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受験生ブルース「サイン・コサイン何になる」答えは?
昔のうたの歌詞の一部「サイン・コサイン何になる」がふと気になってお尋ねしてみました。専門分野に進まれた方々はともかく、何かの役にたったという人がいらしたら、話を聞かせてください。
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こんばんは。 ご質問者さんがどのようなお立場に立っておられてこの歌が気になったのかが不明なので、こちらがどんな立場からの回答をしたらよいかが解りませんが、その歌を聞いたのは私自身がそのような時期の最中でした。確か歌がそのフレーズに来た時には聴衆から大きな拍手があったような・・・。受験戦争に対する厭戦気分にあふれた「引かれ者の小唄」的な歌だったと記憶しています。 この中での「サイン・コサイン」とは受験の為に詰め込む教科の知識という程の意味だと思います。 英語・数学・理科・社会など教科の知識は社会に出たら何の意味も持たないし役に立たないではないか、と言う見方が確かにあります。その見方はある意味で間違いではないと思います。しかし正しいかと言うとそうでもないと私は考えています。なお、私は受験の度重なる劣等生(失敗生)でしたし、社会において華々しい実績も残せておりません。そんな私の見方であることをお断りしておきます。 1)或る決めた目的に向かって自分自身を訓練してゆく、と言う姿勢はあらゆる分野で「望ましい」ものです。そうでなくて人生を送ることも勿論可能です。然しもし自分が上司であって誰かを後釜として育てようと思った時、そのような事が出来てそれを経験してきた人間に注目するのは自然です。但しどこの大学の受験に成功したかどうかとはあまり関係がないようでした。仮に有名大学でもそれは同じです。逆は必ずしも真ならず。 2)受験の為の教科知識は一般常識よりは少し高度ですよね。しかしもし得た知識が常識としては目一杯のものだったとすると、人間はどんどん忘れて行く動物ですから直ぐに常識が不足しかねない状況に立ち至るという一般的推論が成り立つのではないでしょうか。少し高い常識(知識)、またはその知識が成り立っている背景までをちょっとかじって置くと、後になってちょうど良い程度の常識を蓄えた人間になれるという考えは如何でしょうか。 3)物事を考えるのに正しい論理の道筋をたどらなければ無駄な考えや配慮不足を起こします。そんな時に数学的な思考が出来るとずいぶん便利です。「数学的思考回路」は科学専門分野に進む人達だけに必要なものでもないのでは。それは、特別の才能がない普通の人間ならば、何気ない数学問題をたくさん解く事からでないと自然に体の中に入ってくるものではないと思います。 お答え) ご質問の真意が、例えばルート3のお答えが1.73205と知って、その結果社会で直ぐに何かの役に立ったか、という意味なのでしたら「何もありません」が私の回答です。 一方、若い時に受験戦争を経ないで来れたという想定と、実際に経てきた事実とは比べようがないもののあえて比較すれば、失敗を繰り返したとしても苦しい受験戦争を経て来た私にそこはかとないメリットとプライドを感じます。「そこはかとない」としか言えず、おまけに少し口幅ったい書き方になってしまいましたが、その経験は上記のように私の役に立ったのではないだろうかと言うのがもう一つの私の回答です。 最後に更に述べさせて下さい。受験を目指すよりはもっと熾烈な道があります。そんな人達は大学に行くよりはずっと苦しくてしかも長いながい道のりを歩まれます。そのような人達には敬意を払うしかありません。
お礼
ご回答ありがとうございます。サイン・コサインうんぬんは受験用の詰め込み知識ほどの意味だったのですね。作詞の中川五郎氏の本意もそうだったでしょう。私は単純に「サイン・コサイン」だけのことと思っていました。浅はかでした。 ルート3に関しては、「一辺が√3の正方形の面積は3」ということでよく理解できて、重要な観念だと思っているのですが、恥ずかしながらサイン・コサインって言葉しか覚えていません。 「数学的思考はどんな分野の人にも必要」「人間はどんどん忘れて行く動物ですから直ぐに常識が不足しかねない状況に立ち至るという一般的推論が成り立つのではないでしょうか。少し高い常識(知識)、またはその知識が成り立っている背景までをちょっとかじって置くと、後になってちょうど良い程度の常識を蓄えた人間になれる」という部分も同感です。「必要な力が5だとして、いつも5の練習をしていたのではいざというとき5の力を出せるものではない。日ごろ10の練習をしていてこそ、いつでも5の力を出すことができる」と私の愛読コミックに一場面にもでてきます。 私は単純に「サイン・コサインが何かの役にたっているか」と軽い気持ちで問いかけてみたつもりだったので、丁寧まじめなご意見をいただいて恐縮しています。 こ の歌をラジオから偶然きいた1977年ごろを思い出して、懐かしくなりました。失礼します。