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アドルフ・ヒトラーは世界へどう影響力したのでしょうか?
アドルフ・ヒトラーが世界に及ぼした影響、またどう影響したのか説明できる方、教えてください。歴史に全く疎く、本を読んでもいまいち理解ができません。よろしくお願いします。
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* ナチの正式名称は、国家社会主義ドイツ労働者党。極右なのか極左なのか、よく分からない。民族主義的という意味では極右であり、国民生活の向上を目指す点では極左である * イギリスやフランスなどが世界中に植民地を持っていたのに対し、当時のドイツは、後から割り込もうとした、遅れて登場した帝国主義国である * ロシアや東欧を植民地にしようと狙っていた * クーデターではなく、選挙に勝つことで合法的に政権を獲得した。第一次世界大戦の戦後処理の中で、ドイツに重い賠償金が課せられていたため、多くの人が生活苦やフランスへの不満から、ヒトラーのような危険な人物に投票した * 当時の前衛芸術であるドイツ表現主義を退廃芸術として批判し、ほとんど活動停止状態に追い込んだ * 自動車時代の到来を見越して、誰もが買える自動車(フォルクスワーゲン)と高速道路網の整備を行った * ユダヤ人問題の最終的解決と称して、ユダヤ人を皆殺しにしようと、次々と強制収容所やガス室に送り込んだ。当時のドイツの状況は、国外にも漏れ伝わっていたが、米国などがバチカンに対し、ドイツへの非難の声明を出すよう何度となく説得を試みたものの、バチカンは結局、黙視を貫いた(「宗教とは麻薬だ」を標榜する共産主義のロシアよりはナチスのほうがましだ、という理由による) * プロイセンはかつて、ポーランド分割後、現在のポーランドやロシア領カリーニングラードを含む地域を支配していた。プロイセンというとドイツというイメージがあるかもしれないが、実はドイツではなく、ポーランド・リトアニアを支配していた国。プロイセンは元々、リトアニアやラトビアと並ぶバルト系言語の国だったのが、ドイツからの移民が増えることで、プロイセン語は消滅していた。ヒトラー時代には、ポーランドが独立国として復活しており、ドイツは東プロイセンと本国に分断されていた。東プロイセンはドイツとロシアの激戦地となり、戦後はロシア領カリーニングラードという飛び地になっている(EU加盟国であるリトアニアとポーランドに囲まれている) * 犬の血統書の制度を作った * 第一次世界大戦の時に、ドイツが二度と復活できないようにするために課した重い賠償金が、結果としてドイツ国身の不満につながり、ヒトラーのような危険な人物の台頭につながったという反省から、第二次世界大戦の戦後処理にあたっては、戦勝国は戦敗国への賠償金請求を放棄することが原則とされた。日本はこれにより、中国や韓国への賠償金支払い義務がなくなり、ODAによる実質的な賠償金の提供、政府からではなく特別な基金からの従軍慰安婦への賠償などという手段をとることになった * ヒトラーはドイツ人ではなくオーストリア人であることが、忘れられがち
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- tanuki4u
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戦争終結において、報復的にやり過ぎると、大変なことになる。 というのを各国が学習しました。 第一次世界大戦までは、戦争は勝てば儲かるものでした。 賠償金とか領土とかとれましたので。 で、第一次世界大戦でも、同じ発想で、ドイツ本国は領土を減らされるは、賠償金は取られるはで、大変。 その大変さが、ヒトラーに政権を取らせました。 これで大変になったので、第二次世界大戦では、報復的な、あるいは戦費がまかなえるような大幅な賠償金はなくなりました。
- nishikasai
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ヒトラーが負けてソ連がドイツの東側を占領したのでドイツより東側にある国々が近年まで共産圏となった。おかげで東欧は経済的にいまだに立ち遅れている。チェコなんかは大戦前はヨーロッパ有数の工業国であり、日本軍は中国戦線でチェコ製の機関銃にかなりいためつけられたほどであった。 ヒトラーがユダヤ人を大量虐殺したのでアメリカとイギリスが同情しイスラエルが誕生した。