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人は何故「勉強」する

学校の先生からよく「今まで学校で学んで来たことは、きっと将来の役に立つ」とか言われましたよね? 逆に言いたいたいのは、正直、何で学校があるのかを思ったんです。 先生たちは良いことを教えてくれるのは分かるんですが、どうにもただ良いことを言われるだけで、その大切な奥を、全く教えてもらえず、ただ詰め込まれるだけと感じた人もいるのではないでしょうか? 一体、何で僕らは勉強するのか。 人の書いた小説や論文をほじくり回し、所詮過去のことだと思われるであろう、歴史を教え込まれる。 何のためにそれをやるんだろうでしょうか? 卒業と言われながら、社会に出て、ただ投げ捨てられた空き缶のようになっている人がたくさんいるのではと。 世界が終わるまでに、聞かせて欲しいです。

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noname#99367
noname#99367
回答No.2

日本の教育は詰め込み型です。 こうなって、ああなって、こうなるんだよ的勉強方法に私も疑問を感じるこの頃です。 小学生の息子が、かけざん、わりざんが苦手でした。 漢字も苦手でした。 ある日、面積の勉強に入ったとき、かけざん、わりざんが得意になりました。 日本のことを勉強しはじめるようになってから、漢字もたくさん覚えるようになりました。 でんじろう先生っていらっしゃるじゃないですか。 まず、結果を見せてから、なんでこうなるの?と疑問を抱くところから 勉強に入りますよね。 本来の勉強のあるべき姿だと思います。 興味や関心があることについて、深く学びたい、これが本質ではないでしょうか? こういう勉強の仕方は、大学に入ってからなのでしょうが、 変わった息子を持ったおかげで、最近では小学生でもこのような勉強の仕方がいいのではないかと、つくづく感じています。 大人になった今、義務教育の範囲内で十分、生活できます。 反対を言えば、義務教育は生活する上で、一番の基礎になるものです。 だから、それ以降は、自分で考えて決めて進学するべきでしょう。 高校以降は義務ではないのです。 勉強することに疑問を持つなら、高校以降の学校へ行かなくてもいいんですよ。

ningen1616
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 でんじろう先生の件については、ある意味「エジソンの母」に似たところもあるのでしょう? 詰め込み教育って言うのは、つまる所、教育の中に「愛情」や「心情」のような「情けの心」がないと言うことでしょう。 しっかりその理由まで教えて、納得させてあげるところが「情けの心」だと思うのですね。 ちなみに私は、高校を卒業してから、こう思うようになり始めたのです。

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noname#78753
noname#78753
回答No.4

詰め込み教育の反省を生かして施行されたのがゆとり教育でしたが、理念がうまくいきわたらなかったのと、システム作りが未完成なまま施行されたため学力低下という結果を招き失敗してしまったのが現段階です。 ので、「詰め込み教育」という認識はちょっと古いかもしれません。現実は確かに詰め込みのままですが、そこからの脱却への挑戦はすでに行われています。そしてその一案が失敗したわけです。 「教育に成功なし」という言葉があります。 私も質問者様と同じような疑問を高校生のときに抱き「でも、西暦がはじまってから2000年くらいしか経過していないわけで、現在の学校教育が始まってからはもっと短い。まだまだ未成熟な人間の社会に、自分自身のあり方について自問せずにそこまで一方的な期待を抱くのはおごましいのではないか」という結論に達しました(いやな高校生ですね)。 何のためにこんなことをやるんだろう?と子どもが思ってしまうような社会をちょっとでも変えるために、今私は大学で勉強をしています。 参考になれば幸いです☆

ningen1616
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 いち人間からの願いに過ぎないかもしれませんが、是非とも大切にして欲しいいち人間からの願いです。 万人の子どもを納得させられる鍵を、1つでも、掴んでいただけるならばそれで幸いでしょう。 「教育に成功なし」と言う言葉は、寂しい感じがします。 人の心を読める、そう言ったコミュニケーションで、幸せになれたらいいですね。

  • debukuro
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回答No.3

強制されているわけではないからしたい人はすればいいししたくない人はしなくてもいいのです どちらを選ぶかは本人の自由です 選んだ以上その結果を自分で受け止めればいいのです 日本は詰め込み教育だと言われていますが日本が試験成績重視社会だからです 入学や雇用するときにふるいに掛けることがその現れです 入ってしまえば万事OK (^^♪ だからガラクタ学生ガラクタ従業員が多いのです 多くの先進国では入学は簡単卒業は難関 就職は出来ても使い物にならないと直ぐに解雇 これなら勉強する気になるでしょう 教育方針の前に社会の要求があるからです 学校は進学率就職率で評価されます そういういわゆるエリート校に生徒が集まりそう云う学校に多くの予算が回されるのです 入学は無試験、卒業試験は飛び切り難しくすればいいのです

ningen1616
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 試験成績重視社会と言いますが、本当に気づいてほしいのは、ガラクタ学生、ガラクタ従業員を出さないためにもなる、いわばNo.2の回答で言った「情けの心」を込めた教育だと思うのです。 社会の要求に応えられなければ解雇。 学校は進学率や就職率で評価される。 能力さえ良ければどうでもいいと言う発想が社会に多すぎると言うのが嘆かわしい状況なんですね。 真のエリート、「心のエリート」は、少なくともそんな物じゃないだろうと思います。

  • zorro
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回答No.1

学校で学んだことがそのまま社会に出たときに役に立っているのは、弁護士とかの特殊な業務に限られます。多くの人は学校で学んだことを知識として身に付けて、自分の選んだ仕事を進める上での知識として活用します。思考能力を付けるための源です。それぞれ卒業し一時一時自分にとっての最高な人生となるよう考えているものと信じます。空き缶ではあまりにも寂しすぎます。

ningen1616
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 「空き缶」と言うのは、いわば社会の荒波にさんざんのまれて、やがてリストラされたり、ワーキング・プアになったりで、社会から見放されたような人を例えたんですね。 思考能力を付けるための源と言うのはよく分かりますが、その使い方は、やはり大人になってからやっと知る物なのでしょうか? 学校は社会の「縮図」であり、そして先生だって不祥事を起こすような今の世の中ですから、もっと誇れるような物を教えられたい気もします。 でも、教科書の内容を勉強することもまた、精神教育的な物とは別次元の、いわゆる経験値の積み重ねなのですね。

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