• 締切済み

昔の日本の空気や海って中国並に汚かった!?

と、かなり詳しい解説をいただきました。 が、全国的にそうだったのか、一部地域なのか、短期なのか長期なのか、あの頃の先進他国は~、いくつか気になるところがあるであります。 1960-1970年頃の日本を知る方に質問です。 日本の環境はどんな感じでしたか?今の中国と比べてどうですか?

みんなの回答

  • omeger
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回答No.6

高度成長期の日本の環境汚染が、大気汚染としても、 水質汚染としても、今よりずっと深刻だったのは確かですが、 現在の中国に相当するかというと、それほどではない。 おそらくその中間で、現在の日本からは信じがたいが、今の中国ほどでもないレベルと思われます。 もっとも、日本で汚染が一番ひどかった時期には まだ測定も整備されておらず、測定するようになったのも 対策の一味であったため、あまり明確には比較できませんが。 東京オリンピックの頃の東京の大気中の二酸化硫黄の濃度が、 今の北京と同等以上(?)の部分もあることはあるようです。 しかし、北京を悩ませる主要な大気汚染は浮遊粒子状物質であり、 これに関しては、基準の違いはあるかもしれませんが、 やはり東京よりも北京の方が深刻だとは思われます。 北京と東京の大気汚染については、 中国環境局の日本語のWebページに比較表があります。 「北京市の大気汚染状況 ~~東京都と比較して~~ 」 http://www.zhb.gov.cn/japan/beijing/beijing_00.htm 「北京市と東京都の大気汚染状況の変化の比較」 http://www.zhb.gov.cn/japan/beijing/beijing_03.htm 日本にも地域差がありますが、中国にも地域差があります。 中国の汚染のレベルを一意に定めることはできません。 北部の北京や石家荘の大気汚染と、西部の重慶や成都の大気汚染、 東部や南部の先進地域の大気汚染状況は大きく異なります。 一方では中国全部が北京というわけにもいかなければ、 他方では平均が問題なければ問題ないというわけにもいきません。 色んな項目を比較し始めると、統計も複雑になってしまいます。 所得水準がある程度までは環境汚染は悪化するが、 それ以上で環境汚染が改善されるというのは 環境のクズネッツ曲線として知られます。 しかし、何もしなくても改善するというわけではないため、 中国は今後環境対策を拡充していく必要があります。 河川汚染、特に海河や遼河に関しても、 日本の当時よりずっと深刻だとは思いますが、 項目が多いためちょっと単純に比較できません。 中国の場合は、工業だけじゃなくて、農薬・化学肥料の 河川への流入も主要な汚染源だったりもします。

  • debukuro
  • ベストアンサー率19% (3634/18947)
回答No.5

隅田川は下水でした 4大工業地帯では黒い雨が降りました 館山沖 伊良湖沖 和歌山沖 佐賀関沖 若松沖 ここは海の色が青から焦げ茶に変わるところでした 船が通ると航跡はひどい臭いが立ち込め場所によってはプロペラが溶けたのです どこの工場でも有毒な廃液を川や海に放流していました 平均して今の中国よりもひどかったようです それは日本は密度が高いからです 中国は何と言っても広いから今のところは全体で見れば微々たる物です 今後はは地球を食い尽くす元凶になると思います

  • ken200707
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回答No.4

“あの頃の先進他国” 1952年にロンドンで起こった大気汚染公害事件です。 中国国内の情報の信頼性には疑問があるところですが、これほどの被害が発生している様子は無いようですね。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%A2%E3%83%83%E3%82%B0
回答No.3

 大阪市民です。  話は明治の富国強兵までさかのぼりますが、農業国で生糸くらいしか輸出品がなかった日本は欧米の技術を取り入れて急速に工業国へ舵をとりました。結果、昭和初期には先進国の後ろ姿が見える位置にまで追いつきました。  その頃の大阪は煙突が林立し「煙の都」と呼ばれていました。この頃は「公害」と言う概念や言葉がなかったので、「煙の都」は工業が盛んな都市という肯定的なとらえ方でした。  それから戦争を経て公害が大問題となるのは昭和40年頃です。それまでは工場で出る煙も粉塵も規制なし。とにかく高い煙突を立てて大気中に拡散すればよいことになっていました。  その頃は冬になると霧と煙が合体したスモッグが空を被い、日中でも空が真っ暗になる日が度々ありました。  40年代に入って立て続けに公害訴訟で、「水俣病」「イタイイタイ病」「四日市ぜんそく」の原因が工場の出す廃液や煙、粉じんとされ、それ以後急速に工場から出される排出物に規制が掛けられていきました。

  • greezm
  • ベストアンサー率19% (5/26)
回答No.2

中国以上じゃなかったんでしょうかね。年代が前後してると思いますが 1.富山県神通川流域の、イタイイタイ病事件(上流の鉱山廃液で川魚  から人体へ入って障害手を起こした。) 2.九州・有明海に熊本にある(株)チッソからの工場廃液が魚介類を通し  体内に入り、水俣病を発症した。 3.4大工業地帯、特に名古屋・四日市や川崎・横浜付近の工場からの  排気ガスによって呼吸器障害をおこした。 4.東京湾の工場廃液や汚物の海中投棄によって、江戸前の魚介類が   激減した。 5.今でも、夏になると時々発生する光化学スモッグ(空気中に含まれ  る化学物質が光等の作用で変化して有害な物質となって、呼吸機能  を悪化させる。)とうとうです。 日本(自民党)も中国同様(共産党)、国民の健康よりも生産性重視のた   め、救済が遅れて被害が拡大しました。ただ、日本は西には太平洋   しかないので空気汚染は太平洋側に集中しましたが、中国の西方は   日本なので、これからはかなり悩まされる事でしょう。ばかな経営  者が日本より人件費が安い(中国人には、かなりの高給)と殺到して  いますが、獅子は眠らせておかなければいけなかったのです。13   億人が日本人と同じ生活を始めたらと考えれば想像できますよね。

noname#61576
noname#61576
回答No.1

私が小学生の頃ですね… 関東在住でした。 夏休み前後~休み中は 光化学スモッグ注意報がでて その時間は体育の授業で校庭の使用は禁止でした。 ただ、、今の中国ほど酷くなかったような気がします。 それに、”何を言われても気にしない”隣国ほど、厚顔無恥ではなかったような気がします。とりあえず、30年位精神状態が遅れてるわけですね 隣国は。

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