取引の安全は、真実の権利者と、その権利を契約を媒介として取得しようとする第三者とのどちらを優先的に保護するかという利益衡量の問題です。
このことについて民法は、後者を前者よりも優先的に保護する旨を原則とします。その理由は、近代社会は商品交換社会であるので、取引しようとする者が転売を予定して他人から商品を買い入れるのが普通であり、一つ一つの取引はそれだけで終わるものではなく、その背後に無数の取引を予定しているからです。
すなわち、ある一つの取引が何らかの事情で成立後に無効にされると、その取引の履行を予定している次の取引、さらにまた次の取引というように、その取引につながる数多くの取引が連鎖反応的に無効になってしまう虞があります。そうなると、資本制経済の円滑な運用に支障を来たすことになります。そこで、個々の取引においては、禁反言に拠って相手の所有物として信頼された取引目的物の所有権取得そのものが保護される必要があり、その結果、反射的に真実の所有者が所有権を失ってもやむを得ないこととされるのです。
以上の趣旨を考慮すれば、取引の安全は、公共の福祉の観点から私的自治に外圧的な制限を加えるものではなく、むしろ私的自治を基調とする資本制経済活動(商品交換)を円滑ならしめるための調整原理と捉えられます。
一方、公共の福祉とは、各人の個別利益を超え、またはそれを制約する機能をもつ公共的利益あるいは社会全体の利益を指す概念であり、民法上は財産権の制限を意味します。その具体例としては、独禁法による私的独占の排除や公害対策・自然環境保全のための規制などが挙げられます。
これを平易に言えば、万人の幸福につながる公共性の高い利益を図るためには、一人の幸福を犠牲にすることが許容される場合もあるということでしょう。
私的自治の原則から要請される取引の安全によって、善意の第三者を保護することが、公共の福祉に依拠するといういわれはありません。両者は、次元を異にする概念です。
よって、取引の安全は、私的自治の内部において利益を調整するための解釈上の判断基準であって、公共の福祉とは無関係です。
取引の安全の根拠を公共の福祉に求める見解は、寡聞にして存じません。
補足
回答有難うございます。 なるほど、私的自治の原則の中に「取引の安全」が内在化していると考えることもできますね。 であるとすれば、私的自治の中には信義誠実の行為基準も内在化しているということも同様にいえますし、権利濫用をすべきでないという行為基準も内在化しているということも、また公共の福祉に従うという行為基準も内在化していると考えることも出きると思うのです。 しかし、一般には民法においては私的自治により私人の自由が保証されているが、それは全くの自由ではなく、公共の福祉、信義則、権利濫用の禁止の範囲内のものであるとされているのではないでしょうか。(つまり無条件の自由ではなく1条により修正される) 公共の福祉とは、社会全体の利益ということが出きると思いますが、例えば「取引制度の維持・発展に資する」、「社会経済活動の維持・健全な発展に資する」、「正義に基づく公平な社会の実現に資する」、「社会秩序の維持・発展に資する」とかではないでしょうか? 「取引の安全」は上記のうち、「取引制度の維持・発展に資する」に該当すると思うのです。 または、信義則は「公共の福祉」が社会レベルであるのに対して個人レベルでのものであるという言われ方もするみたいですので、そうであれば信義則のなかに「取引の安全」が含まれるのかもしれません。