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「とする」と「としている」

ネットニュースで一つの文を見ました。 (ブッシュ大統領は)対話を行えば、ダライラマが立派な人物であることが中国政府にも分かるだろうとしている。 最後の「としている」はどういう意味で使われているでしょうか。「とする」に書き換えてもニュアンス的には変わるのでしょうか。 ご回答のほう、お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • cyototu
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回答No.3

「としている」はマスコミが作り出した言葉です。「とした症候群」とも言われ、マスコミ言葉のなかで伝染性のある病気の一つです。その意味は「相手はそう言っているが、果たしてそれが正しいか正しくないかについて、それを書いたり報告しているマスコミ側はいっさい責任を持ちません」と言うことです。「とした」も同じ意味です。 しかし「とする」はマスコミでは使いません。なぜなら、誰がそれを「とする」のか、場合によってはマスコミがそれを「とする」としたのかと受け取られてマスコミが責任とることになったら、無責任を信条とするマスコミにとって、とんでもないことに成ってしまうからです。

その他の回答 (5)

回答No.6

No.5です、回答者の補足にお答えします。 まず元の文から考えてみまししょう。 <(ブッシュ大統領は)対話を行えば、ダライラマが立派な人物であることが中国政府にも分かるだろうとしている。> 最後の「している」の主語はブッシュ大統領のことですね。この言葉は、ややあいまいですが、この局面では「述べている」「言明している」「断定している」というようにかなり明確な意味になります。 回答者さんがおっしゃるように、「だろうと思う」はすわりが悪い使い方になります。 「だろう」の「だろ」は確かに断定の助動詞ですが、「う」は推量の助動詞なので「だろう」は断定の意味がかなり薄れて、むしろ推量の意味合いが強くなります。しかも、「だろうと思う」の「思う」のような婉曲表現は日本人特有の頼りない言い方で、アメリカ人であればこのような言い方はしないでしょう。  したがって「だろう」は蛇足で「わかる」「理解できる」というように断定的な表現にすべきですね。

回答No.5

「中国政府にも分かるだろうとしている」の「している」と言うのは 「考えている」とか「思っている」「見解を示している」ぐらいの意味です。 「とする」と「としている」の相違は両方とも「格助詞と」を共通に含んでいるので、「する」と「している」の違いを考えたほうが楽ですね。  さて日本語の動詞表現には動作を表すのか状態を表すのかの別があります。「考える」「思う」が動作で「考えている」「思っている」というのが状態です。  他の例で言えば「起きる」「起きている」の違いです。 「私は毎朝6時に起きる」と言えば起床する時間を言っているので起きるという動作を言いますね。「私は6時に起きている」というのは、毎朝起きる時間は5時かも知れません。とにかく6時には寝床から出ており何かをしているのです。このような「~する」「~している」はアスペクトといって「動詞の表す動作を、その動作が時とともに展開してゆく過程においてとらえたときのさまざまなあり方、およびそれを表現する組織的な文法形式」と説明されています。様相と訳されています。  この場合の「中国政府にも分かるだろうとしている」というのは妥当な表現だと思いますが「中国政府にも分かるだろうとする」というのはいかにもおかしな言い方です。なぜなら「だろう」が憶測表現で「とする」は断定的なので相容れないからです。                                                                                                                                       

ohatsu68
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 ここでちょっとご回答の内容についてまた質問ができてしまいますが… 「とする」「考える」「思う」→動作 「としている」「考えている」「思っている」→状態 とのご説明ですが、最後のところに、 「だろう」といった憶測表現は「とする」とは相容れない、とあります。 となりますと、「だろうと思う」はすわりが悪い使い方となるはずですが、やはり耳にするいいかたですが。 これは間違いでしょうか。 度々すみませんが、よろしくお願いします。

回答No.4

こんにちは ( ^^ 「~とする」は、格助詞「と」+動詞「する」の連語です。この例文の場合は「~の意を表明する」という意味になります。 また、「~ている」は、接続助詞「て」+補助動詞「いる」の連語で、動詞の連用形の後に付きます。意味は色々ありますが、この例文の場合は過去の動作の結果が現在まで存続していることを表わします。 ブッシュ大統領の発言はアメリカ合衆国の公式な意思表示ですから、「昨日は昨日、今日は今日さ」というようにころころ変るものではなく、事情に変化がない限り、その意思は変らず存続し続けます。 したがってニュース報道としては、 「ブッシュ大統領は~とした」(単に意思表明した) ではなく、 「ブッシュ大統領は~としている」(その意思は現在も存続中) と伝えるわけです。

  • yokomaya
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回答No.2

GOLF4_GTIさんのご意見にほぼ賛同ですが、この文章で「とする」は日本語として変と思います。 「としている」は「言っている」とほぼ同義ながら話した文字そのままではなく大意というか、要点としてはこんなことを言ったみたいな意味合いではないでしょうか?

回答No.1

「としている」は客観的な表現、「とする」は主観的な表現では。 言葉の意味としては「言っている」「言う」という意味ではないでしょうか。 「している」を「言っている」、「する」を「言う」に置き換えればしっくりきますね。

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