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中核派・革マル派というのはどの程度危険視されていたのでしょうか
革マル派や中核派に所属していた経歴を持つ人はどのように扱われたのでしょう 現在でいう「元オウム真理教信徒」といったレベルですか? オウムは暴力的な面は一切しらずに信仰から入った人がほとんどであるのに対し 公然と暴力と革命を掲げていたのだから、もっと危険視されているハズだと感じるのですが 自民党の塩崎恭久議員が元中核派、という話を聞いて疑問に思いました 暴力事件等を起こしていても、単なる学生運動の一部という程度にしか捉えられていないのでしょうか ・塩崎恭久議員が元中核派 などという話を聞いて疑問に思いました また、鈴木啓一(故人)という方が元革マル幹部で朝日新聞論説委員であったということで(wikipediaが情報源なので怪しいですが) 「元革マル」の経歴を持った人が、そのような地位につけるというのも、とても不思議です それは朝日新聞だから可能だったのでしょうか?
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国民的な盛りあがりをみせた、学生中心の、 「日米安保条約締結反対」と「安保条約更新反対」の二つの反戦運動が、 権力の露骨な弾圧を招いたことから(いまのチベットと中国の図式と瓜二つ)、 次の小田実を核とした市民中心のベトナム反戦運動ではソフトな戦術を展開、 並み居る機動隊員にバラ一輪を差しだしながら、 「ベトナムに平和を。アメリカはベトナムから出て行け!」 のシュプレヒコールをあげデモ行進したのでした。 繁栄の時代に入ってもなお悲惨な戦争の記憶は色濃くのこっていました。 いずれの反戦運動もその根っこにある思いは、 「おとなしくしていたら、権力を持つものに、いいようにあしらわれる」 「戦争で国民を散々な目にあわせたのだから、油断してると、また散々な目にあわされる」 権力を握る者に向けられた根深い不信と、平和を願うつよい気持ち。 これらを見落として、過去のできごとをいまの感覚で眺めるだけだったら、 歪んだ像しか見えてこないでしょう。
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戦争放棄の平和憲法で戦後をスタートしたにもかかわらず、 朝鮮戦争のころから、にわかにきな臭くなった。 学生運動は、直接的には、戦争に巻き込まれることはごめんだという、平和と反戦の戦いなんです。 そんな戦いに市民が「ノー」をいうわけないでしょう。 デモに参加しなくても、そのデモを見物することも市民の務めと考えられた。 市民の見守るところでは、泣く子も黙る鬼の機動隊も、 デモの列に警棒の雨をふらせるわけにはいかないから。 角棒といったって、自衛のためです。 警棒と角棒、その硬さ。どちらが凶器に近いですか? 学生運動と市民のこうした連帯を分断するために、 核マル派や中核派に「過激派」のレッテルをはり、 危険な暴力集団というイメージを与えようとした。 そのようにして結局は追い詰められて、 党派抗争の内ゲバで殺人事件も起こしたものの、 市民に刃を向けることはなかった。 ちなみに同じ学生でも、「デモよりデイト」の口は「ノンポリ」と呼ばれて、軽んじられてました。 塩崎代議士は中核派のメンバーだったということは、 真摯で純粋な学生だったのでしょう。
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ご回答ありがとうございます。 「公然と暴力」というのは私の勉強不足のようです。 しかし何が認められた実力行使で、何が認められてないとされていたのか、その境界はわかりません。 いろいろな捉えができ、どう見ればいいのかわからなくなってしまいました。 「極左暴力集団」という名前にイメージがひきずられてしまっていますが 既存の秩序とは別の次元に「正しさ」を見出したのだから 警察と衝突するのは当然ともいえそうですね。 それにしても、現在の革マル・中核派のHPなどを見ると、やはり違和感はぬぐえません。 デモ等の運動と、内ゲバの報復合戦と、陰謀論主張などとは 密接なつながりがあるのでしょうか? それとも、行っているのは別の人物・別の動機なのでしょうか?
- mat983
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一時所属し、その後関係を断ち切ったのであれば何も問題ありません。 若気の至りです。 むしろ取材源に近寄れるので報道関係なら有利ではないでしょうか。 角材を持ちデモに参加する連中は怖くありません。 ごく普通の学生です。 恐ろしいのは地下に潜った非公然活動家です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 角材を持つというのは暴力を行使すること公然と認めていることですよね それが「若気の至り」で済まされるというのは、感覚的に理解できないのですが…。
お礼
ご回答ありがとうございました