ良い。親を求めるから恨むのであって、親はいなかったとしたら恨む必要もないのです。 それと、「あなたは今幸せですか?」 答が「不幸」ならば、親を恨めば良い。その「不幸」は、親があなたを産んだことが原因です。 答が「幸せ」ならば、親に感謝すべき。その「幸せ」は、親があなたを産んだことが原因です。

noname#66646
noname#66646
回答No.3

成人した子供が二人いる者です。 私も冷たいとは思いません。 >生むのは誰でもできると思います、生んでから親らしく >育てていくのが親であると今でも思いますので >親らしいことをしなかった親は親ではないと思うのです おっしゃるとおりです。 あなたは虐待されていたのだから、親孝行できなくて当然のことだと思います。 恨む気持ちも当然のことです。 それにも関わらず、きちんと葬儀をしてあげたのは、ご立派なことです。 それだけでも十分親孝行だと思いました。 今後は、あなたが母親になった時に、お母様を反面教師として、お母様のような親にならないことです。 あなたを生んでくれたこと、あなたが今ここにいること、それだけを亡くなったお母様に感謝して生きていってください。

  • mobitto
  • ベストアンサー率19% (20/103)
回答No.2

間違っていないと思います。 生んだから親ではなくて、ちゃんと育てるから親なんだと思います。 でもお亡くなりになったのであればもう恨まないほうがいいのでは。 いつまでも恨んでると前に進めないというかあなたにとってマイナスだと思います。

  • napukun
  • ベストアンサー率18% (146/778)
回答No.1

間違っていないと思います。 自分があなたの立場だったら葬儀すらしていないと思います。 この先、あなたが少しでも幸せになってくれるのを願っています。

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