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考謙天皇と道鏡の関係
今日予備校の授業で日本史で奈良時代を習いました。 その際先生はここは予備校だから言えないが、考謙天皇と道鏡の関係にまつわる下ネタ話はすごいぞ とだけ言って先に進んでしまいました。 、、、すごく気になります。その下ネタ話を詳しく知っている方がいらっしゃったら教えてください(笑)
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膝が三つあったとか。それ位凄いモノを持っていたという言い伝えが。 ただ孝謙天皇が後継者問題で身体を患い、それを献身的に看病した事で特別な関係が生まれたのはあるようですよね。 彼は僧侶の立場でありながら太政大臣禅師にまで上り詰めていますから。そしてさらに宇佐八幡神託事件という皇位をも譲る譲らないの問題にまで発展して彼は結局女帝のもとを離れていきますけどね。 下ネタ以外も勉強してね☆
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下ネタはよく分かりませんが、一般的に言われているのは、男女の関係にあったという説ではないかと思います。 考謙天皇は、血筋的には皇族の母を持たず(彼女の父である聖武天皇以前は、天皇になる事が出来るのは、父母ともに皇族であることが条件の一つでした)、かつ未婚(処女であったかは別として)で即位した珍しい人です。彼女以前にも女帝はいましたが、配偶者である夫がなくなった後とか、次代を継ぐべき皇子が年少であるとか、即位の理由は様々です。 彼女には、弟がいたのですが、幼くして亡くなり(長屋王事件に発展していく)、天皇親政から藤原氏が台頭していく、といった政治形態が変わりゆく中、当時の権力闘争の中で即位しています。 上記のような事情がある中で、道鏡の出世は極めて異例の事だったでしょうから、藤原氏をはじめとする貴族勢力には目障りな存在であったのは間違いありません。そういった下ネタ話が真実であるかどうかは分かりませんが、そういった話が伝わる素地があった事は確かだと思われます。
- misa-on28
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鎌倉時代の「古事談」だったと思いますが、 孝謙天皇は道鏡のものにも満足できずにヤマノイモでもって陽物をかたどって用いた所、中で折れてしまってとれなくなってしまった。 取り出そうとした手の小さい百済の尼を藤原百川が「妖狐である」と斬り殺したため、それが元で亡くなった。 という、とんでもない伝説もあります。 あと古い川柳でもいろいろ怪しからぬ道鏡巨根伝説が言い伝えられてはいます。
- tanuki4u
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男女の関係があった という説。 で、道鏡の道具はすごかったという説。