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何か変じゃないですか、日本
長野善光寺が、聖火リレー開催を一週間後に控えた今日、スタート地点を返上する事になりました。 善光寺も今初めてチベット問題を認識したわけではないと思いますが、又もや、[変心]があったようです。 返上の理由のひとつはネット右翼の抗議の電話という事ですが、 http://shadow-city.blogzine.jp/net/2008/04/post_24f1.html このような人たちがチベットの自治を本当に応援していると思いますか? 映画[靖国]の件と言い、暴力が諸々の自由を弾圧している日本をどのように思いますか? 最近の日本について何でも気の向くままご意見ください。
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ANo.8,24です 補足しますね。 >しかし、私とは[言論の自由]について、少し解釈が違うような気がします。 >公的機関であれ私的機関であれ、ある意図を持って抗議の電話をかける事は言論の自由を逸脱していると思います。 >言論の自由とは検閲を受ける事無く思想・良心を表明する自由であり、特定の個人に直接的に抗議したり指示をしたりするものではありません。 大分、論点が絞られてきた気がしますね。 個人的には、nekomacさんとそんなに「言論の自由」について認識はズレていない気がします。(気を悪くされたら、あやまります。) 私も、所謂「電凸」と言われる行為は「言論による暴力」であり「言論の自由」をはき違えた行動だと認識しております。 ただ、この問題が難しいのはこうした「苦情を行う」という「行為」を「法律」で縛ると、遠回しに「政府による言論の自由の剥奪」に繋がりかねないというところです。 少し、その辺りを整理して以下に回答してみようかと思います。 仰るように、「言論の自由」とは「検閲を受ける事無く思想・良心を表明する自由」です。 ココで言う「検閲」とは、公的機関(国)が事前に精査して公的機関の方針や思想にあわないモノは排除しようと言うことです。 それに加えて、「法律による縛り」もこれに加えて良いと想います。 その「法」は別に「明文化」されていなくても構いません。 「社会の雰囲気」と言い換えても良いかもしれません。 つまり、国であれ(個人の集団である)社会であれ、兎に角公的な力によって、他者の思想・意見を封殺された状態を「言論の自由が奪われた状態」と呼べると想います。 しかし、ココでいう「自由」とは「自由放任」の事ではありません。 J・S・ミルだったか、西洋近代の思想家の言葉に 「自由とは他者の自由とも衝突する。他者に危害を加えない限りにおいて自由は認められる」 というのがあったかと思います。(正確な文言は忘れましたが・汗) つまり、「言論の自由」よりも「人権」が優先されると考えて良いかと思います。 つまり、他者の「人権(組織や法人も人とみなして)」を侵害しない限りにおいて、「言論の自由」はみとめられるのです。 上記はいわば原則論というか観念的で、現実問題に照らし合わせると難しい問題となります。(つまり、言うは易し行うは難し) さて、件の善光寺や映画の問題ではすが、この場合はどうなのか。 マスコミ報道以上の情報を持ち合わせていないので、軽々に判断するのは難しいのですが。 ●善光寺について(長くなるので映画については割愛します) 何故、返上したのかは分りませんが報道の情報からでは ・(チベット問題に関連して)100件以上の抗議の電話があった ・(チベット仏教は)同じ仏教の一派である ・世界の聖火リレーで混乱が生じている ・文化財を抱えている と言うのが、主な理由かとおもいます。 さて、ここで「言論の自由」に関わるのは、「文化財~」以外だと思います。 中でも、一番の問題が「抗議の電話」であろうと思われます。 この問題は、ネットで話題の「電凸」なんかとリンクしますが、「電話する人」は個人でも、それが束になれば「数の力」として(例え相手が組織でも)「圧力」となり、相手の「人権」を犯す事になると言うことです。 かといって、「抗議・苦情・意見」等を「個人・組織」に行えないように(法などで)縛るとなると、それもやはり「言論の自由」に反すると言えます。 「良心の表明の自由」という事が挙げられますが、「チベット問題に抗議して反対意見を表明」する事も、「良心の表明」に当たると言えます。 しかし、それは「社会的ルール」に乗っ取り「義務」を果たした上で、相手を攻撃する意図ではない範囲で、認められるのであろうと思います。 この場合は、 ・(電話であっても)氏名・住所を明かす ・攻撃的な言葉を使わない ・誹謗中傷しない ・他者を扇動しない ・相手がどんな選択をしても、批難しない(批判=精査ではありません) ・・・etc などなどのが守られるべきであろうと思います。 つまり、「言論の自由」を行使して「意見・苦情」などの行動を取るときは、その「発言・行動」に責任を持たなければなりません。 それを逸脱した「電凸」が「言論の自由」を理由に横行している現状は、確かにおかしな状態だと言えます。 同じく、世界でおこってるリレー中のデモ行動ですが、これも非暴力であるなら行うことは「言論の自由」内であろうと思います。 しかし、リレーを妨害したりする事は「言論の自由」を逸脱していると考えます。 逆に、「オリンピックに政治問題・人権問題を持ち出すべきでない」というのも「言論の自由」として表明して良いと思います。 つまり、先の回答でも述べたとおり、「言論の自由」と「(言論の自由の仮面を被った)暴力」とは、スレスレであると言えます。(※また、一部では暴力に訴えざるを得ない場合もあります(≒テロ活動など)。だからといって、私は正当化も支持もしてませんが。) よって、今回の事が「言論の自由の侵害」に当たるのか「当然の範囲内」であるのかは、個々の価値観に帰せられます。 しかし、それだけでは無意味ですので、「議論」されるべき事でしょう。(残念ながら、このサイトでは議論はタブーですが) その上で、「歴史の評価」を待つしかないでしょう。
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- makocyan
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チベットの自治を応援しているかどうかは定かではありませんが、今回のことに限らず、今の中国のやり方を快く思っていない人は右翼ばかりではないでしょう。世界、そして日本で様々な報道に接している人々のかなりの割合に上るのではないですか?だからこそ善光寺もそうした社会的な大勢を考慮していらぬトラブルを回避しただけのように思います。「君子危うきに近づかず」は昔からあることばで、最近に限ったことじゃありません。 >映画[靖国]の件と言い、暴力が諸々の自由を弾圧 チベットでそうしたことが起こっているのは知っていましたが、映画「靖国」の件でそうした暴力沙汰があったとは知りませんでした。一体どこで? なお、言論や表現の自由を実力行使で妨害しようとするのは、別に右翼の専売特許ではありません。かつての共産主義国家はそうでなかったとも? いずれにせよ、自分の考えにそぐわない方をみんなネット右翼扱いにするのは決して周囲の共感を得られるとは思いませんが・・・。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は共感を求めているのではありません。 URLにあるような人たちが本当にチベットの自治を応援しているのかと疑問を持ったのです。 また、靖国の件の関しては質問の本筋ではありませんが、暴力ということを如何に解釈するかではないでしょうか? [ペンは剣よりも強し]ということわざあります。 言葉は時には暴力になるということです。 ご意見参考にしたいと思います。
- dordotto
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確かにこういうところに書き込みする人達は口が悪いですね。 ただ、チベット虐殺の問題をそっちのけで報道規制をしたり、高圧外交を仕掛けてきたり、口では何を言っても聞いてくれないのが今の中国です。口で何を言っても聞いてくれないのなら暴力に訴えるしかありませんよね?いきり立つライオンを目の前に世界平和を説いても仕方ないのと同じです。しかも今回の件はまだ「抗議活動」の域なのですから十分許されると思います。日本には言論の自由がありますからね。 もう一つ言えば中国の暴挙に対して政府やマスコミは驚くほどだんまりですよね。それに対して不満を募らせている日本国民だって少なくないはずです。 確かに私も右翼団体はあまり好きにはなれませんが、(理由はどうあれ)中国の暴挙への抗議をしているという点で私は彼らのやっていることは人道的に正しいと思います(あくまで「今回は」ですけどね)。
お礼
こんばんは 私は少なくとも他民族の自決や自治のような事に関与したり、発言したりするからにはもう少し、真摯な態度や言葉使いであるべきだと思います。 気味の悪い服装や出で立ちで意図的な効果を狙った事は見え見えですし、決して平和的な抗議活動の域に留まっているようには見えません。 また表立って、中国の人権問題を取り上げて非難しているのは、親米派で極右政党の支持厚いフランスのサルコジ大統領です。 (自分のスキャンダル隠しじゃないかと下司の勘ぐりを入れたくなりますが) いずれにしても人権問題はそれぞれの国が抱えている問題であり、先進国に取っては微妙な問題だと思います。 ご回答ありがとうございました。
- Andersson
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10数年前の昔から、変だよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 10数年前の昔から変なんですか? 残念なことに過去10数年間の日本を私はほとんど知りません。 何かもう少し、お話を伺えたらとおもいましたが、、、。
- hiroki0527
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>このような人たちがチベットの自治を本当に応援していると思いますか? 大多数の日本人にとって「チベット独立や自治なんてど~でも良い」出来事です。 センセーショナルな報道があるから多少気になるだけで、報道が無くなれば即忘れ去られる出来事でしょう。 善光寺が返上したのも「トラブルを避けたい」というだけだと思います。
お礼
>大多数の日本人に取ってチベット独立や自治なんてど~でも良い出来事です。 そうかもしれませんね。 日本だけでなく今騒いでいる各国のデモ隊もどれほどの情熱を持ってチベットを応援しているのか疑問です。 中国が嫌いなため、中国と敵対するものは理屈なく応援するというようなことではないのでしょうか。 また昨日までまったく無関心だった事柄に世界中が瞬時に一方向に向かっていくことは非常に危険で気味悪いものを感じます。 本当に、貴方の言われるようにトラブルを避けたいだけなら良いのですが。 ご回答ありがとうございました。
- AVENGER
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ネット右翼の抗議が原因という根拠は? それとネット右翼の定義を教えて下さい。 また「靖国」上映自粛に圧力団体が絡んでいるという証拠を出して下さい。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ネット右翼の抗議が原因の一つと書いたつもりです。 「靖国」上映中止の件は質問の本筋ではありませんが、敢えて言うなら今時、上映中止に何らの圧力も無かったと考える人はごく少数かと、、、。 また、私が証拠を出さねばならない理由はありませんし、ネット右翼の定義もここで論ずる必要は感じません。 私は質問者で回答の義務はありません。 議論になるような、補足要求はご遠慮ください。
日本は中国や北とは違って自由主義で民主主義の国ですからそういう意見が一般庶民に多ければそれに配慮するのも当然なんでは。 ひょっとしてチベット弾圧の中国の行動に賛同する意見は認められるけど、チベット擁護派の意見は認められないとかそういうことですか?
お礼
こんばんは 一般庶民の意見だったかどうかは不明ですが、100件以上もの抗議の電話があったそうです。 自由主義、民主主義の国だからこそ、何ものにも強要されることの無い思想や言論の自由を守るべきだと思います。 そのような自由が日本にあるかどうかをお聞きしたかったのです。 ご回答ありがとうございました。
お礼
やはり少し解釈が違うようです。 >チベット問題に抗議して反対意見を表明することも >「良心の表明の自由]にあたると言えます。 誰に対して表明するかによるのではないでしょうか。 街頭で意見を表明したり、ネット上での書き込みは大い結構ですし、権利の範疇だと思いますが、ターゲットが善光寺や他の中国人個人、他の団体への直接抗議になれば全く別の話です。 善光寺や、その他の個人はチベット問題に抗議されるいわれはないからです。たとえリレーのためにお寺の境内を提供したとしても、個人のイデオロギーを強要される謂れはありません。 >検閲を受ける事なく思想・良心を表明する権利 ここら辺に少し、解釈の相違があるのかもしれません。 検閲をするのは国家機関ですから、思想・良心を表明する対象は不特定多数又は公に向かって自己を表明するのであって、電凸などの行為は言論の自由からの逸脱というより犯罪に近いのではと私は思います。 何故なら、電凸という行為を行う事によって相手の感情、プライバシー、時間などに、一方的にさまざまな損害をあたえることになるからです。 しかし、言論の自由より人権が優先されるべきという考えには全く同意です。 いかなる権利も他を傷つけ、他の権利を奪う事によって得るべきではないと思います。 チベット問題に抗議してデモるのが言論の自由を行使しているのか、集会の自由を行使しているのか私は分かりませんが、各国がさまざまに苦慮し警備を増強しながらもデモ自体を禁止しないのは、今のところは合法の範囲と認めているのでしょう。 (少数の逮捕された過激な人間をのぞいて) しかし、このように憲法の定義や解釈が多数あって異なるとか全く曲解している事自体がおかしな事で、やはりこれも教育の問題に行き着くのでしょうか? 結論として言論の自由についてご回答者は、 電凸や抗議電話について、社会ルールに則り、相手を攻撃する意図がなければ認められるということですね? 私は電凸や抗議電話のように個人に直接話しかける類いのことは言論の自由とは関係ないただの迷惑行為だと思います。 「変じゃないですか日本」には答えていただけませんでしたが、違う意味で有意義でした。 大変ありがとうございました。
補足
こんばんは お忙しいところ、ご回答くださりありがとうございます。 お礼は明日に書かせていただきます。