>そこまでして乗る理由があったのでしょうか?
先ず、登城に関して。
江戸城へは大手門、内桜田門と坂下門、西丸大手門から入ります。
が、将軍以外は乗馬のまま城内に入る事が出来ません。
御三家といえども、門前で下馬しなくてはならないのです。
ここで供の家来と別れ、数名の家臣を伴って城内に入ります。
位の低い大名は、籠に乗って城内に入る事も禁止でした。
老中・奉行・御三家並びに前田家・伊井家・保科家・讃岐松平家など位の高い大名のみが籠に乗ったまま城内に入ります。
しかし、門まで馬に乗って、門から籠に乗るのは不便ですよね。
それなら、最初から籠に乗った方が便利です。
当時の馬は、銑鉄をしていませんでした。
馬の脚のサイズに編んだ「藁ぞうり」を湿らせて銑鉄の代わりにしていたのです。
ですから、5キロも進むと馬は爪が割れ歩けなかったようです。
これでは移動手段としては使えません。
乗馬で将軍のお膝もとを走る事は、いらぬ疑いを受ける可能性もあるので遠慮したとの考え方もあります。
伊井直弼の場合ですが、当時の伊井家屋敷は桜田門から濠に沿って500メートル地点にありました。この距離だと、籠で充分です。
余談ですが、門で殿様と別れた家来は、殿様が戻って来るまで門前で待機なんですよ。雨でも雪でも、じーーーっと待つのです。
今も昔も、宮仕えは厳しいですね。
お礼
なるほど。よくわかりました。ありがとうございます。