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ドストエフスキの「大審問官」の問い
古今東西の知性が常に「読むべき」本として名前をあげる「カラマーゾフの兄弟」。その中でもとりわけ根源的な問いをつきつける「大審問官」については解説を試みたものも少なくありません。しかし、私にとってはすべて一般化しすぎた結論に終わっているように感じられ、しっくりいきません。特にキリスト教(カトリック・プロテスタント問わず)を信じる方々はこの問いをどのように自身の内で処理されているのでしょう。ご意見お聞かせください。たくさん聞きたいことはありますが、今回お尋ねしたい問いの部分は以下のとおりです。(原文どおりではありませんが) ・人間は「神」よりも、まず「奇跡」を求める ・おまえ(キリスト)は選ばれた者のためだけにやってきたというのか ・強い人たちが堪え忍んだことに、それ以外の弱い(しかしおまえを愛している)人たちが堪えられなかったからといって、何が悪いというのだ。人間はおまえが思うよりも遥かに弱く作られているのだぞ 以上、よろしくお願いします。
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お礼
再三にわたり詳細なご回答感謝いたします。しかし「小説」をそこまで貶めなくても、とも思うのですが。。(その割に俗っぽい映画や漫画の話がたとえにでてきたり・・・。霊界にも魔法学校のようなものがあるのですか??)。私は別に汎神論や無神論に固執しているわけではありませんが、キリスト教的な「全知全能の神」に危うさを感じているだけです。とりあえず漫画はあまり読んだり見たりしませんので、参考になりました。私の方こそ、失礼な点が多々あったと思いますが、未熟者ゆえ何卒ご容赦ください。