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そもそも、【君が代問題】って何々ですか?
何年か前、某高校で、 殆どの新入生が、入学式には出席せず、「新入生を祝う会」?には出席したという事がありました。 個人的には、「入学式って普通は出席するもんじゃん?なのになんで出席しないんだ?入学式に出席後、『新入生を祝う会』にも出れば、より思い出作れていいじゃん?」とか思ってしまうのですが… 何故、この高校の殆どの新入生は、卒業式をボイコットしたのでしょうか? また、最近も、「君が代の時に、『起立する・着席したまま』」といった風の事がニュースで読んだんですが、そもそも「君が代問題」って何々ですか? 個人的には、「国歌歌う時位立てばいいのに。野球観戦行った時なんて、プレイボール前の国歌斉唱の時は殆ど立ってるし。立った方が、より風情があって?いいのでは?」と思うのですが… よろしくお願いします。
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- tryouts
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ルールを守れないお子様がそのまま大人になった「日教組」の方々を見て、生徒たちがそれが正しいと思い込まされてしまった悲しい出来事です。 君が代、日の丸が間違っていると考えるのであれば民主主義国家であるのだから、選挙を通じて自分たちの意志を反映させればいいだけです。 「日教組」の方々は自分たちの考えは国内では多数派でないことを理解しており、その上で自分たちの考えをごり押しする手段として利用したのが実態です。 「日教組」の考え方を一方的に教え込み、児童・生徒を抵抗手段のコマとして活用しているのです。 非人道的なテロに子供を使うのとまったく同じことをしているのです。 主義主張を唱えることは思想の自由で保障されていますが、教師と言う立場を利用した、思想の洗脳教育は犯罪に近いものではないのでしょうか。 君が代問題は大きく二つの論点が存在します。 1つ目は多くの方が述べている、君が代自体の意味について。 2つ目が、今述べました「日教組」の教員による自己の思想の押し付けについて。 1つ目に関しては、人それぞれ多くの考えが存在するのは当然のことであり、個人的な考えは別として思想の自由は保護すべきです。 但し問題なのは2つ目の問題であり、多数説ではない自己の思想を、立場を利用した押し付け行為、言い換えれば洗脳教育は許されるべきものではないのです。
右翼右翼左翼左翼と、人間を完全に2分しようとしても、現実に2分するのは不可能です。本当に2つにしか分かれないなら、それこそ思想の自由に問題がありますね。日本人は●●だ、外国人は〇〇だと言うのとなんら変わりありません。こういった偏見を植えつけられませんように。 歌の解釈などは時代やその時の環境によって何度でも変わります。日本語は英語などと違って、相手任せの言語だからです。英語で書かれた文章にはSVOがはっきりありますが、日本語の場合SVOが省略されていることもしばしばです。また、個人によっても解釈がことなります。どんな歌に決めても反対・賛成はあるでしょう。英語と違い、好き勝手な解釈が許される限り尚更です。我々が現在使っていることばでさえ、大昔に遡ればとんでもない意味に使われていたかもしれません。新しい歌を作る時は、一単語を、過去数千年に渡って、悪い意味で使われたことが無いか、古文書を読み通して調べ上げねばなりません。そうしないと、現在の国歌と同じように文句を付けられます。(物好きな人は居ますから、新しい国歌ができても、単語一つ逃さず古文書を調べ上げる人は居るでしょう。そして、悪い意味で使われているのを見つけて、同じように叩き出すと思います。)他の事項もそうですが、戦争が原因で使用できないなら、下の方の通り、サクラも日本酒も武士道も科学技術も技術職人も銃も刃物も、戦争に関係したものは全て否定せねばならなくなります。(生活が崩壊します) 変えたければ国民投票でもして変えれば良いと思います。しかし、果たして全国民の内どれくらいの人が変えたいのか?、本当に変えたいなら、ガソリン問題やビンテージ問題、年金問題のようにあちこちから苦情が殺到するでしょう。現実にはそのようなことは起きていません。 歴史と言うのは、何でもありまして、それが良いか悪いかというのは相対的なものです。また、現在の価値観を当てはめて、一方的に善悪を決めるのは横暴です。外国の文化に対して、日本の文化の価値観で判断するようなものです。過去を肯定するも否定するも、『思想の自由が認められている国』なら、自由ですし、過去についてどんな感情を持つかも自由でしょう。国歌を歌うか否かも自由と言うことになるでしょう。しかし、国家である以上何かには決めなければなりません。上記の通り、どんな歌に決めても古文書を調べ上げて反対するものは出てくるでしょうし、国民の多くは変える気も無いので、今のままで構わないのではないでしょうか。 学生さんも同じように自分の思想に反すると言う理由で授業をボイコットして構わないと思いますよ。
- tewpi
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本来の意味が天皇崇拝ではないものが、一時的に天皇崇拝として利用された歴史があるからといって、そのすべてを現代の民主主義国家で正当化するのはダメって考えもあります。 しかしそうすると、大政翼賛状態での帝国議会で利用された国会議事堂も利用出来なくなるし、ましてや特攻隊の象徴とされた桜の木なんて血塗られた植物として見なければならなくなりますね(笑) 日の丸・君が代にこだわる必要が無いという意見も世間にはあります。 しかしムキになって「こだわって」否定する必要も無いと思うのです。 現在各種の世論調査見ても、かなりの賛成が多いですし。 そもそも日の丸・君が代に狂ったように反対する人間に限って不思議なことに、日本軍が犯したとされる、従軍慰安婦、南京虐殺、沖縄集団自決、強制連行強制労働問題を客観的資料も見ないまま事実であると主張するのは何故でしょう。 そもそも当時の日本にとって帝国陸海軍は正義の軍隊だったのですから、現代の価値観で否定するのも愚かな話です。 十字軍当時においてはカトリック諸国にとってそれは正義だったのであり、19~20世紀に我々アジアを蹂躙した欧米列強軍も、当時の欧米にとっては正義だったのですから。 それにしても史実をただただ自虐的にとらえ、あの悲しかった時代を単に日本だけの罪悪と捉える人間たちが、日本の確固たる自立と世界の平和を望まないで、日本が中国や朝鮮に蹂躙されるような時代にならないか危惧します。
本当の事実が何なのかが、曖昧になりつつある今、誤解してはならないのは君が代に反対しているのは日教組だけではないということです。 国を二分して賛成反対のある君が代を国民的な合意がないまま国歌として制定してしまったことが今の問題に繋がっているのです。 君が代の本来の意味がどうであれ、国歌として使われた時代にはその意味するところは、天皇であり、その繁栄を祈った歌です。 また、戦時中の教科書もその通り説明しています。 その時代に生き、勉強した人にそれを否定する人はいません。 そのように教育され、「もともと何の問題も無かった」ことが問題だということに気づいて欲しいものです。 国旗国歌はあらゆる機会に必要なものではありますが、何も日の丸、君が代にこだわる必要は無いと思います。 過去を教訓とせず、軍国主義を正当化して、その象徴の国旗国歌を肯定する人間に限って不思議なことに、日本軍が犯した犯罪、従軍慰安婦、南京虐殺、沖縄集団自決、強制連行強制労働問題すべてが虚構であると主張するのは何故でしょう? 日本軍は正義の軍隊だったのでしょうか? このように、史実を拒否して塗り替え、あの忌わしい時代を肯定する人間たちがまた同じ間違いへの道を突っ走るのではないかと危惧します。
- furupai
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もともとなんの問題もありませんでした。 わたしが小学生の頃そんな問題一切ありませんでした。 もうお気づきかと思いますが、これは左翼思想にガッツリ洗脳された戦後生まれの左翼偏向教師およびニッキョーソ、それらのシンパのマスコミによる策謀です。彼らの卑劣さの極みは、世間に対して自らの偏向思想を説いても今日全く相手にされないがために、思想的に白紙状態の子供らをターゲットにして左翼思想で洗脳し溜飲を下しているということです。 特に私が許せないのは、彼らは教え子の晴れの門出を祝うつもりなどさらさら無く、ここぞとばかりに自らの教え子の入学式、卒業式をおのれの左翼偏向思想の発露と示威行為の場に利用しているという外道さにあります。 好きではないものを強制するのが悪いというのであれば、子供に対してなんのしつけも教育も指導も出来なくなってしまいます。歌いたくないから歌わないのであれば「わたしは算数が嫌いだから算数の授業は受けない!」「ぼくはあの先生が嫌いだからあの先生の授業はうけない!」などという屁理屈がまかり通ってしまうことになります。 もともと君が代の詩は他の回答者さまのおっしゃるように、昔の詠み人知らずの歌にその原型を見ることが出来ますが、出典は ”めでたやな 君がめぐみはひさがたの ひかりのどけき春の日に・・・で始まる薩摩の琵琶歌「蓬莱山」です。 相手の長寿と繁栄を願うとてもおめでたい歌です。また国学者によると、天皇を表す場合は「君」ではなく「大君」と表現するのが一般的だそうです。 例として、 ”今日よりは かえりみなくて 大君の 醜の御盾(しこのみたて)とい出立つわれは” ”御めぐみ深き大君の 大詔(おおみことのり)伝うれば 彼かしこみて謝しまつる” などがあげられます。 しかし仮に「君」が天皇を指すものであってもなんの問題もありません。自らの国の象徴である王家の繁栄を願っていったい何が悪いのでしょう。 「天皇や君が代は侵略のシンボルで忌むべきもの」「日の丸の赤は血の色、白は骨の色」などと叫ぶ連中はもはやバランス感覚を失っており憐れというほかありません。こんな馬鹿げた教師がいるのは日本以外に類を見ません。 彼らは日の丸、君が代を否定しますがそれに代わる代案を出して民意に問う姿勢も無く、また代案を出したとしても、国民のコンセンサスを日の丸、君が代以上に得ることはとうてい無理であろうことは容易に想像できます。 最後に、彼らはよく「戦前の日本は軍国主義で民主主義は戦後入ってきたものであり、天皇は絶対的な権力者だった」として戦前、戦中の日本を暗黒の時代として全否定しようとする詐術を使いますが、これも大ウソで戦前から民主主義があったことは少し近代史を勉強すれば素人にもわかることです。そして戦前も戦後も立憲君主制のもとに天皇はあり、憲法の下に天皇は位置しているのです。 ついでに言えば”天皇制”なる言葉はコミンテルンの日本支部(日本共産党)が作った造語であり天皇は本来”制度”ではありません。
- lovein
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日本の歴史を、きちんと教えられない教育現場の現状が 何故、そんな事になるのか解らない子供達を犠牲にしているのです。 第二次世界大戦で負けるまで日本は列強と並ぶ強国のひとつでした。 現在の様に言葉よりも国力(戦力)で問題の解決を図る事が多い時代 国力を維持する為に日本は徴兵制を取っていました。 8千万人程度の人口で、外国の植民地に、ならない為に必要な手段でした。 政府も生めよ増やせよで富国強兵を国是としていました。 経済的に貧しいけれど、勉強がしたい若者は、職業軍人 (今の自衛隊と同じ)の道を選ぶ人も少なくありませんでした。 その為、勉強のできる軍人が学校で軍事教育を訓練したり 教師になる事は珍しい事ではありませんでした。 大人になったら男は兵隊になるのが、あたりまえの時代だったからです。 日中戦争が長期化しはじめた頃から 今までは半分遊びで済んでいた教練は次第に厳しさを増していきます。 敗戦直前には殆ど授業は行えず邪魔になる児童は学童疎開で田舎に送られ 働ける児童は兵器の生産や食料増産そして沖縄等では一部ですが 兵士と行動を共にした児童や生徒(ひめゆり)もいました。 敗戦によって、教師達は悔いる事になりました。 政府の言いなりになって戦地に子供を送り出し 死なせてしまい、日本中が焼け野原になってしまったのは 自分たちの教育が間違っていたからだという事になりました。 これからは2度と子供達を犠牲者にしないようにしようというのが 日教組の、はじまりの歴史ですね、だから、日の丸と君が代はタブーという事です。 ですが、いじめでも同様なのですが避けていても問題の解決にはなりませんよね。 強いやつ(アメリカや中国)と、笑って、つるめばいいんでか? そんな事で靖国で会おうと命をかけて私達を守ってくれた 兵士(ご先祖)が集う靖国神社に、お参りもできないままで良いのですか? 本当の事をきちんと教えて、自らの国の問題から逃げてばかりいるから 中国や韓国や北朝鮮に言いたい放題を言わせて言い返せないでいるのでは無いですか? 逃げる事よりも事実をきちんと教え、自らを、さげすむ様な行為は 止めるのが本当の教育だと思います。
- buck
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君が代の「君」について、一方的且つ歴史認識の誤った回答があります。 確かに「君」を天皇とする解釈がありました。 しかし、君が代を制定した直後にはそのような解釈はなかったです。 一貫して「君」が天皇だとする解釈は、左翼が労する詭弁に過ぎません。 もともと、君が代は詠み人知らずの和歌で解釈は様々です。 作者が分かっていれば、作者の地位などから解釈の幅も限定できるのでしょうが、詠み人知らずではそれもできません。 だからこそ議論になるのです。 回答ですが、様々な議論があるから起立すべきだ、いや反対だという意見が分かれることになるということです。 質問者さんがどんな考え方をしても自由です。 ただ、世間には様々な考え方があるということだとい思います。
[君が代]の意味が複数あるとか、平安時代の和歌から作られたとかいう人がいますが、それは右翼的な考えに固執する人間が逃げ込む一つの道です。 平安時代の和歌が基になったとしても、天皇制の時代の政府が、「君」を天皇と解釈し直し、明治天皇の誕生日に演奏されたのが現在の[君が代]の始まりです。 その時の歌詞の意味に、「君」が[貴方]などと不特定多数の意味は絶対にありませんでした。 「君」は天皇以外の何者でもありません。 天皇を神格化し、戦前には軍国主義のシンボルとしてして使われて来た、[天皇の時代が永く続くように]と願った歌です。 それが、戦後、時代も体制も変わり、国民主権の民主主義国家になった今、国民的な合意が無いまま、国歌として制定されてしまったことに問題があるのです。 また、制定時には政府は「義務づけはしない」と言明していたことから教育現場では、押し付けで歌わせたり強制的に起立させたりすることは赦されることではないのです。
- jamiru
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グローバル化の為に、自国の国旗国歌を知らないとは恥だから法制化しただけです。 国際人の最低限の常識は国旗国歌を知っている事ですからね。 グローバル化、国際化の時代の流れですので不思議な事ではありません。 スポーツはオリンピックなど国際的ですので常識ですね。 ニュースでこれからは国際化だのグローバル化だの言いながらその常識を自ら否定するとは面白いですなぁ。
- dai-ym
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#1のような一説だけを強調して言う人が居るから問題になります。 元々平安時代の和歌を基にして作られたしですが、 この君は「天皇」とも「貴方」との解釈されています。 必ずしも天皇賛歌の唄とは限っていないのです。 また明治時代は天皇=日本の部分があり、例え当時天皇と言う解釈であってもそれは日本の繁栄を歌った歌ということになります。 左よりの人にとっては天皇制など日本の制度が非常に困る部分があります。 そういう部分を破壊するためにこのような問題を過剰に反応し問題でなかったことを問題に仕立て上げています。 そして日教組はそういう左よりの組織です。 自分たちの立場を利用して自分たちの教え子を洗脳しようとしているんですね。 そのため、その実践の場として入学式とか卒業式とか学校の行事を利用するんです。 またマスコミにもそういう思想の個人のデレクターや放送局があります。 だから入学式や卒業式でそういう問題が話題に上がるんです。 そしてどんどん大きな問題にされてきたのが現状です。
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