性の自認って何?
質問というよりは、ご意見伺いになると思います。
セクシャルマイノリティーがその認知を徐々に広め始めて数十年くらいでしょうか。自身は同性愛者であるとか、その全く逆に性愛指向を持たないであるとか、一般的な性別的な考え方をしているとそれに合わない人達を笑うのが実は差別になると分かってきて、問題が様々に表面化しているのが現代だと思います。
例えばテレビで性的な差別を言ってしまうと猛烈なクレームになる時代です。
さてそのセクシャルマイノリティの中に、トランスジェンダーという概念で括られる、トランスセクシャリティーとして、性自認が自身の生物学的性別に合致しない、という方がおられ昨今ではトランス男性とかトランス女性、或いはどちらの性とも認識できないというXジェンダーと呼ばれる方がおられます。
そこで、自認を標準的な考え方として認め、性別適合手術を受けなくても性別変更を認めるというのが世界的な考え方になってきております。
で、私の疑問は、一体「性の自認」とは何なのか? です。
いろいろ調べても全然わかりません。
もっと専門的に調べればいいのかも知れませんが、少なくとも「性自認とは何か?」でググっても、解説は単に「性自認とは自身の性別を男や女と認識すること」以外の説明に出会ったことがありません。これは単に言語辞書的意味でしかない。
私のような性的マジョリティは、考えたこともないと思うのですけど、しかし性同一性障害を仮に全く障害ではなくむしろ正しいと仮定した世界があるとするならば、間違っているのはマジョリティの方です。SF的にそうした世界を考えることは可能であり、何も矛盾はしません。で、そうした世界では、現実の世界ではマジョリティである側の人が、自認と生物学的性別と合わない、と苦しまねばならないのです。例えば異性愛者が弾圧される社会ですね。子供は別にクローン人間のようにして作るからセックスで子供を作ってはならない、などです。
つまり性自認とはあくまでも、社会的性別区分に合わないと言っているだけで、本当のところは体と合わないと言っているわけではない、ということになるような気がするのですね。ただ私達社会が染色体やら性器などで、そうした定義に合致するのものが性別であると決めてきただけなのではないか。そして、性器で決めてきた社会的な様々なジェンダー区分的考え方が、性自認のマジョリティ側に偏ってしまったのでは、と。
こうして思索を続けると、進化論的には、性自認を生殖に有利な方向に考える側に優位に働いたからこそそれが結果的にマジョリティになっただけであり、それに反する側がマイノリティになってしまったようにさえ思えます。つまり、性自認とはそもそも生物学的な機能の一つなのではないかと思うのですね。それは意図的に行われるものなのではなく、生物学的機能としてすでに誰にでもあるものなのではないだろうかと。
中二病的思索が好きなものですから、適当すぎるかも知れませんけど、何か意見がありましたらお聞かせ下さい。