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日本人の安全至上主義に憂慮しとります
- 日本人の安全至上主義に憂慮しとります。世界では激しい市場獲得競争をしとります。
- 日本メーカーは、技術があるのに、安全面から発売を見送ってきました。階段から落ちたりして思わぬ被害が想定されるからだそうです。
- 消費者が何か起きた時にギャギャと騒ぐしマスゴミもアホみたいに調子ずくのも問題だと思うとります。これはすべからく学校教育及び家庭でのしつけを見直す必要があると思うとります。
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”行き過ぎた安全至上主義に憂慮しとります” ↑ いや、全くその通りです。 安全だけじゃありません。 あらゆるところで、責任を問われないように問われないように しています。 何かというと、法で規制していないのが けしからん、政府が悪い、国に頼ろう、です。 これでは萎縮し、人頼りの人間が増えるばかりです。 もう少し自己責任を進めるべきです。 そうすれば、生活保護だって減るでしょう。 人間、歳をとることなど生まれた時から 判っていたんだから、歳を取ったから政府が 面倒みろ、なんてことは止めて欲しいです。 日本は社会主義国じゃないのです。 これではいくら税金があってもたりません。
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- fertile
- ベストアンサー率7% (12/166)
構って欲しいだけの投稿は迷惑行為に相当します。キチガイの落書きですね。 いい加減、目を覚ましましょう。
お礼
もうあかんと思うとります。
- okw_gpw
- ベストアンサー率25% (1/4)
安全判断のボーダーを下げるには、その判断力・責任能力を個人に持たせる事を徹底しなければなりません。法律で物品を保護しなければならず、何を保護するのかいちいち法に述べるなど現実的ではありません。本質的に人より物を大切にする法律だという点でも問題が在り、正しく法制化するのは極めて困難でしょう。言うまでもなく事故をどう処理するかではなく、「事故が起こらない事」が一番大切です。安全面の優先は議論を持たないでしょう。あなたの「不便さ」は、人の安全を守る為に合理的に払われた「自由のコスト」です。 また「お掃除ロボット」の様な高度な技術を持つものには、物品の安全性を一般人が判断する事ができません。だからこそ専門家であるメーカーが責任を持って安全性を検討する必要が在るのは当然でしょう。一般教育で実現するのは不可能です。 現実の、こうした意味を踏まえて「自己責任」とは何か、を考えなければなりません。安全至上は当然、消費者問題は小さくても問題と取り上げるのも社会に必須です。それをどう扱うのが正しいのか、個人、社会、企業のあり方と関わりを、誰にも理解できる様、正しくルール化する事です。 アメリカ人なら説明書をよく読み、黙ってフタを壊します。それが「自己責任」の貫徹です。 韓国人は、安全性さえ購買者の選択に委ねられます。それは「個人の自由」です。 中国人なら一切文句を言いません。「社会法」の貫徹です。 でも日本人は「企業に問い合わせ、解決をはかる」のです。 私達のやり方が一番正しいのは言うまでもありません。 それを法にルール化し、正しい意味で行える様な人間を、教育しなければならないのです。 もちろん、言うほど簡単な事ではありません。 なぜなら他国の理解はルールですが、日本人のそれはルールでは無いからです。 それを上手く扱う知恵を、人類はまだ見つけ出していません。でもそれをずっと行なって来たのが日本の教育です。それは世界でも日本文化の中にしか無いもの。日本人が自らに見出さなければならない事です。 「自己責任」、「個人の自由」、「社会法」などという、単純な理解ではありません。 日本ではどれも全く有り得ない、非文化な発想です。しかしそうした判断を日本人が何を規準にどうやって行なっているのか諸外国には全く判りません。当の日本人に至っては呼吸をする様に当然な行為のために、疑問にも思わず、理解も研究もされていないのです。 その意味で、日本が世界から学ぶべき事はありません。 日本は、過去の日本と日本人に学ぶべきです。それができるのは唯一、日本人だけなのですから。 人々の内に自然に持っている優れた文化的土壌を、それを知る日本人の精神の高尚さを、 私達は正しく理解し、価値として誇り、生み出されるものを世界へ与えるべきなのです。
- mekuriya
- ベストアンサー率27% (1118/4052)
ガラパゴス化の問題です。日本メーカーは独自進化した日本の消費者に過剰適応しているがゆえに、世界市場では遅れをとってしまう、独自基準に拘ってしまう、過剰品質で割高になってしまう、自己規制で商機を失ってしまう。 日本メーカーは、自ら制約条件を自分に課してしまって、本来のポテンシャルを発揮できていない。今はそうしたことに少しづつ気づきつつある段階といったところです。先進的な企業は殻を壊して世界市場に打って出ているが、まだそうでない企業も多いのです。 日本の消費者は至れり尽くせりの過保護を求めます。なぜなら判断能力、問題解決能力が無いからです。なんでも親に聞く幼児と同じ。現代人は幼児化しているのです。例えば、現代人は乾麺のゆで時間が分からない。商品に何分ゆでなさいと書いていないと、もうどうしてよいかわからない。そうした質問が、 教えて!gooに押し寄せる。同じ質問が何度も何度も繰り返される。自分が思った疑問は、既に他の人が疑問に思ったに違いないという発想がないのです。教えて!gooには検索機能があるのに、それを使おうとしない。いつも自分だけが特別で特別扱いしてもらいたいとも思っている。 昔の日本人は、そうではなかった筈です。江戸時代にはクッキングタイマーなどありません。そもそも分という時間の単位は存在しなかったのです。だから自分で適宜、乾麺をゆでながら、適宜噛んでみて湯で具合を確認していた筈なのです。 独自進化と書いたけど、現代日本人は実は独自退化しているのではないかと。まあ、そういう問題意識も私は持っています。 ガラパゴス化しているのは産業界だけでなく、教育分野でも同じです。安全至上主義も退化の表れだと思います。極端に失敗を恐れ、チャレンジ精神をなくしている。たかが乾麺のゆで時間など、多少前後したところで食べられなくなるなんてことは絶対ない。たとえ食べられなくなっても、いかほどの損失にもならない。 施策を求めるのは先走り過ぎで、今はガラパゴス化問題について認識を深める段階ではないのかなとも感じています。こういうと日本人をガラパゴス化(退化)に留めておこうと企む勢力が例によって、懸命に論点をずらそうと策すことでしょう。そういう邪悪な勢力に負けずに質問者さんも啓蒙的情報発信を今後も続けていただきたいとも考えています。
アメリカみたいな訴訟大国に物売るには仕方ないのでは? 安全面を度外視した結果、中国みたいに新幹線が落ちるようでは目も当てられません。 確かに過剰反応に思う例もありますが(蒟蒻ゼリーとか)、現状が行き過ぎてるとは思いません。 >洗濯中に、安全のため扉が開けれないのを開けるようにできないかと言う問いです。 開閉不可なことは購入時点で分かっていたはず。買った貴方の「自己責任」です。
- dondoko4
- ベストアンサー率12% (1161/9671)
企業に責任があるのでなく、みな消費者(国民)からでた苦情に基づいたもの。 商品とは、消費者があって初めて成立するもの、生産するもの。売れない商品は作れません。不利益なものは作りません。 今の世の中、すべて利用者が実権を握っている。経済を動かしているのは営業マンではなく消費者です。その消費者がお気に召さないものであるなら、売れません。安全性だってそこに反映している。 >洗濯中に、安全のため扉が開けれないのを開けるようにできないかと言う問いです これは、無茶苦茶。事故は使う人の不注意だけではすみません。むしろ、自己の不備をメーカーに転嫁する我儘でしかない。
お礼
そうだと思うとります。 とても誠実な回答ありがとうございます。