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ジャケットレスリング
柔道について夕刊フジの記事に、 欧州では「ジャケットレスリング」という呼称がある、 とありますが本当でしょうか。 また、その呼称は一般に普及している言葉になっているのでしょうか。 できればヨーロッパ在住の方からご教示頂ければ幸いです。
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- koolpaw
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この「ジャケットレスリングと・・・」という記事随分波紋を呼んでるみたいですね。 最初に思ったのは「あれ?ジャケット・レスリングっていえばサンボのことじゃ?」と思って改めて調べてみたら先に回答されてる方の「もともと他の国人からみたらそういう風になるかも」という回答が正しいような気がしてきました。 サンボの元になった旧ソ連の民族格闘技のいくつかも固有名詞同様に一般的に「ジャケットレスリング」と呼ばれたりすることがあったり、イギリスにもジャケット着用のジャケットレスリングがあったそうです。 格闘技関係の英語サイトに最近よくいりびたってますが、少なくともJUDOをJacketWrestlingとまんま呼んでる人は見たことありません。知らない人に説明するときに使うかもしれませんが、JUDOはJUDOでそのまま通じます。柔道家ですらJUDO Playerでなく普通にJUDO-KAで通ります。 osappyさんもだされてるフォーラムが検索でヒットしました。ここはJudoinfoというジュードーサイトのフォーラムだったと思います。 http://judoforum.com/index.php?showtopic=18777&st=0&p=279095entry279095 この中の発言で「私の最初のセンセイはレスリングと柔道、基本は同じだと教えていた。でも個人的には柔道は『哲学』をともなったレスリングだと思う」とあります。海外で柔道を学ぶ人ににも、ちゃんと柔道の精神性や嘉納治五郎の目指した教育的側面は理解されていると思いますよ。 逆にレスリングをまるでポイント取りだけが目的のゲームみたいに思うほうが失礼な気がします。確かレスリングは柔道とは違った形で「紳士的行動」やマナーを強調する競技です(形式化してはいるそうですが、試合前必ず吊りパンの中に入れた白いハンカチをレフリーに見せる)。 おそらくどのような格闘競技でもこういった精神性を教えるのが普通ではないでしょうか。トルコのあの身体に油塗ってズボンつかんで戦う競技はオイル・レスリングとよばれることが多いですが、本当の名前はヤールギュレシ、日本ではトルコ相撲とよばれたりしますね。コシティをペルシャ相撲とか日本語ではなんでも「~相撲」と勝手に呼んでるのと一緒ではないでしょうか。ちょっと夕刊フジの記事は先走りというか記事のテーマを強調するために誇張がふくまれてるような気がします。 参考URLは故ジャンボ鶴田さんの論文です。
- osappy
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海外にも服を着て行う格闘技=jacket wrestlingが存在するようですね。(ウズベキスタンとかトルコとかイランとか?) そういう国の人から見ればJUDO=日本式ジャケットレスリングになるのかもしれません。(^^; 英語圏の人に訊きたいのであれば、むしろここではなくて http://judoforum.com/ のようなところできくのもいいかもしれません。
お礼
回答ありがとうございました
- newKY
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日本から出たことない者で済みません。 記事では最近「ジャケットレスリング」と呼ばれはじめたように読めますが、私が子供の頃(40年くらい前)には既に使われていたようです。 NHKのニュースか何かで「ジャケットレスリングと呼ばれています」みたいな紹介がありました。 世間一般(この場合欧米人)の認知度が低い時期に理解しやすい言葉で言い換えることは仕方のないことだと思います。 K-1などの成功もあって、今でこそ「ムエタイ」という言葉も市民権を得ましたが、日本では昔「タイ式ボクシング」「(タイ式)キックボクシング」と呼んでいました。 現代でも格闘技業界の人で「タイキック」といった表現をする人がいますから、言葉の寿命は意外と長いのかもしれないですね。
お礼
回答ありがとうございました
お礼
シドニー、アテネ、北京、オリンピックごとに柔道がレスリング化していました。 今回は甚だしい。 柔道が柔道ではなくなっていることへの疑問や違和感は日本代表の成績不振が拍車をかけているのでしょうね。 この現状は全日本柔道連盟の幹部に柔道の精神性を体現できるものがおらず、ただただ利権に群がり胡座をかいた故の有様。 そして、技を磨く稽古を通じて人格の完成を目指す、 柔能く剛を制し、剛能く柔を断つ、 柔道の本質を外国の人たちへ説くことを怠った結果だと思います。 見ていてつまらなくなった、というだけに止まらず、 文化の頽廃、残念です。