理論的・理念的な問題はともかくとして、おそらく多くの教員が実感しているのは、
1.「分かる生徒の分かり方は一様だが、分からない生徒の困難は個別で多様だ」ということ。
例えば、小学校4年生の算数「わり算の筆算」で「習熟度別編成」をして、実際に教えてみれば分かりますが、分からない子が「どうして分からないか」という理由は実際、本当に個別バラバラなんです。その単元の内容が分からない、前の学年の内容(あまりのあるわり算の暗算)が定着していない、抽象概念の理解力が劣る(商を立てることができない)、そもそも九九が怪しい、イヤもっと前の繰り下がりの引き算が・・・原因は様々で結局のところ個別に指導をするしか方策は無い、というのが実感です。
もちろん「習熟度」ということを細分化して対応すれば可能でしょうが、そうなると「習熟度別」ではなくて「個別」です。で、#1さんが書いておられるように、そこまで対応できるキャパは学校にはありません。結果的に、「分からない子」は分からないままで、「できる子」だけが高度な内容をどんどん進める、ということになります。
これは、理論や理念の問題ではなく、現実の学校現場の物的・人的な限界から来るものです。
2.学習に対する刺激・励まし合いが減り、「中程度の子ども」でモチベーションが下がるということ
教室の学習というのは、先生から教えてもらうだけではありません。友達の答えを先生がほめたり、友達が間違いを指摘されたり、「優れた子」の発言を聞いて納得したりということで理解を深めていくことは、例えば算数の場合でも普通にあります。
また、「あいつが計算テストで100点取ったから、俺も負けないで頑張ろう」とか「あの子が、ドリルで○ページまでやったんなら、私も家に帰ってそこまでやろう」というような意欲を受ける場面も教室では見られます。特に「中程度の子」は上位の子から、そのような刺激を受けてモチベーションが高まります。
反対に、「分からない子」の間違いから、自分の間違いや勘違いに気付いたり、その子達にちょっと教えることで理解を深めたりすることもあります。
ところが、習熟度別では、特に中程度の子どもは「ドングリの身体検査」ですから、刺激を受けたり理解や思考を深めたりする機会が少なくなってしまうのです。結果的に、その子達は習熟度別でも通常の学級編成でも効果に差が見られない、なんてのは現場の実感でしょう。
指導に問題があるのだ、と言われればそれまでですが、教室でのダイナミックな学び合い、というのは多様な子どもがいるからこそできる、というのはたぶん多くの先生の実感だろうと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございました。 >「分かる生徒の分かり方は一様だが、分からない生徒の困難は個別で多様だ」ということ。 これにはとても納得いきました。 >学習に対する刺激・励まし合いが減り、「中程度の子ども」でモチベーションが下がるということ こちらについても確かに他人からの刺激を受けることは 人間の成長にはとても必要な要素ですよね。 いろんな人がいるからこそゆえのメリットで、 今考えるととても希望を与えられる感じがします。 ありがとうございました。