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法学 法と社会について
法は社会にどのような形で存在しているのでしょうか? 人と人との間に介入し(?)社会の守るべきルールとして存在している ということで良いのでしょうか? もっと具体的な事が思いつかなくて困っています ぜひ、ご意見を聞かせてください よろしくお願いします。
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法哲学の領域の話であり、人によって主張はいろいろで、特に決まった答えはないと思いますが、 私の思うところでは、 法 とは、広義には、プレステ攻略法 何とか合格法 というように、やり方 という意味だといえます。 社会にはいろいろな課題・局面でいろいろな やり方があり、人によって やり方も 違うでしょう。誰でも自由に考え・設定・主張できるでしょう。 テーブルマナーも誰かが主張する法の一種といえるでしょう。 法は、狭義には、法令 という意味でしょう。 古くはハンムラビ法典等 権力者によって、人々が守るべきとされるルール といえるでしょう。 現代では、憲法制定権力者が、基本法として憲法を定めているといえます。 現実には、現代の法令システム下でも、何もしなければ、誰も助けてはくれない。自分から行動を起こさなければ、法令は活用できない と感じます。また、現代の法令システム下で解決できることには自ずと限界があります。殺されてしまえば、死んだ本人にとっては、犯人に殺人罪が成立しても、生き返ることはできません。 トラブルが生じてから、法令システムで回復するより、 トラブルに巻き込まれないことのほうが重要と思います。
- harepanda
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法にはいくつかの種別があり、全てをひとまとめに説明することはできません。 日本の法律の特徴は、以下のようにまとめることが出来ると思います。 ●成文憲法をもち、法の中にランク付けがある。憲法が一番強く、法律はそれに逆らうことはできない。条例はさらに法律より弱く、条例は法律に逆らうことができない。法の整合性を重視し、矛盾する法律が存在することはあまりない。 ●刑法と民法は別ものであるという考え方を、ドイツから受け継いでいる。刑法においては、拡大解釈は禁止されている。刑法で拡大解釈を許すと、危険人物が政権をとった際、時の政権にとって都合の悪い人間を、好きなように抹殺したり言論統制したり出来るようになってしまうから。法学者フォイエルバッハが提唱し定式化した「罪刑法定主義」に基づく。 ●法と道徳は違う。法は強制執行力のある外面的規範。道徳は強制執行力のない内面的規範。 ●外交や国際法においては、ドイツと同様、「戦争時であっても外交官の身分は保証されなければならない」という、グロティウスという人の理論に従う。 ●法は人と人の間に介入するものとは限らない。訴訟手続きを定めた法、憲法改正手続きを定めた法、行政の不手際を批判する裁判、麻薬や銃の取り締まりルールを決めた法などが存在する。 ●日本は議員内閣制をとる国なので、一番えらいのは、実は福田総理ではなく、衆議院議長の河野。国会こそが、国権の最高機関と位置づけられている。 ●世界でも珍しいタイプの二院制を持つ。ほとんどの国の場合、二院制をとる理由は、貴族制度が残っていて上院(貴族院)は名誉職のようなものであり、下院(庶民院)が実質的権限が強いか、もしくは、連邦制の国において地域代表と国家代表のふたつの議会を持っているのが普通。日本は、戦後、貴族制度を廃止したにもかかわらず二院制を続けている珍しいケースで、日本の参議院は非常に強い権力を持っている。内閣総理大臣の選定、衆参で法律に割れた場合、衆議院の3分の2の賛成があれば衆議院の決定が有効となること、参議院には内閣不信任案を出す権限がないことくらいが衆議院の優越性であり、そのほかのテーマでは、両院はほぼ同じ権限を持つ。例えば、国政調査権と言って、役人が出し渋っている資料を強制的に提出させる権限は衆参で同格なので、民主党は厚生労働省が隠したがっている年金問題を追求する権限を持つ。また、公的機関に関する人事も衆参で同格なので、日銀総裁がなかなか決まらなかった。 ●貴族が存在せず、昭和天皇が側室制度をやめたことで、天皇家の血筋を維持することは困難になっている。この問題を抜本から解決するには、小泉政権下で議論されていた、女系天皇を認めるのが最善の策。にもかかわらず、秋篠宮に息子が生まれたことで、皇室典範改正論はかき消されてしまった。今回はたまたま息子が産まれただけで、ものごとを根本からなおすチャンスは、失われてしまった。次世代、次次世代あたりに、また同じ問題が出てくる可能性が高い。 このあたりは、「逆にアメリカやオーストラリアやイギリスなら、こうなる」という考え方をしたほうが分かり易くなります。 ●アメリカは刑法を特別視しないので、犯罪者と裁判官が司法取引をすることがある。日本では、民法的原理を司法にも持ち込むということを許容しないため、司法取引は存在しない。 ●ブッシュのアフォは、イラク戦争が始まった時、「今のイラク政権は正等なものとは言えないから、イラク大使を国外追放にしろ」という前代未聞の要求を同盟国につきつけた。グロチウスの影響を受けているヨーロッパ大陸諸国や日本はこの要求にあきれ返り、普段はアメリカの言いなりと言われる日本ですら、この要求を黙殺した。他方、本当にイラク大使を喜々として国外追放にしたアフォが、良識派オーストラリア人を国の恥だと嘆かせていた、前首相のハワード。 ●アメリカは特に、本国にいられなくなった清教徒が作った国であるため、宗教色が強い。法と道徳の分離という原理を理解していないため、州によっては「セックスの体位は正上位でなければならない」という、わけの分からない法律がある。だからと言って、警察が見張っているようにも思われない。正上位は英語ではミッショナリ・ポジションと言い、まさに、教会のお墨付きの体位という意味。 ●イギリスは良い意味で常識的なところがあり、一般の裁判所で負けた人間が、宗教裁判所や倫理裁判所(エクイティ)に申し立てを行うと、そちらで無罪になることも、20世紀まで続いていた。(つまり、法的には有罪でも、道徳的には無罪になるという制度があった。大岡裁きを制度化したようなもの)また、空を飛んでいるところを目撃され(?)魔女裁判に引きずり出された女性に対し、裁判官が一言、「空を飛ぶことを禁ずる法律はない」として無罪にしたりしており、なかなか愉快。しかし、歴史の短いアメリカとオーストラリアの法律は、日本人の常識を超越した発想で動いている。