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ネットの空間内では、「表現の自由」はどのように規定されているのでしょうか。
最近、映画『靖国』で話題となっております「表現の自由」について、私も思うことがありまして、皆様のご意見を仰ぎたいと思います。 私は、Amazonのカスタマーレビューに、森達也著『日本国憲法』に関しての読書感想文を投稿しました。 内容はズバリ手厳しい批判です。 森氏の非武装絶対平和主義についての主張に対して、長谷部恭男教授の「絶対平和主義は立憲主義と相容れない」という言葉を紹介したうえで、森氏の主張の仕方は「読者にはわかってもらえる」ということが前提でなければ通用しない主張であり、そんなスタンスだと森氏が手厳しく批判するマイケル・ムーア監督には勝てないだろうとして、星5つ中1つをつけました。 この批評に対しての「参考になる・ならない」投票の結果は半々であり、そのままの形で半年以上Amazonのサイトに掲載され続け、投票数も順調(総数20ほど)に伸ばし続けていたのですが、つい先日久しぶりに投票数を確認する為サイトを開いてみたところ、私の投稿がありません。 私が投票した「星1つ」の記録はのこっておりますが、レビューに関しては何処を探しても見つかりません。 これは一体どういうことでしょうか? 森達也氏の立場上、森氏が私の意見の抹殺を図ったとは思えません。 とはいえ、誰かの恣意によりこのようなことが起こったのは間違いないでしょう。 また、私の投稿があまりにも手厳しかったので個人攻撃だと思われ、半年後になって掲載取り止めになったのかもしれません。 しかし、そのような考え方は、批評と個人攻撃の境目が曖昧になるということで「表現の自由」の視点から見てもまた微妙でしょう。 なぜ私の表現の自由が第三者によって侵害されなければならないのか。 ネット上では「表現の自由」はどのように規定されているのか。 どなたか教えて頂ければとても嬉しいです。
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質問者が選んだベストアンサー
「言論の自由(表現の自由は言論の自由の一つ)」というのは、 「私は私を言いたいことを、表現したい形で発表する」自由を保障しているモノです。 しかし、それと同時に 「あなたは私の言論(表現)に対して、自由に批判・評論をすることも許す」 「そして、それを聞いたり観たりした人は、どちらに是非があるかの判断は個人の自由に任せる」 事でもあります。 殆どの人は「私は私を言いたいことを、表現したい形で発表する」事が「言論の自由」であって、その発言に対する「リアクションは含まれない」と考えていますが、大間違いです。 その「リアクションも含めて」「言論の自由」なのです。 もし、発言者が「リアクション」を封じ込めたら、それは発言者が他人の「言論の自由」を犯したことになります。 では、質問者様の指摘されている「アマゾンのカスタマーレビュー」についてはどうなのかですが、、、 アマゾンが会社として運営するルールの下に行われており、利用するにあたっては、その会社の「利用規約」に同意しなければなりません。(このサイトもそうです) また、「利用した=規約に同意したと解釈します」との文言も入っている場合が殆どです。 よって、「そんな規約があったなんて知らなかった」では済まされません(その規約事態が法律に違反したいた場合は、その限りではありませんが) つまり、この「規約を守った範囲内で」「言論の自由」が認められるのであって、「自由放任」ではありません。 実際、アマゾンでも 「Amazon.co.jp は、そのようなコンテンツを削除または編集する権利(義務ではない)を保有しますが、投稿されたコンテンツを常にまたは定期的に監視しているわけではありません。」 「お客様がコンテンツの投稿または素材の送信を行った場合、お客様は、Amazon.co.jp とその関連会社に対して(中略)完全なサブライセンスを含む権利を許諾したものとみなします。」 http://www.amazon.co.jp/gp/help/customer/display.html?nodeId=643006#review との断り書きもありますしね。 つまり、貴方の認めたアマゾンの権限で削除された訳です。 その理由が、他の客からクレームがあったからか、単にサーバーの容量を確保するために古いコンテンツから削除したのかは、アマゾン側にしか分らないでしょう。 >ネット上では「表現の自由」はどのように規定されているのか 別に、ネット特有の規程は無いと思います。(良くも悪くも) つまり、アマゾンにカスタマーレビューを送るのも、雑誌に読書感想文を送るのも変りはありません。 また、本を出版するのもネットにホームページやブログを掲載するのも変り有りません(お手軽さは別にして) あくまでも、「言論の自由」は「憲法・法令・社会的ルール」に反しない限り、認められています。 それは、上記に述べたとおり「リアクションの自由」も含まれます。 そして、企業は企業活動を円滑に進めるために利用者に「規約(一定のルール)」を求めることが出来ます。
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- nidonen
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> 私の表現の自由が第三者によって侵害されなければならないのか。 何ら侵害されていませんので、ご安心を。Amazon に 投稿したレビューが掲載され続けるか削除されるかは、 まったくもって Amazon の自由です。あなたの発言を 掲載し続ける義務は、何一つとしてありません。 「 表現の自由 」は、ご自身の発言が誰からも削除 されなかったり批判されないことを保証するものでは ありません。公権力による不当な圧力や検閲を排除 するのが目的です。憲法の授業では基本ですね。
お礼
ありがとうございました。 簡潔明瞭かつ、全くその通りです。 とはいえ、憲法12条について、どのように捉えるべきかで、意見が分かれるかと思います。 もしお時間がありましたら、朝日新聞社の月刊誌『論座』(2008年6月号)をご参照ください。 「 表現の自由 」に対する色々な論者の意見が出ており、大変面白いと思います。
- hdmi446
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Amazonのカスタマレビューにおける発言については、 Amazonの利用規約及びガイドラインに規定されています。 あなたも利用の際、同意しているはずです。 詳しくはそちらをご覧の上、納得がいかなければ Amazonに問い合わせてみてはいかがでしょうか? 少なくとも、ネット上の表現の自由云々の話とは 筋違いな気がします。
お礼
ありがとうございました。 筋違いというご指摘は、正しいと思います。 この投稿は、一種のイチャモンですから…。
- Bayonets
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ご質問の趣旨は、表現の自由に関わることではないです。 ネット上で表現の自由が満たされる条件は、 ・自らのサイト上で発表されたもの だけであると思います。 他の者が設置したサイトでは、設置者の意向について表現の自由は満たされますが、単なるサイトの利用者には関係ないことと思います。 各サイトとも個々に運営ポリシーをもって運営しています。 運営ポリシーは、利用の手引きや、利用ガイドラインと名前を変えますが、運営者の表現の自由の下運営されているわけです。 これはネット掲示板も同様です。設置者(管理人)に投稿を削除され、『表現の自由が侵害された』と、喚いている人がいますが、本末転倒です。 サイト利用者は、いわば"他人の庭で遊ばせてもらっている"だけに過ぎませんから… 今回の質問者様のご指摘は誤解だと思いますよ。 >なぜ私の表現の自由が第三者によって侵害されなければならないのか。 削除した設置者から見ると、『何故弊社の表現の自由が第三者である単なる利用者によって侵害されなければならないか。』と、なります。 あなたから見ても、あなたの書き込んだ内容はあなたに責任があるけれど、同時に書き込まれたURLを管理している人(団体)にも同じ責任が生じます。 あなたが表現の自由を問えるのは、あなたの管理するドメイン上と、サーバ上で、あなたの発表する文言が外部から消された場合のみだといえます。 但し、公共の福祉に反する内容なら微妙です。
お礼
御礼が遅れまして、申し訳ございませんでした。 親切ご丁寧な回答、真に有難うございます。 この質問は、「私人・私企業に表現の自由の保障をどれだけ強制できるのかと?」と言い換えることができる質問であり、身も蓋も無い言い方をしてしまうと、単なるイチャモンです。 とはいえ、「公共の福祉」について、どのように考察すべきか。また、憲法12条について、どのように捉えるべきかで、意見が分かれるかと思います。 もしお時間がありましたら、朝日新聞社の月刊誌『論座』(2008年6月号)をご参照ください。 「 表現の自由 」に対する色々な論者の意見が出ており、大変に面白いかと存じます。
削除行為が国家権力におこなわれてはじめて問題となる これが表現の自由の意味です。国家からの自由であって、 私人間で何が行われようと国は関知しません。 関知しないといっても、たとえば暴力行為であなたの表現行為を抑圧し、 それを警察が見て見ぬふりをしている、 とすれば、表現の自由を形を変えて、国が侵害してると言えます。 それにあたる違法行為であると考えるなら、 その違法行為から救済してもらえるよう法に則った 手続きをしてください。違法行為にあたらない私人間の行為は 国は関知しませんし、表現の自由の問題でもありません。
お礼
簡潔明瞭なご回答、真に有難うございました。 >それにあたる違法行為であると考えるなら、 >その違法行為から救済してもらえるよう法に則った >手続きをしてください。 全くそのつもりはございません。 当方としても、今回の質問内容は実質、単なるイチャモンであるということは重々承知しております。
お礼
ご返答ありがとうございました。 大変遅れましたが、皆様にお礼のお便りを送らせて頂きます。 皆様のご意見は、やはり同じ趣旨のものでした。 ええ、わかっておりましたとも。このよう回答をいただく事は…。 評論家の呉智英さんは論座2008年6月号において、「私人・私企業にとって、憲法は強制力のない訓示規定のようなもの」という指摘をしております。 まあ、そういうわけで、今回の『映画・靖国』も私の投稿も、私人・私企業の主観に委ねられるだけの問題だったということでしょう。 ちなみに、呉さんは私人・私企業に表現の自由を保障させることを強要させるのならば、「啓蒙の暴力」となる覚悟をすべきなのではとの趣旨の意見を述べ、さらに「表現の自由の『強制力』とは、まず良識を疑うことから始めよ」と主張しております。 そのような意見を踏まえ、私たちはより多角的に考察しなければならない事なのでしょう。