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何か変じゃないですか、日本
長野善光寺が、聖火リレー開催を一週間後に控えた今日、スタート地点を返上する事になりました。 善光寺も今初めてチベット問題を認識したわけではないと思いますが、又もや、[変心]があったようです。 返上の理由のひとつはネット右翼の抗議の電話という事ですが、 http://shadow-city.blogzine.jp/net/2008/04/post_24f1.html このような人たちがチベットの自治を本当に応援していると思いますか? 映画[靖国]の件と言い、暴力が諸々の自由を弾圧している日本をどのように思いますか? 最近の日本について何でも気の向くままご意見ください。
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ANo.8,24です 補足しますね。 >しかし、私とは[言論の自由]について、少し解釈が違うような気がします。 >公的機関であれ私的機関であれ、ある意図を持って抗議の電話をかける事は言論の自由を逸脱していると思います。 >言論の自由とは検閲を受ける事無く思想・良心を表明する自由であり、特定の個人に直接的に抗議したり指示をしたりするものではありません。 大分、論点が絞られてきた気がしますね。 個人的には、nekomacさんとそんなに「言論の自由」について認識はズレていない気がします。(気を悪くされたら、あやまります。) 私も、所謂「電凸」と言われる行為は「言論による暴力」であり「言論の自由」をはき違えた行動だと認識しております。 ただ、この問題が難しいのはこうした「苦情を行う」という「行為」を「法律」で縛ると、遠回しに「政府による言論の自由の剥奪」に繋がりかねないというところです。 少し、その辺りを整理して以下に回答してみようかと思います。 仰るように、「言論の自由」とは「検閲を受ける事無く思想・良心を表明する自由」です。 ココで言う「検閲」とは、公的機関(国)が事前に精査して公的機関の方針や思想にあわないモノは排除しようと言うことです。 それに加えて、「法律による縛り」もこれに加えて良いと想います。 その「法」は別に「明文化」されていなくても構いません。 「社会の雰囲気」と言い換えても良いかもしれません。 つまり、国であれ(個人の集団である)社会であれ、兎に角公的な力によって、他者の思想・意見を封殺された状態を「言論の自由が奪われた状態」と呼べると想います。 しかし、ココでいう「自由」とは「自由放任」の事ではありません。 J・S・ミルだったか、西洋近代の思想家の言葉に 「自由とは他者の自由とも衝突する。他者に危害を加えない限りにおいて自由は認められる」 というのがあったかと思います。(正確な文言は忘れましたが・汗) つまり、「言論の自由」よりも「人権」が優先されると考えて良いかと思います。 つまり、他者の「人権(組織や法人も人とみなして)」を侵害しない限りにおいて、「言論の自由」はみとめられるのです。 上記はいわば原則論というか観念的で、現実問題に照らし合わせると難しい問題となります。(つまり、言うは易し行うは難し) さて、件の善光寺や映画の問題ではすが、この場合はどうなのか。 マスコミ報道以上の情報を持ち合わせていないので、軽々に判断するのは難しいのですが。 ●善光寺について(長くなるので映画については割愛します) 何故、返上したのかは分りませんが報道の情報からでは ・(チベット問題に関連して)100件以上の抗議の電話があった ・(チベット仏教は)同じ仏教の一派である ・世界の聖火リレーで混乱が生じている ・文化財を抱えている と言うのが、主な理由かとおもいます。 さて、ここで「言論の自由」に関わるのは、「文化財~」以外だと思います。 中でも、一番の問題が「抗議の電話」であろうと思われます。 この問題は、ネットで話題の「電凸」なんかとリンクしますが、「電話する人」は個人でも、それが束になれば「数の力」として(例え相手が組織でも)「圧力」となり、相手の「人権」を犯す事になると言うことです。 かといって、「抗議・苦情・意見」等を「個人・組織」に行えないように(法などで)縛るとなると、それもやはり「言論の自由」に反すると言えます。 「良心の表明の自由」という事が挙げられますが、「チベット問題に抗議して反対意見を表明」する事も、「良心の表明」に当たると言えます。 しかし、それは「社会的ルール」に乗っ取り「義務」を果たした上で、相手を攻撃する意図ではない範囲で、認められるのであろうと思います。 この場合は、 ・(電話であっても)氏名・住所を明かす ・攻撃的な言葉を使わない ・誹謗中傷しない ・他者を扇動しない ・相手がどんな選択をしても、批難しない(批判=精査ではありません) ・・・etc などなどのが守られるべきであろうと思います。 つまり、「言論の自由」を行使して「意見・苦情」などの行動を取るときは、その「発言・行動」に責任を持たなければなりません。 それを逸脱した「電凸」が「言論の自由」を理由に横行している現状は、確かにおかしな状態だと言えます。 同じく、世界でおこってるリレー中のデモ行動ですが、これも非暴力であるなら行うことは「言論の自由」内であろうと思います。 しかし、リレーを妨害したりする事は「言論の自由」を逸脱していると考えます。 逆に、「オリンピックに政治問題・人権問題を持ち出すべきでない」というのも「言論の自由」として表明して良いと思います。 つまり、先の回答でも述べたとおり、「言論の自由」と「(言論の自由の仮面を被った)暴力」とは、スレスレであると言えます。(※また、一部では暴力に訴えざるを得ない場合もあります(≒テロ活動など)。だからといって、私は正当化も支持もしてませんが。) よって、今回の事が「言論の自由の侵害」に当たるのか「当然の範囲内」であるのかは、個々の価値観に帰せられます。 しかし、それだけでは無意味ですので、「議論」されるべき事でしょう。(残念ながら、このサイトでは議論はタブーですが) その上で、「歴史の評価」を待つしかないでしょう。
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- tooma37
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>このような人たちがチベットの自治を本当に応援していると思いますか? 中国批判の材料として利用している人が多くいるのは間違いないでしょう、日本やアメリカの人権侵害への批判と比べて中国のそれには恐ろしく寛大な人々が多くいるのと同じくらいに。 >映画[靖国]の件と言い、暴力が諸々の自由を弾圧している日本をどのように思いますか? 大変遺憾に思います。但しその懸念は“進歩的”言論に対しての圧力だけに限定されません。ところで私の知る限りオリンピックにしても「靖国」にしても暴力による脅迫は無かったと思います。 >最近の日本について何でも気の向くままご意見ください。 政治に関心を持つ多くの日本人が未だにイデオロギーの頚木から自由になれないのは嘆かわしい限りです。
お礼
こんにちは 私の言う暴力とは言葉の暴力のことです。 「靖国」には特定の政治家からの圧力があったと関係者は言っていますし、善光寺は、短期間で100件以上もの電話攻勢があったと聞きます。 「何故、~~しないんだ」という抗議も100件になれば、暴力と思います。 ご回答の最後は私などにはとてもコメントなど出来ない難しい問題ですが、 私自身に関して言うなら、私は未だにさまざまな頸木から逃れられない人間でして、日々反省の毎日です。 しかし、果たして、すべてのイデオロギーの頸木から自由であることは可能なのでしょうか? 何かの頸木があるからこそ安心して歩けるということも真実の一面とは言えませんか? しかしその頸木の中で最大限の柔軟性を持ち続けることはより飛躍するためには必要ではないかと思って居ります。 何か筋違いのコメントでしたらお赦しください。 ご回答ありがとうございました。
- toshi-tsugu
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質問者の意図、よく理解できません。質問の趣旨と異なる回答になるかもわかりません。 チベット問題ですが、中国の占領政策の結果ではないのですか?人民軍の芝居だという書き込みもありましたね。事実が伝わっているとも思いません。我が国のような平和国家に住んでいる国民は、国を追われて他国で暮らしている人の気持ちがわかるのでしょうか?私は分かりません。したがって、この問題、深入りしません。 マスコミの暴力、国の方向を見誤らせるように思います。「靖国」の問題ですが、上映すべきかと思います。その後、国民が判断すべきだったかと思います。右翼・左翼というような低次元な問題ではないと思います。我が国は、戦後一貫して回避し続けてきた問題の一つです。報道によると監督の映画つくりにも避難されるべき点があったように思います。 右翼・左翼というのではなく、独立国として世界に通用する体制を整えるべきかと思います。文科省の愚策によろ、資源小国の教育体制が崩壊して無茶苦茶になったと痛感しています。逆戻りするには、20~30年かかるでしょう。 厚生労働省の愚策により、医薬品投与による薬害、年金問題の未解決など問題が山積みです。国民を置き去りにして自分のことしか考えない与野党国会議員のレベルの低さに驚きです。国会議員を3分の1、官僚機構を半減する位にすべきかと思います。
お礼
こんにちは 質問の趣旨は少しくらい違っていようとちっともかまいません。 悪意や憎しみの感じられる回答はイヤになりますが、自分と違う意見には、分かってもらえないもどかしさは感じつつも、聞く用意はあります。 私もチベットの問題は深入りするつもりはありません。 ただ、この問題も、「中国が嫌い」というところから入ると、すべてを見間違える危険性があります。 ご指摘のマスコミの暴力は日本だけではない深刻な問題です。 しかし、私たちはすべての情報をこの報道から得て自分の主義主張を積み重ねて生きているわけですから、否応なく入って来る情報によって、親しみや憎しみの感情も、あるひとつの方向に誘導される危険性があるという事実も考慮に入れる柔軟性を持ちたいものですね。 そういう事から考えると本当に何の意図も交えず、民衆の自由な選択に委ねる統制の無い報道をしている国はどこかと考えてしまいます。 氾濫する情報をどれが真実かを見極め、賢い選択をするためにはやはり、仰るように教育は大事なことだと思います。 そして、せっかく持っている民主主義を生かせる国民を作るのも教育だと思います、 政治問題には疎い私ですが、与党も野党も国内でお家騒動に明け暮れてばかりいると世界の孤児になるのではと思います。 参考になるご回答本当にありがとうございました。
- nishikasai
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中国は大きすぎる。11億は多すぎる。 7つくらいに分割するとちょうど良くなる。 満州、北京、上海、香港、四川、ウイグル、チベットだ。 一旦はロシアのように混乱するけど将来は却って良くなると思う。いまのままではあまりに覇権的で良くない。多くの中国人が平均的に豊かになるためには小分けしたほうがいい。
お礼
こんにちは 7つくらいに分割とは大胆なご意見ですね。 しかし、現実的ではありませんし、民族の独立というのは無血ではできません。 またその結果は中国国内だけの混乱で収まるとは思えませんが、それらも考えてのご意見でしょうか? まあ、独立を叫ぶ民族をすべて赦しては国は立ち行かないのが現実ではないでしょうか? しかし、国が大きいと統治は大変だと言う事はわかります。 この先中国はどのようにしてくにを統一して発展を続けていくかに非常に興味があります。 ご回答ありがとうございました
>暴力が諸々の自由を弾圧している日本 議論をする気はありませんが、到底同意できません。
お礼
あらっ、退会してしまったんですか? 右手が腱鞘炎で、休み休みタイプしているので、お礼遅くなってしまいました。 退会しても見る事があるかも知れないので、コメントさせてください。 同意出来ないという気持ちも分かります。 普通はこの平和な日本で暴力とか弾圧だとか言っても同意するひとがそんなに多いとは私も思いません。 しかし、ご回答者もいつか、ああこれは赦せない、こんな圧力は赦せない、と思う事があるかもしれません。 その時は、以前になんかそれらしき事を喚いていたのがいた事を思い出してください。 ご回答ありがとうございました。
- mmm001
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1337年:元】(1271チンギス・ハン~1368) 漢人・南人に武器使用を禁ず 支配下の民族を3つに分類: a)モンゴル(元の前)人・・・支配階級 b)色目人・・・・モンゴル(元の前)帰服が、 金や南宋人より先であるため、 モンゴルに準じる支配者として 仏教やイスラム教に基づく文化を持ち、 元は、色目人は、中国に入っても、 漢民族の制度に従わなくてもよいとして、 色目人の文化・社会・習俗が、 中国社会に同化されずに入りこむことが 許される b-1:中央アジア=ウイグル人、チベット人 契丹人、渤海人、女真人、高麗人 b-2:西アジア=テュルク系・イラン系のムスリム (イスラム教徒)定住民~1368)・・ c)漢人(華北の金王朝の遺民)・・中央アジアの*支配階級 【イル・ハン国】(1258~1411) ⇒イラン、アフガニスタン、トルコ、シリア、 トルクメニスタン、ウズベキスタン (1916:黒竜江出身の黒龍会、シベリアに先鋒) 1917:ロシアの共産革命勃発と共に、 トルコ系(トルキスタン)イスラム教徒が大挙して 国外避難 カザン州(モスクワとウラル山脈との間)のトルコ人、 満州を経由し ↓ 日本:渋谷・富ヶ谷小学校の分校 (避難民の小学校)、設立 日本政府が援助し 礼拝堂やイスラム学校が建設 寺内内閣、即刻、シベリヤ出兵決定される 1938春:文鮮明(18)、故郷を離れ、 京城(ソウル)の京城商工実務学校電気科に入学 長老派系のイエス教会所属の明水台教会 1939年:平沼(枢密院)内閣: 宗教団体法 イスラム移民、イスラム教公認運動により成立し 以後、 大日本回教協会初代会長・ 林銑十郎前首相・陸軍大将を 工策員としてロビー活動、政財界でのテロ活動が始まり 日本政府としてファシズム化が加速される 満洲や蒙古、北支などに 多くのイスラム教徒がいるので、大陸政策 イスラム教公認運動= 大日本回教協会や 内田良平の黒龍会 結局、運動は実らず、 神仏基三教体制に加わることはできなかった 同法第一条:「宗教団体とは教派神道、仏教宗派およびキリスト教その他の宗教の教団」に「回教」の二文字を入れるよう強く政府に要望 東京ジャーミイの資料より 【チャガタイ・ハン国】(1227から4C後半) ⇒中国、キルギスタン、タジキスタン 【キプチャク・ハン国】(1243~1502) ⇒モルドヴァ、ウクライナ、カザフスタン 【オゴタイ・ハン国】(1225頃~1310) ⇒ロシア インド【デリー・スルタン朝】(奴隷王朝:1206~90) (ハルジー朝:1290~1320) ⇒インド北部、パキスタン、パキスタン、 アフガニスタン インド地区:部族で散在 【マムルーク朝】(1250~1517) ⇒エジプト(アラブ)、ヨルダン、イスラエル、 シリア マムルーク・・・ イスラム世界における奴隷身分出身の軍人 出自≒テュルク系民族(キプチャク) カフカス系民族(チェルケス人など) モンゴル人、クルド人、アルメニア人、 ギリシャ人、スラヴ人等の民族も含 【ビザンツ帝国】(395~1453) ⇒トルコ、ギリシャ、アルバニア、マケドニア 【フランク王国】⇒ 【インスランド王国】 【神聖ローマ帝国】(962~1806)⇒ 【ナポリ王国】 「教皇領ローマ」 【セルビア】 【ブルガリア】 【ハンガリー】 【ポーランド王国】 【ドイツ騎士団領】 【スウェーデン王国】 【ノルウェー王国】 【デンマーク王国】 【ポルトガル王国】 【カスティリア王国】 【アラゴン王国】 【ハンガリー】 【セルビア】 【ブルガリア】
お礼
こんばんは 何か非常に面白そうな事を言ってらっしゃるのに、少し難し過ぎませんか? もう少し簡潔にお願いしたいんですが。 また、遠回りして暈さないではっきり教えていただけたらと思います。 私、結構陰謀論好きなんです。 ご回答ありがとうございました!!
- tabi2007
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>暴力が諸々の自由を弾圧している日本をどのように思いますか? 粛正と人権蹂躙とすぐに死刑にして 恐怖と暴力で 自由を弾圧どころか一片の自由もないような そんな中国よりかは よっぽど良識ある国です。
お礼
こんにちは そうですね、確かに日本は中国と比べて自由はあるかもしれません。 しかし、本当に中国には一片の自由も無いんですか? 世界中いたるところで中国人旅行客も見ますし、逆に世界中から観光客も受け入れています。 厳しい報道統制があるという割には、かなりの情報も流れて来ています。 良識の有る無しは片方の物差しだけでは計れないかと思います。 日本が本当に言論の自由な国かどうかは今まで起きたことをじっくり思い起こしてみることが必要と思います。 自国を考える時、他国と比較することもありませんが、どの国と比較するかによっては満足度も違ったものになります。 いずれにせよ、たゆまず前進を続ける国であってほしいですね。
僕も、今デモっている人たちは#8さんのいうように本当にチベットのことを考えていないと思いますし、#9さんの言うように本当にチベット問題を理解していないと思います。 だって、今までも少数民族の問題なんていたるところにあったし、どこの国でも単一の民族なんていませんから。 永い年月をかけて、同化し、最後には渾然一体となって、一つの民族になっていくのだと思います。 中国はその過程にあるのかもしれませんし、あるいは本当に弾圧もあるのかもしれません。 でも何故今なんでしょう? そして騒いでいるのはほとんどが聖火の通る国です。 僕には狙いすまして聖火の通り道でデモが起るように煽動するものがいるとしか思えなくなってきました。 そんな煽動に乗る愚かものにはなりたくないです。 下記のサイトを見てください。 http://jp.youtube.com/watch?v=mvvKqkAfQ6w なにも罪の無い学生を捕まえて、責めているこの白人は本当にチベットの何を知っているのでしょうか? 責められている学生と責めている白人とはどちらが平和主義にみえますか? 私にはどうしても今騒いでいる人たちのペンキを塗ったり、気味の悪いマスクをかけた姿は平和主義者には見えません。
お礼
こんばんは 本当に、仰る通りだと思います。 民族の自決の問題などアメリカだってフランスだって言えた義理ではないと思います。 アメリカは奴隷によって築かれた文化だというひともいますし、フランスの外人部隊だって広い意味で言えば人権問題になり得ます。 富める国が自国の富のために、貧しい国から傭兵を募る事には気づかぬ振りをし、アジアで目覚ましく発展をしてきた国を叩いているに過ぎません。 片側だけの情報しか流さない国と情報を統制している国とどちらがどうと言える事ではありませんね! ご回答ありがとうございました。
- gaisei
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こんにちは。 戦前から、日本は右翼には比較的厳しくなく、左翼には弾圧的にきます。戦後派そんなに厳しく弾圧ほどでないにしてもちょっとしたことのも(この前の自衛隊官舎へのビラ配りの有罪。しかし、このビラ配りも自衛隊というところへしたのはいきすぎだと思う。)有罪になる。 ちょっと左翼的だと1部のマスコミを通じて言論の自由だといって反撃するのが多いです。 この頃の日本人は学歴も高くなり自分で判断をもつ人が多くなったと思う。一つの思想に左右されなくなったと思う。もし左翼の思想に左右されたのならば、共産国家になっていると思う。もっと国民が判断できる自由な言論出来る国、つまり大人の国になってほしいです。 日本人の中でどのくらいの人がチベットの問題に関心があるのでしょうか。私はチベット問題は新聞を読んでもまだ真実が見えてきません。ただいまのところマスコミが騒いでいるだけだと思っています。
お礼
こんばんは ビラ配りの件は私も納得出来ません。 商業ビラも同じ時に入っていたというのに何故政治ビラがダメなのか? これだって一政党への弾圧と取れなくはないでしょうね。 現政権に一番痛いことを言う政党ですから。 確かに最近の日本人は学歴は高くなっているかもしれませんが、中身はどうでしょう?本当に自分というものを持っているでしょうか? 日本人は保守的過ぎると思います。 changeを嫌い、恐れます。 職業も住処も人間関係も変わる事をうさん臭いと見なします。 農耕民族の特徴とだけは言い切れないものがありますが、いつまで同じ所に留まって入られませんから、案外すぐそこにchangeの時期は来ているのかもしれません。 何かが変わっても変わらなくても、世の中の騒ぎに踊らされる事無く自分を見失わずにいたいものです。 ご回答ありがとうございました。
- tyr134
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今のチベットの問題は、一部の人権団体や反中勢力がうまくチベット独立派(必ずしも、ダライ・ラマ14世のチベット亡命政府と同義ではない)に乗せられて騒いでるだけですね。 まぁ、その事態を引き起こす切っ掛けを作った中華人民共和国政府の対応にもありますけど。 騒いでる連中は、別にチベットの事なんてどうでもいい人が多いと思いますよ。 多分、来年あたりにはイランあたりに論点が移ってるんじゃないですか? チベット問題は、昨日今日に始まった問題ではありません。 1959年4月29日にダライ・ラマ14世が亡命政府を作ってからでも、ゆうに50年近く経っています。(もちろん、それ以前から問題があった) もちろん、その50年間必至でチベットの為に活動していたチベット人以外の人も沢山います。 オリンピックを前に一部のチベット人が騒いでから、「人権」を振りかざして暴力的行為にでる。 そんな人が、真にチベットの事を思っていると思いますか? ※もちろん、チベット人はこのタイミング(オリンピックイヤー)を掴んで国際世論を喚起しなければという悲痛な叫びがあるのは分りますが。 真にチベットを憂いて活動している人と、反中だからチベット問題に便乗して騒いでる人は、明確に分けて考えるべきでしょう。 ※もちろん、後者が騒ぐことで世論の関心が集まるという悲しい現実もありますが。 靖国の問題にが、この問題とリンクしているとは思いませんが、共通している点としては、一部の人間の講義活動とそれに屈した施設運営者というところでしょうか。 是非は別にして、日本人は「事なかれ主義」的な民族です。 例えば、上映中止を決めた映画館の主な理由は「(街宣活動などされると)周囲に迷惑が掛かるから」です。 善光寺にしても「文化財と一般信者を守る安全上の責任がある」と述べていますし。 つまり、「周りに迷惑をかけて、問題になってはいけない」という「配慮」からなんです。 それを、「圧力に屈した」と取るか「事前に危険を回避した」と取るかは、個々人の評価しだいでしょう。 ただ、私個人の意見としては、「『靖国』は上映すべき」で「善光寺はやむを得ない」と思ってます。 因みに、「人権」も「表現の自由」も「民主主義」も、ヨーロッパから拝借した輸入品です。 日本は、自国独自の文化よりも、「漢字」のように輸入して「文化」として「加工」させたモノも沢山あります。 が、今のところヨーロッパからの輸入品は、上手く「加工」出来てないみたいです。(TVと車くらいかな?)
お礼
こんにちは 私も中国がこの世の楽園だとか、申し分の無い国だとかは毛頭思いません。 しかし、一部の人たちが言うように、本当に何もかも閉ざされた国で人民を目隠しの状態においておき情報をシャットアウトしているならば、ネット上に氾濫している中国に対する批判は何を根拠にしているのかと思わざるを得ません。 しかし、それはさておき、私の質問は我が国日本に付いてです。 >一部の人間の抗議活動とそれに屈した施設運営者、、 これこそ私が皆さんにお聞きしたかったことなのです。 貴方の言われるように本当に「圧力に屈したと取るか、事前に危険を回避したと取るかは、個々人の評価次第」でしょうか? 確かに私たちはどう考えようと自由ですが、 圧力に屈したのか、危険を回避した賢明な策であったのか事実はどちらか一つだと私は思っています。 もし、圧力だったとすれば何故国家あるいはその代表が、堂々と憲法に定められている権利を犯して憚らないのか、そして何故日本人はやすやすと権力に屈してしまう[ひ弱な花]になってしまったのか?とても考えてしまいます。 善光寺もチベットの問題を何も知らずに聖火リレーのスタート地点を引き受けたわけではありません。 ニュースでは100件以上もの抗議電話があったと報道していますが、善光寺もやはり「靖国」の映画館側と同じく自主的に危険を回避といっています。 私には問題の根は深いという感じが拭えません。 ご回答ありがとうございました。
貴方の主観で結構ですので 「変じゃない国」 を教えてください。
お礼
やはり少し解釈が違うようです。 >チベット問題に抗議して反対意見を表明することも >「良心の表明の自由]にあたると言えます。 誰に対して表明するかによるのではないでしょうか。 街頭で意見を表明したり、ネット上での書き込みは大い結構ですし、権利の範疇だと思いますが、ターゲットが善光寺や他の中国人個人、他の団体への直接抗議になれば全く別の話です。 善光寺や、その他の個人はチベット問題に抗議されるいわれはないからです。たとえリレーのためにお寺の境内を提供したとしても、個人のイデオロギーを強要される謂れはありません。 >検閲を受ける事なく思想・良心を表明する権利 ここら辺に少し、解釈の相違があるのかもしれません。 検閲をするのは国家機関ですから、思想・良心を表明する対象は不特定多数又は公に向かって自己を表明するのであって、電凸などの行為は言論の自由からの逸脱というより犯罪に近いのではと私は思います。 何故なら、電凸という行為を行う事によって相手の感情、プライバシー、時間などに、一方的にさまざまな損害をあたえることになるからです。 しかし、言論の自由より人権が優先されるべきという考えには全く同意です。 いかなる権利も他を傷つけ、他の権利を奪う事によって得るべきではないと思います。 チベット問題に抗議してデモるのが言論の自由を行使しているのか、集会の自由を行使しているのか私は分かりませんが、各国がさまざまに苦慮し警備を増強しながらもデモ自体を禁止しないのは、今のところは合法の範囲と認めているのでしょう。 (少数の逮捕された過激な人間をのぞいて) しかし、このように憲法の定義や解釈が多数あって異なるとか全く曲解している事自体がおかしな事で、やはりこれも教育の問題に行き着くのでしょうか? 結論として言論の自由についてご回答者は、 電凸や抗議電話について、社会ルールに則り、相手を攻撃する意図がなければ認められるということですね? 私は電凸や抗議電話のように個人に直接話しかける類いのことは言論の自由とは関係ないただの迷惑行為だと思います。 「変じゃないですか日本」には答えていただけませんでしたが、違う意味で有意義でした。 大変ありがとうございました。
補足
こんばんは お忙しいところ、ご回答くださりありがとうございます。 お礼は明日に書かせていただきます。