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控訴して勝敗がひっくり返る話をよく聞くが

(片方が)第一審で不服→控訴→第二審で判決がひっくり返る ってパターンの話はよくテレビや雑誌で見かけるのですが、どういう事なのでしょうか? 第一審の判断と第二審の判断では基準がそんなに異なるのでしょうか? 根本的に同じ法律を基準としてるならひっくり返るなんて事はそうそう無いと思うのです。 ひっくり返る場合の状況と、第一審と第二審の判断基準の違い(があったら)を教えて下さい

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noname#83227
noname#83227
回答No.2

その通りです。ひっくり返ることなど「そうそう無い」です。「そうそう無い」からひっくり返るとニュースになるのです。当たり前の話は面白くないので、判決以上に事件自体が耳目を集めるものでない限りはニュースにはなりません。「テレビや雑誌」の報道は基本的に珍しい例外の方ばかりですから、それを見て「よく聞く」というのは実際に"よくある"かどうかとは別問題でむしろ逆のことがそれこそ"よくある"のです。 真実はむしろあまり聞かないことの方にあるのです。テレビや雑誌の報道は上記の意味で偏っているので報道件数などで物事を判断するのは大間違いだということを肝に銘じたほうがいいです。 民事限定というわけではありませんが、一応民事を念頭において話をします。 さて、上訴で判決が変わる理由は大きく分けて二つあります。 1.法律解釈が異なる。 2.事実認定が異なる。 法律解釈が異なることは滅多にありませんがないわけではありません。そのために最高裁で法律解釈の統一を図るわけですから。しかも最高裁においてすら過去の解釈を変更することがあります。元々裁判所の職権は独立しているので、それぞれが職権に基づき異なる解釈をすることがあってもおかしくはありません。ただ、実際には結論にそんなに差が出ることは滅多にないので、極めて特殊な場合だけです(むかし大阪家裁と大阪高裁が全く正反対の解釈を採っていて同じ条文が問題になると必ずと言っていいほど正反対の判断をしていたということがありました。今では最高裁が結論を出したので過去の話です)。 事実認定が異なることは法律解釈が異なることよりもあり得ます。事実認定は証拠を評価して行いますが、証拠の評価は裁判官の自由な心証に基づくので人によって評価が異なる以上、その結果が異なることも当然あり得ます。神ならぬ人が人を裁く以上当然起こりうることです。例えば、違うことを言っている人が二人いてどちらの言うことを信じるかは人によって判断が違って当然でしょう?大概の逆転判決はこちらが原因。と言いますか元々ほとんどの訴訟は法律論ではなく事実認定の争いです。 更に言えば、同じ証拠でも人によって評価が違うのに上訴審で新たな証拠が出てきた日にはますます評価が違って当然です。 もっとも、同じ証拠について極端な評価の差が出ることはそんなにありません。その意味で日本の裁判所の裁判官の判断というのは結構安定的で裁判官による違いがそう極端に出ないように調整できています(実は安定的であるが故に証拠の評価を自由に任せられるという側面もあります。人によって極端な差が出るようでは自由に任せるのは危険とすら言え、歴史的に見れば裁判官が信用できないので一定の証拠の評価は裁判官の自由に任せずに法律で予め定めるという制度もあります)。 ちなみに裁判官が世間知らずで非常識な判断をするとか悪口を言う人がよくいますが、実際のところはそういうことを言う人の方が世間知らずで非常識な判断をしています。判決の悪口を言う人の中で、訴訟記録を全て読んで証拠とかをきちんと吟味し、正しい法律知識に基づいて判決を評価している人が何人いますか?ほとんどの人は判決原文すら読んでないでしょう?法律も知らないのに判決主文だけ見て、しかも初めから片方の当事者に肩入れして、不当な裁判なんて言っている人のどこが"世間を知っていて常識がある"と言うのでしょう?いや、逆にそれこそが日本の"世間"であり、"常識"なのかもしれません。だとすれば、裁判官は世間など知らない方がいいし非常識な方がいい、ただ、法律知識と良識のみがあればいいと言っておきます。先の例だと、二人の言うことが違う場合に、一人が問題児、一人が優等生だったりしたら親や教師は優等生の言うことを信じるかもしれません。それが世間の常識かもしれません。しかし裁判官はそう単純ではありません。あくまでも事件外で何かあるにしてもそれは事件外の話です。その事件では事件外の事情は差し置いて両者は平等に扱わねばなりません。この場合、世間の常識の方が間違っていると言うべきです。日本人の大好きな大岡裁きとか判官贔屓とか、公平公正な裁判という意味では絶対にやってはいけないことなのです。 ちなみに裁判官は法律と良心(職業的良心)のみに従うというのが憲法の理念。

その他の回答 (4)

  • ok2007
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回答No.5

No.2&4のtaikon3さんが網羅的に述べていらっしゃるので、ちょっと加えるかたちで投稿いたしますね。 事件の性質や内容によっては、原告を勝たせてあげるのが社会常識に適っているよね、被告を勝たせてあげるのが社会常識に適っているよね、というのにも関わらず、法律や判例をガチガチに解釈するとそうならないケースがあります(刑事事件でも同様です)。 この場合、第一審でガチガチの解釈をしたところを、第二審が柔軟に判断する、ということが、ままあります。 このようなひっくり返りも、あります。(時折この逆で、第一審が柔軟に判断したところを第二審がガチガチに解釈して、第一審で勝訴していた被控訴人が怒る、ということもあります。)

noname#83227
noname#83227
回答No.4

ANo.2です。一つ書き忘れました。 同じ事実を認定し、同じ法律解釈をしてもなお結論が異なることがあります。 これは法律が抽象的なものであるが故に、具体的な事実を法律的にどう評価するかということに違いが起こりうるからです。例えば不法行為においては(通常は被告の)行為が違法であることが必要ですが、証拠から認定した具体的な事実を法律的に違法と評価するかどうかの判断はやはり人によって違います。微妙な限界事例では違法となることもあれば違法とは言えないとなることもあるのでその判断の違いが結論の違いになることも時々あります。 つまりは、人が判断する以上、その判断が常に同じになるわけではないのだから結論に相違が出るということです。 まとめると、 1.法律を解釈して基準を決める。 2.証拠を評価して事実がどうであったかを認定する。 3.認定した事実を法律的に引きなおして結論を出す。 この3段階のいずれも人が判断するものである以上、どうしてもそこに判断の違いが生じることが起こるとそういうことです。 1だけは一般的抽象的な話なので最高裁で統一することができますが(ただしそれすらも最高裁で審理をすればという前提つきです。上告しなければ最高裁は審理しませんからたとえ下級審で問題になっても当事者が上告しない限りは最高裁は判断をできません)、それ以外はあくまでも個別的具体的な話なので一般論として統一することは不可能です。基準が同じでもそこに当てはまる事実が違えば、事実が同じでもそれを基準に照らしてどう評価するかが違えば、結論は異なることになるのです。

回答No.3

控訴をする場合、「控訴理由書」というのを裁判所に提出します。 このなかで、一審判決に対して、次の6つを柱に理由を述べていきます。 (1)審理不尽 (2)理由不備 (3)経験則違反 (4)法令解釈違反 (5)判例違反 (6)採証法則違反 (1)は一審ではまだまだ審議が足りないじゃないか、ここが中途半端だ、ここあいまいなのに判決かよというような感じ (2)はその判決に理由がなくねー?という事です。 (3)は世間一般の常識から考えて、それおかしいだろうということ。 (4)は法律の解釈が間違っているぞという事です。 (5)は過去に正反対の判決が出ていたような場合ですね (6)は証拠があったのに無視されたというような場合 要するに控訴とは一審判決にイチャモンをつけるということです。 この控訴理由を元に裁判所は再度検討をします。 その結果、例えば一審で「有罪」と判決されたのに、実はその行為は無罪という過去の判決があったというのなら、一審判決は間違っていますから、「無罪」となることがあります。 あるいは有罪には変わりないけど、今のご時世にこの程度で懲役はかわいそうだ、せめて罰金刑だと刑が軽くなることもあります。 逆に控訴したがために、懲役2年だったのに懲役3年になったというケースもあります。 某番組プロデューサーが公演先の女子大生を強姦したという事件、一審で240万円の賠償だっのたに、悪あがきで控訴したら270万円になりました。 同じ法律を基準としていても、その基準にどう照らし合わせるかというお題目が異なれば当然答えは違います。

  • rin00077
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回答No.1

こんにちはー 新しい証拠や、一審では使わなかった証拠を 二審で提出するため、逆転○○があるのだと思います。 先日もテレビでしてましたが、一審で無罪、二審で 嘘発見器のデーターと目撃証人二人の補充証拠で、 被告人は有罪になってしまったようです。

Treble
質問者

補足

こんにちわわわー レスありがとうございます。 そういうのも考えたのですが、そうなると何故一審では証拠を使わなかったのかと考えてしまいます。 当然、時間的な問題もあるのでしょうが、その出てくる証拠でひっくり返るような事が起きる以上、証拠が足りてない(揃える時間が足りない)で一審に入るその期限に問題を感じてしまうのです。 感情的に言えば、一審てのは「ひとまず裁判」なのか?と。

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