- ベストアンサー
日本国憲法を過信していないか
現在の法律も新しくできる法律も日本国憲法に沿わなければ憲法違反となることを習いました。また,憲法条文は当然の如く解釈の違いが生まれることも習い,そのことについて議論が行われることも習いました。 しかし,日本国憲法をまとめた昔の人はそこまで解釈が広げられるとは思っていなかったでしょうし,それはつまり今新たに起こっている問題を考えてはいなかったということですよね。 ならば,なぜここまで日本国憲法という昔の文章を解釈せねばならないのでしょうか。今起こっている問題を知らなかった人がまとめたいろいろな解釈が生まれうる文章に固執する理由はなぜでしょうか。 もっとも,これ以外の秩序を維持する他の方法は思いつきません。しかしどうもしっくりこないのです。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
ちょっと異なる視点からの回答として、投稿してみますね。 まず、 > 日本国憲法をまとめた昔の人はそこまで解釈が広げられるとは思っていなかったでしょうし,それはつまり今新たに起こっている問題を考えてはいなかったということですよね。 とのお考えが、実は誤っているのです。 日本国憲法は、憲法解釈に幅のありうること、将来起こりうる新たな問題に対処する必要のあることを念頭に置いて、各条項を設けています。その代表例は、13条です(この条文から、現在でも「新しい人権」が導かれています)。 これは、日本国憲法の歴史が関係しています。すなわち、日本国憲法の原案はアメリカのGHQが考案したとの見解が通説ですが(そのGHQ原案は、実は日本人の憲法学者がアメリカとは無関係に作成していた草案に基づいているとの研究もなされています)、いずれにしろ憲法の構造等をよく理解している人々が集まって日本国憲法をまとめたのは、歴史上間違いないといえます。 そして、その当時すでに「憲法解釈に幅のありうること、将来起こりうる新たな問題に対処する必要のあること」は、憲法をよく知る人々の間では十分に認知されていることでしたから、日本国憲法にもこの考え方が十分に反映されているんです。 なお、「今新たに起こっている問題を考えてはいなかった」のではなく、むしろ未来に起こる問題は予測不可能なものもあることを念頭にして、日本国憲法を制定した人々は、憲法制定時点で予測不可能な問題にも対処できるような条文をも設けています(代表例が前述の13条)。 以上より、日本国憲法は解釈に幅のあることを当然の前提としていることを、お分かりいただけたのではないかと思います。そうすると、次に問題となるのが、eibuさんの疑問の核心である、 > 今起こっている問題を知らなかった人がまとめたいろいろな解釈が生まれうる文章に固執する理由はなぜでしょうか。 という点になろうかと思います。 この答えは、日本での憲法の位置づけにあります。すなわち、日本では憲法を改正しにくいものと位置づけているんです。これは、憲法を改正しやすいものとしてしまうと、国(政府)の都合のいいように憲法を改正されてしまうおそれが大きくなるからです。 そのため、日本では憲法をなるべく改正しないようにし、条文解釈で時代の変遷に合わせているわけです。 もちろん、条文解釈でも国の都合のいい解釈をされてしまうおそれがあります。しかし、日本国憲法は、国の条文解釈に対して裁判所にダメ出しをすることのできる権限を与えています。これにより、都合のいい解釈の歯止めが出来ます。 仮に、条文解釈ではなく憲法そのものを国の都合のいいものにしてしまうと、裁判所は憲法に則った判断をしなければなりませんから、都合のいい改正の歯止めとなりません。 したがって、国の都合のいい考えをさせないようにするためには、憲法を改正しにくくしておいて、条文解釈で時代の変化に対応したほうがよい、といえるんです。 なお、憲法を改正しやすくしている国もあります(例えば、イギリス)。これらの国は、議会の構造・議会運営の仕方などにより、国の都合のいい改正がしにくいような仕組みを作ることで、対処しています。 日本の議会構造等は、国の都合のいい改正を比較的しやすいものとなっているため、憲法を改正しにくくしておく必要があるといえます(憲法の条文に、改正しにくくする定めを置いています)。
その他の回答 (3)
- nep0707
- ベストアンサー率39% (902/2308)
>現在の法律も新しくできる法律も日本国憲法に沿わなければ憲法違反となることを習いました。 そのとおりですが、その意味は 憲法に沿わなければ「憲法に沿っていない」というだけのことです。 それ以上でもそれ以下でもありません。 >憲法条文は当然の如く解釈の違いが生まれることも習い,そのことについて議論が行われることも習いました。 これは憲法に限らず、法律、もっと言えばルールと名のつくものに必ずついて回る宿命みたいなものです。 そうなってしまう理由は大きく3つ考えられます。 ・基本法としてあまり定義を厳格にせず、運用に柔軟性を持たせた ・(質問者様のおっしゃるとおり)法制定時に想定していなかった事態の発生 ・条文の出来が悪い。でも、言葉である以上常に完璧にはならないし、完璧にしようとすると別の意味で分かりにくくなるという問題は発生し得ます(特許明細書を読んだことはありますか?あんな感じ)。 >なぜここまで日本国憲法という昔の文章を解釈せねばならないのでしょうか。 今あるものの出来が悪いから使わなくていい、という単純な話ではないからでしょう。 「今あるもののの出来が悪いから変えて行こう」という考えはありですが、 それは「今あるものには従わなくて良い」ことと同意義ではありません。 「今あるものを遵守する」ことと「今あるものに固執する」ことも違います。 ある集団に属している人は、その集団のルールには従う必要があります。 ルールに問題があればルールを変えて行く為の働きかけをすることは問題ありませんが、 だから今のルールを守らなくて良いという話にはならないわけです。
お礼
「言葉である以上常に完璧にはならない」 「ルールに問題があればルールを変えて行く為の働きかけをすることは問題ありませんが、だから今のルールを守らなくて良いという話にはならない」 の部分にとても納得しました。 回答ありがとうございました。
- kantansi
- ベストアンサー率26% (658/2438)
仰る通り現在の状況と、憲法が作られた当時の状況では、いろいろ違いが生じており、今では憲法にそぐわないことも多々あります。 かと言って、それをまた憲法に沿った状況に戻すこともできないし、憲法を現状に沿ったものに簡単に改定することもできないため、こじつけに近い解釈で、憲法と現状を一致させるという姑息な手段を取っているものです。 その典型的なものが「自衛隊」です。 憲法は明確に日本が軍隊を持つことを禁じていますが、誰が見ても自衛隊は軍隊以外の何物でもありません。 でも、今更自衛隊をなくすることもできません。 よって、「自衛隊は憲法のいう軍隊ではなく、憲法でも認められている自衛のためだけに組織された集団」とかなんとか言う風に無理やり解釈して、その存在を合憲化しているものです。 また、決して「今起こっている問題を知らなかった人がまとめたいろいろな解釈が生まれうる文章に固執している」わけでもありません。 昨今巻き起こっている改憲の流れなんかそうでしょう。 頭の固い左翼政党が、現行憲法を一字一句変えさせないと頑張っていますが、憲法も所詮過去の人がその時の状況で作ったものゆえ、悪い方向へ変えない限り、常に現状に即したものに変えてゆけば良いと私は思っています。
お礼
やはり多少無理やりな解釈でないと時代にそぐわず,憲法も変化していく可能性を持っているということですね。 回答ありがとうございました。
- harepanda
- ベストアンサー率30% (760/2474)
ごく一般論です。 法規範には上下関係があり、一番上の憲法に、格下の「法律」や「条令」が逆らうことは出来ません。 法規範の中で、拡大解釈が禁じられているのは、憲法と刑法だけです。したがって、憲法の理念を生かしつつ、ある法律が「作られた時点では意味があったが、現代では意味が無い」という判決がでても、ちっともおかしくないのです。ですから、通常の裁判(刑法以外)については、バンバン拡大解釈をしても構わないのです。 刑法の場合、拡大解釈を許すと、独裁政権が出来た時に、支配者にとって都合の悪い人物や反対勢力を処罰することが出来るという、非常に危険な状態になってしまうので、拡大解釈は許されないというのが、日本での法理論の基本です。ドイツ人法学者のフォイエルバッハという人が、「罪刑法定主義」というものを提唱し、犯罪とは事前に刑法に明示的に規定されている禁止行為のみをさすという原理を、日本はそのまま受け継いでいるのです。 昨日出た、姉妹で苗字が違うのは憲法違反で、姉妹とも同じ苗字を名乗る権利があるという判決の事例は、家族関係についての法律が、時代にそぐわず、憲法違反になっているという拡大解釈の典型例であり、法理論的には、全く問題のない判決です。 憲法を拡大解釈することは、当初の理念から逸脱することにつながりますので、あまり良い状態とは言えません。本当のことを言えば、憲法には改正したほうが良い箇所が多数ありますが、議論が第9条の改訂により正式に軍隊を持てる国にしようという点にばかり集中してしまうので、憲法全体を含めた抜本的な改正論議が盛り上がってこないのです。 例えば、憲法では、婚姻は両性の合意のみに基づき成立するとありますが、これは同性愛者の結婚の権利を認めない規定です。問題があり、改正すべきだと思います。 天皇は象徴的存在であり国政に参加する権利はないと書いてありますが、天皇以外の皇族は含まれていませんので、自分が総理大臣だったら、「外務大臣:雅子妃殿下、外務副大臣:皇太子殿下」という人事をやって、世間をあっと言わせます。雅子妃はもともと外交官ですから、この人の能力をフル活用し、かつ、皇室という特殊環境により発生した適応障害を治していただくには、医学的にはこれがベストの選択です。相手が雅子妃では、官僚も安易には反論できず、外務省の組織改善が進むでしょう。田中真紀子が外務大臣だった時、外務省の隠蔽体質が大問題になりましたが、雅子妃に逆らう勇気のある官僚などいないでしょう。 外国人の参政権は、44条を拡大解釈しなければ許容できない構造になっており、できれば、条文を直したほうがよいと思います。たとえば、「何人たりとも、日本国に税金を払う限り、選挙に参加する権利を有する。出身国や国籍により差別されることがあってはならない。日本国は『代表なくして課税なし』の原則を支持するものである」と、私なら改訂するでしょう。 62条は衆議院と参議院で、同じ権限をもつ事項を規定していますが、例えばこれは、日銀総裁人事や国政調査権で活躍している原理です。わたしなら、証人喚問をここに加えます。 73条は、内閣の機能として、特赦や恩赦の権限を持っているとされていますが、現実にはこれにより、汚職政治家が復権するという問題が発生しているため、私なら特赦や恩赦の決定の権限は、内閣ではなく、裁判所に与えます。裁判所は逮捕状請求に対して可否を警察に対して返答する権利を持ちますので、恩赦・特赦とも、親和性が高い組織です。 79条は、有名無実化している衆議院の選挙の時、国民が気に食わない裁判官への反対票を投じることが出来るという規定を含んでおり、削除か制度改訂が適切でしょう。やり方としては、反対、賛成、どちらでも良いという3つの選択肢を用意すると、ほとんどの国民は、どちらでも良いを選ぶでしょうが、残りで反対が賛成を上回れば、裁判官は罷免されるという制度などが思いつきます。衆議院選挙にあたり、各党が「どの裁判官は、こんな判決を出したやつだから、No!を突きつけよう」というキャンペーンをやれば、この方式が生きてきます。 88条の皇室財産は国に属するという規定は、理念的には理解できますが、現実には、宮内庁が古墳を管理し、学者を入れさせないことで、古代史の研究に大きな支障が出るという副作用を生んでいます。例えば、奈良には神武天皇稜という、うそっぱちに決まっているものがあるのですが、宮内庁が神武天皇稜と名づけてしまったので、なし崩し的に今でもその名前が残っています。この問題を解決する規定をどこかで入れるべきであり、「ただし、皇室財産のうち高度に学問的・文化的価値があるものと判断されるものについては、裁判所の審議により許可が下りれば、国は国民に、その皇室財産を開示する義務があるものとする」などと書き加えれば良いでしょう。
お礼
憲法も拡大解釈されるし流動的で改定もされる,絶対的な存在ではないのですね。 様々な例を含んだ丁寧な回答ありがとうございました。
お礼
「日本国憲法を制定した人々は、憲法制定時点で予測不可能な問題にも対処できるような条文をも設けています」 との言葉に驚きました。憲法ともなると良く練られているのですね。 質問に対する的確な回答,ありがとうございました。