• ベストアンサー

「安全なはずの小学校」? 安全性って保障されるべきもの?

本日の読売にあった「安全なはずの小学校で…」というくだりに疑問を感じました。 小学校の安全性って全てが学校の責任において保障されるべきものなのでしょうか? 杉並の事例は施設設計面の問題も考えられるので、こちらの話は除外して考えます。 私は全て保障されるものではなく、保護者の教育がありある程度の維持ができるものと考えます。 私の小学校時代を思い出してみてそう思い至りました。 窓のそばでふざけあったり、窓から身を乗り出して窓掃除をしたり、用具室には自由に出入りできたり。 危険性など何所にでも在ったと思うのです。 こういった危険性があったにもかかわらず事故に至らなかったのは、保護者のしつけによる危険意識のおかげです。 教師による注意もありましたが、そこから危険を認識できることは保護者からしつけられているからだと思うのです。 最近の報道を見ていると、学校だけに限らず、どうして管理側に責任があるとされているのだろうと思うものが少なくありません。 皆さんはどう思われますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • santana-3
  • ベストアンサー率27% (3891/13901)
回答No.3

一歩学校など公共施設の敷地内に入ったなら、敷地内で起きる事に責任があるのは当然の事と思います。 特に学校では、安全に留意し子供を事故から守る事は教師の義務であると思います。 昔は「保護者の躾による危険意識」は学校に限らず非常に重要で、子供達、個人々の危険回避意識の要素の大半を占めていたと思います。 しかし今の保護者意識を考慮すると、昔の様な危険回避意識を子供に持たせる事が出来る事を保護者に期待するのが難しい状態になってきました。 そうなると施設側は自衛手段として、徹底的な立ち入り禁止と危険部位の排除、及び安全策を講じるのが最低限必要な時代だと思います。 また学校では生徒の問題点を教師が把握し、団体行動を統率しなければなりません。 今回の事故では、その様な危険な行動を起こす恐れがある生徒がいる、と言う事を先生は知っていたはずです。また無届で屋上に上がった事も問題ですし、あのような天窓の経年劣化を考慮していたかも問題ですし、万一の落下防止策もしていなかったようです。 まあ話を「全てが学校の責任」に戻しますと、保護者が学校に甘え、学校が行政にオンブして、行政は問題点を個々の学校に押し付ける、という歪んだ構造から発生した事だと感じます。

toy_can
質問者

お礼

保護者に教える能力がそもそも存在しない状態 しらべて見ると本当にそういう状況があるようなのです。 幼稚園の事例が多かったのですが 福祉相談や、消費者相談のサイトに まったくしつけがされていない子供が入園してくるという例が数多くあがっていました。 そういった子供に自分の子供が被害に遭って、どうすればいいのだろうという相談でした。 解決までの過程などが詳しく載っているサイトもあり、今回の質問の参考になりました。 今回の解決の糸口になりましたのでポイントを入れさせていただきます。

toy_can
質問者

補足

ご意見ありがとうございます。 「保護者に期待するのが難しい状態」。 自分の周囲のみからの判断ですので、これがどの程度深刻なのかあまり実感がありませんでした。 施設側・管理側での自衛が必要な程度には深刻になっているのかも、という認識に改まりました。 杉並の事故については判断材料が不足していると思っておりますので、現時点でのコメントは控えさせていただきます。

その他の回答 (13)

  • arain
  • ベストアンサー率27% (292/1049)
回答No.4

>小学校の安全性って全てが学校の責任において保障されるべきものなのでしょうか? 管理者は安全面管理面において「義務」や「責任」を追うものであって、安全を「保障」するものではないと思います。 >私は全て保障されるものではなく、保護者の教育がありある程度の維持ができるものと考えます。 >(以下略) >教師による注意もありましたが、そこから危険を認識できることは保護者からしつけられているからだと思うのです。 これについては同意します。 >最近の報道を見ていると、学校だけに限らず、どうして管理側に責任があるとされているのだろうと思うものが少なくありません。 報道の勝手な言い分ですね。 というか報道する側自体が質問者さんがおっしゃっているような教育を受けてきていないからの発言ではないかと疑ってしまいます。 そのため、こういった報道をすることによりさらに問題が助長されてしまっている気がします。 学校が危険な想定されている個所については何らかの対処を行う義務を怠ったということについては問題はあります。 ただ、こういう報道を見ると常に思いますが、どこか社会構造がゆがんでいると感じます。 管理者は安全面については最大限の危機意識を持つべきですが、利用者が危機意識を持っていなければ同じままです。 似たような話題で、公園の遊具の撤去がありますが、これも度が過ぎていると思われるところが多々あります。 どういったことを行った場合にどのような危険があるかについて学ぶ機会を奪ってしまっているのですから。

toy_can
質問者

補足

同意意見ありがとうございます。 「義務・責任」と「保障」ですか、確かにそこは明確にしなければいけない点です。 というか、管理側がここを明確にして説明できない点も問題ですね。 対処義務については設備面での対処・管理義務については過去の事件においても問われるべきと思います。 ただ、今回の事件ではその責任の所在については判断するにはまだ早いように思います。 報道については何とも言えないです。 数秒でまとめてわかりやすく演出する、という制限要素が入っていますから。 私自身、意見について数秒でまとめて人の興味を引けといわれたら無理と答えます。 ただ、報道を見て公平な第三者の視点では無いな思うことはあります。

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.2

おっしゃるとおりです。 あれで、「責任が管理側だけにある」というなら、「階段」や「教室の扉」など、建物のすべてが「普通に使っても、危険なもの」なので、たまったもんじゃありません。 「誰かに、責任を押し付ければ、気持ちがおさまる」という、「大人たちの勝手な都合」です。 「日常的に触れるもの」の「危険」について「考えられなくなり」、「人間らしさ」を育むことができなくなった、「大人たち全員」の犠牲者です。

toy_can
質問者

補足

同意意見ありがとうございます。 親子含めての教育が必要なのかとも思えてきます。 ※皆様、補足にてのお礼失礼いたします。 質問を締め切るときに改めてお礼を入れさせていただきます。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.1

義務教育の場合、国家が強制的に子供を集めています。 であるならば、国家が安全を保障すべきです。 これが道を歩いて交通事故にあったという話なら、公道を利用するなら親が交通ルールを指導すべきですが、学校に関しては親に選択権はありません。

toy_can
質問者

補足

言葉が足りていないようでした。 「全てが学校の責任」というところを強調させてください。 休み時間や、朝礼前放課後など、やはり目が届く限界はあると思うのです。

関連するQ&A