• 締切済み

大学に行くべきでしょうか?

18歳の男です。 去年の7月に学校でのイジメがもとで高校を中退しました。 それ以来、現在もですが、一週間のうちの何日か、自律神経が乱れ、 イライラしたり、ものすごく落ち込んだりと、精神的なバランスが上手く立てられていません。 また、軽いうつ病、対人恐怖症でもあります。 そのため、心療内科に通っております。 最近、大学へ行くことも考えているのですが、 大学には法学・外国語学・文学などいろんな学問が学べます。 ですが、僕には特にやりたい学問がないんです。 そんな何の目標もない僕が大学へ行って幸せなんでしょうか? 僕は人生の目標を見つけたいです。 そのために働きながら、目標を見つけれたらなと思っています。 目標を見つけたあとに、その目標を叶えるために大学が必要ならば 大学へ行こうと思ってるのですが、この僕の考えはどうでしょうか? やりたいことがないことは本当に悔しいです。 心から惚れこめる目標とできるものを見つけるにはどうしたらいいでしょうか?

みんなの回答

  • sionn123
  • ベストアンサー率53% (1910/3592)
回答No.12

 pu-sanntaさん おはようございます。  学校って何で通うか考えた事が有りますか???その質問をすると、多くの方は「勉強をするため」と言うと思います。確かに学校に通っていても、遊びほうけて勉強しなければ卒業は出来ませんよね。ですから「勉強する為に通う所」と言う回答は間違えでは無いです。しかし、それだけなのでしょうか???私は親友呼べる友人と出会う場だと考えています。  pu-sanntaさんには親友と呼べる友人はいますか???多分居ないと答えるだろうと思います。特に高校時代は1人も親友は居なかったのでは無いでしょうか???(以上想像で記載してごめんなさいね。違っていたら誤ります。)そう考えた理由は例えいじめられっ子であっても親友がいて親友に何でも話す事が出来たのであれば、例えいじめが原因でいじめから逃れる為に高校を中退する事になったとしても心療内科に通わなければ成らないほどの精神不安定状態にならなかったと思うからです。  私の事を話すと私もいじめられっ子でした。特に高校の頃の私に対するいじめは酷く、いじめが原因で高校を中退したり自殺したいって何回も考えました。でも私には何でも話せる親友がいました。いじめで嫌になったら即その親友に「学校に通いたくないよ。学校を辞めたい」と話していました。そうやって話すことでで少しは心が楽になった感じがしていました。彼からは「貴方はね将来薬剤師になりたいんでしょ。そのために薬科大学の附属高校に進学したんでしょ。夢を叶えるためなら辛い事が有ってもがんばりなよ」っていつも私を励ましてくれて心の支えになってくれました。そう言う親友が居たからこそ私は高校を卒業出来たんだと思います。ちなみにその親友は今は主人と呼び名を変えて一緒に生活しています。  そう言う親友探しに大学に通われたって良いのではないでしょうか???  では社会に出たら、親友って出来ないのでしょうか???出来ないとはひと言も言いませんが、難しいでしょうね。社会に出ても友達は出来ます。しかしその友達は、会社や経済的なつながりの友達が多く、例えば同じ会社にいる友人と言う感じです。ですから何らかの理由でその会社をpu-sanntaさんが退職したら、友人関係が途切れると言うのが多いかと思います。ですから友人は出来ても、その友人が親友になる確率は少ないと思います。  しかし大学は仕事や経済的なつながりって一切無いですよね。単なる好き・嫌い、付き合える・付き合えないと言う感覚でしか無いですよね。ですから親友を作れる最後のチャンスだと私は思います。そう言う感覚で大学に通うのも有る意味有りかと私は思います。  以上より私は大学に通った方が良いかと思います。心療内科に精神的病気で通われている人って、ともすれば変人扱いされるかもしれませんね。でも類は友を呼ぶです。同じ感覚の人は集る傾向が有ります。ですから多くの方からは嫌われてもきっと良い友人は出来るものです。そう言う友人探しに(それも一生付き合える様な友人を)大学に通ってみるのも1つ良い考え方だと思います。そう言う何でも話せる友人が出来れば、きっと今の病気も楽になって完治するかもしれませんよ。  以上取りとめのない内容を長々記載しましたが、何かの参考になれば幸いです。

  • otx
  • ベストアンサー率44% (256/576)
回答No.11

私は子供の頃、昆虫が好きでした。その昆虫が好きから生物が好きになり、大学では生物学科で生物の勉強がしたいとなり、博士課程までその勢いで進んで、今は生物学の知識を元に大学で基礎医学の研究者をやっています。 さて、私は最初っから「基礎医学の研究者になる」ということを目標に掲げていたわけではありません。きっかけは「昆虫好き」であり、動機は「生物の勉強がしたい」で大学の学部を決めたわけです。 その後、経験していき考え方も変わり、目標も変わりより定まり、現在に至るということになります。 目標は見つけなければならないとか、意味なく大学に行くのは意味がないとか、おっしゃる方もいますが、私はそんなにカチカチに考えて生きることはない(「~した方がよい」であり「~しなければ絶対にならない」ということではない)と思います。 私が「昆虫が好きだから生物の勉強がしたい」とみたいにカチカチではなく、何か質問者様は「好きなこと」はないでしょうか?それをきっかけに大学に行かれることを、私はお勧めします。 その4年間で、いろいろ経験して目標を見つけるほうが見つけやすいと思います。会社に入るとそんな余裕がないと思います。 大学に行った人はわかると思います。その、ほぼ100%の人が大学生の頃に勉強もしたと思いますが、楽しく「遊んだ」と思います。 これを否定する人は、よっぽどひねくれた人だと思うくらいです。 大学は高校までの学校と全く違います。楽しいです。これまで学校ではいじめって何で起きるのだろうと思うくらい、大学は全く違う存在で楽しいです。 大学でしかできないことは山ほどあります。その経験は人生を豊かにすること間違いなしです(もちろん勉強もしましょう)。 サークルに入って活動したり、アルバイトをしたり、旅行をしたり、 そんな中で出会った人たちとは一生の付き合いになることも多いです。 また、興味がわいた分野への勉強を自ら進んでやれます、し放題です。 大学3年生の方のコメントがありましたが、そんな風に考える大学生がいるとは悲しかったです。私は大学のときは勉強もサークルも楽しくて仕方がないものだと思います。 4年間が時間の無駄ってないと思います。私は勉強したことを除いてしまっても、良き友人と楽しい思い出を得たことだけでもかなり意味のある4年間だったと思ってます。 大学行って、サークル入って、授業を受けて勉強して そうしている間に、明確な目標を考えていっていいと思います。 大学行ったら高校までで思っていた「学校というイメージ」は払しょくされますよ。 頑張ってください。

  • nintai
  • ベストアンサー率31% (401/1269)
回答No.10

>目標を見つけたあとに、その目標を叶えるために大学が必要ならば 大学へ行こうと思ってるのですが、 その時は手遅れになっている可能性が大です。 日本の多くの企業は、主に24歳までぐらいしか新卒で採用しません。 つまり、大学に進学する場合は2年遅れぐらいならギリギリ影響はありませんが、3年以上遅れて進学した場合は、就職活動に影響します。 ある程度の方向性は受験前に定めて、具体的な進路は大学在学中、もしくは就職活動の時期に決定すべきです。 >僕は人生の目標を見つけたいです。 まず、日々を何となく過ごしていたら、降ってくるように「人生の目標」が浮かぶわけではありません。 自分で探すものなんです。 手法はいろいろとあるでしょう。 本や新聞を読んでて興味が出たり、テレビで影響を受けたり、尊敬できる友人や大人から影響を受けたり、、、そういうきっかけを大切にして、自分なりに調べてある程度定めていくものです。 与えられたり、パッと浮かぶものではないことを理解してください。 >やりたいことがないことは本当に悔しいです。 ですから、自分で作ってください。 あと、大学には、別に学問を学びにいくだけではありませんから。

  • tekcycle
  • ベストアンサー率34% (1839/5289)
回答No.9

えぇっと、自律神経失調症というのは医者が保険請求のために適当に付けた病名です。殆どそうです。 うつや対人恐怖症などの精神障害でもあれば、イライラしたり落ち込んだりするのが普通で、それをもって自律神経が乱れたと表現する方が色々な意味でおかしいのです。 乱れているにしても乱れるべくして乱れているのですから。 > そんな何の目標もない僕が大学へ行って幸せなんでしょうか? 大学に行っていることは幸せなこととは限りませんから。 イチローが野球をしているのは辛いことかも知れませんよ。 考え方が間違っているように思います。 趣味でも何でも良いんですが、それに打ち込むということは、必ずしも幸せを意味しません。辛いことも多いはずです。 しかし、大局的に見れば、それすらしないよりはずっと良い、とは言えそうです。 > この僕の考えはどうでしょうか? 30歳です、大学に行こうと思います、というような質問をここでたまに見ると思いますが、あなたはそれについてどう思いますか? 勉強というのは、本来試験のためにすることではありません。 英語ができなくて本当に良いんですか? 国語ができなくて本当に良いんですか? 数学が、理科が、社会ができなくて本当に良いんですか? それらの試験だけできればいいわけでは全然ありませんが、できもしないのとは訳が違うはずです。 自分のために淡々とすることです。 というか、もっと面白がってやらないと進んでいかないと思います。 あれは嫌だこれは嫌だと欠点探しは誰でもできます。 勉強なんてできなくても俺はやっていけるぜ、というのもある意味欠点探し。 大学になんて行かなくても、も同様。 欠点は誰でも見つけます。 そうではなくて、やっていって面白いところを見つけなければなりません。 それには、趣味でも何でも、色々なことをしていった経験が必要です。 むしろ、やってみたら面白かった、ということはあるのですよ。 それは、机の上でどうしようこうしようと考えていても判らないことです。 まず飛び込んでみないと。 逆に聞きますが、法学や経済学に嫌悪感がありますか? 就職した方が良いかどうかについては判りません。 ただ、学生や浪人生をやる方がずっと甘いはずです。 ま、とにかく治すところはまず治さないと。

  • TYWalker
  • ベストアンサー率42% (281/661)
回答No.8

みなさんのおっしゃることの方がむしろ正論かとも思いますので、参考までに聞いてください。 やりたいことがはっきりしていず、人生の絵図面が描かれていないのであれば、そして親御さんが大学に進む援助をしてくださるのであれば、ぼくはむしろ大学に行かれたほうがいいと思います。 ここからは少し厳しい言い方になりますが「どこかのオジサンがえらそうなことを言ってるよ」と笑い半分で聞いてくだされば幸いです。最後まで読んでくださると分かりますが、あなたはたぶんぼくと似ていると思います。 で、今の時点で自分がやりたいことがわからないあなたが、今のあなたを雇ってくれるようなハードルの低い企業に就職してコキ使われたら、たぶんやりたくもない仕事を生活を維持するために続けて後悔する可能性が大きいです。学歴や能力のない人でも雇ってくれる、ハードルの低い会社ほど、毎日の仕事がきつく、自由に考えさせてくれる時間もなく、自分の判断で仕事を任せてくれることもないのが現実です。 SF作家のかんべむさしさんが、自分の大学生活のことを「むさしのキャンパス記」という文庫本にまとめていて、その解説を、後輩のSF作家の新井素子さんが書いているんですが、その中で新井さんは、大学のことを「4年間の夏休み」と言っています。 大学は、言ってみると分かりますが、あなたのような何をやりたいのかはっきりしない若者がいっぱいいます。また、勉強のカリキュラムも小中高と比べると全然ゆるい。また、いろんな地方から集まってきた人がいるので、同じ地域のムラ社会の子供が集まる小中高と比べると、かえって友達ができたりするものです。 そういう生活のなかで、将来についてあれこれダベったりする中で、何か発見があるんじゃないでしょうか。 ぼくも高校時代は友達ができず暗かったですが、いわゆる「大学デビュー」をして、生活がグンと明るくなりました。しかし経済的な事情で中退してしまい、思うような就職ができなくて、それからしばらく、大学時代の友達と比べても明らかに給料も低く、休みも少なくて、辛い思いをしました。今はなんとか這い上がっていますが、ずいぶん無駄な努力をしたと思いますし、下げたくない頭を下げたと思います。大学時代の友達は今でも大切な友人です。 ということで、多少ムリしても大学に入って、ダメもとで自分のやりたいこと探し、友人探しをしてみるという企画はどうでしょうか。中退でも入らないより世間の目はマシだと思います。何の手がかりもないのに、生活のために苦しい仕事をしながら人生の目標を探すよりも、大学でいろんな友達や先生の話を聞いたりしながら、教養を高めながら人生の目標を探すほうが、選択肢が広がると思います。 「人生の目標」と言う風に人はいいますが、ぼくは「少しでも楽をして気持ちのいい生活をし、周りの人と楽しい時間を過ごして安らかに死んでいく」というのも立派な目標だと思います。何か立派な功績を立てることが立派な人生のようなことをいうのは人間だけで、動物はみな「生まれてきたことそれ自身」に感謝をささげて生きていると思います。 下世話な話ですが、英語力とコンピューターの能力は身についているといないで人生がだいぶ違いますから、この2つを身に着けたほうがいいと思います。 あと、読書(特に若いうちでないと読めない古典を読むこと)といい音楽を聴くことをおすすめします。

noname#60031
noname#60031
回答No.7

私は今大学三年生です。たとえやりたい学問があって大学に入っても、その学問を就職につなげることができなければ、大学四年間はただの自己満足になってしまいます。言い換えれば、「夢」とか「趣味」を学問に求めても、大学教授や研究者にでもならない限り大学四年間は時間の無駄です。ましてあなたはやりたい学問がないという。「大卒」という名の資格を手にするためだけに大学に行くのは、人生の貴重な四年間を遊んで無駄に過ごすようなものです。大学に行こうか悩むくらいなら、他に道を考えるべきだと私は思います。

  • ape5
  • ベストアンサー率57% (85/148)
回答No.6

まずは病気の方を良い状態が長く続くまで、ゆっくりでいいので治療していきましょう。 若いころは浪人などして1年、2年人より多く無駄にしているということがすごくダメなことだと思ってしまうかもしれませんが、実際はそんなことはないとおもいます。今大学にも行ける経済的余裕もあるかもしれませんが、今のまま大学に行って、病気のため休みがちですごしても、最悪休学とかになったらお金の無駄です。また、休学にならなくても、授業に出なかったためによく理解もせずテストを受け、たまたま通っても、忙しくすごして単位を取るためだけにに過ごしては、どうかなと思います。そんな状態だと人生の目的などを探している暇もそんなにはないのではないかと思います。 今は病気を良い状態まで治療し、精神的に落ち着いているときは、大学入試のための勉強をコツコツ続けていくのがよいと思います。やってないと忘れてしまいますしね。 うつ病は治る病気ですので、治してから大学でゆっくりと過ごし人生の目標を見つけてください。

  • akkeyNo1
  • ベストアンサー率25% (61/241)
回答No.5

pu-sanntaさん、はじめまして。 心が不安定で今の自分が自分自身を守ることに精一杯なら、急がず働きながら人になれることから始めたほうがいいと思います。 心は一度傷つくとハイスピードでは治りませんよね。そこから考えると働きながら目標を見つけること、大変前向きな考えだと思います。 大学進学という面だけから書くと、私は大学生というものは大きく ・明確に目的がある人 ・何をしたいかわからないからとりあえず進学した人 に分かれていると思います。 しかし最終的には専攻科目に興味がないと学生生活もつまらないのではないでしょうか。 個人的にはやりたいことを見つけるまでの期間に何かスキルアップをしたいというのもありと思います。ただしつきたい職業につながっていないなら、将来役立つかは不明です。 勉強から離れるとなると大学に行くための条件である学力はこれから確実に下がっていくでしょうし、親御さんだって年をとります。 つまり現実的に大学進学にはタイムリミットがあるということです(ご自分で学費を稼ぐことができる場合は別ですが)。もちろん、学力面は根性で乗り切れます。 ご本人がいつか大学に行きたいと思っているならば、何かいきたい理由があるはずです(就職に有利だからとか、みんなが行くからでもいいと思います)。その場合は逆から見て、自分ができそうな職業に役立つ学部に入る手もあります。 pu-sanntaさんの場合、何となくで進学したくないという気持ちが文章から見えますので、少しずつ社会に出て、何かが見つかったら、その時が大学に行くかどうかの考え時かなと思います。

  • petzl1968
  • ベストアンサー率48% (39/80)
回答No.4

やりたい事がないなら大学など行く必要などありません。 ですが、就職の際の採用基準に大卒以上と云う会社も世の中には 多くあります。 将来、転職しようとした際にこの事がネックになる場合があるので 大学に行けるだけの学力と資金があるなら行っても損ではありません。 今の貴方の状態では、履歴書の欄に最終学歴は中卒としか書けません。 職種によっては学歴不問という場合もありますが、多くの場合は高卒以上が多く就職の際に自分が選べる仕事の幅が狭くなってしまうので 行けるのなら行った方が良いと思います。 自分の場合は、大学入試の際に高校から推薦状を出してあげるから大学に行く気はないかと担任に訊ねられましたが、これ以上勉強する気がなかったのでこの誘いを自ら断ってしまいました。 高校卒業後、数年たってあの時、無理をしてでも大学に進学しておけばよかったと後悔した時もありましたが後の祭です。

noname#61653
noname#61653
回答No.3

<心から惚れこめる目標とできるものを見つけるにはどうしたらいいでしょうか? そんなものを明確に導き出せる人はいないという事をまず理解しましょう。 大学に行っても就職をしたあともみんな悩んでいることです。 あなただけじゃないです。定年を迎えた人でさえまだ答えを見つけられない人も、そのまま一生見つからない人も普通にたーくさんいるのです。 生きるための目標を探すのはおやめ下さい。 生きることが目標なのです。何をしてもいいからまず生きることです。 働きたければ働けばいい。学びたければ学べばいい。 選択肢をもてる自分がどれだけ恵まれていて幸せかを思い知りなさい。 ほとんどの人は選択の余地なくするべき事をして毎日を過ごしています。 やりたい仕事について活き活きと働いている自分、という幻想をまず捨てることです。 そう。それは「夢」ではなく単なる幻想ですよ。 がむしゃらに働くうちに生きてる実感を得て、何かに開眼し、次の段階に進めるというものです。

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