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イージス艦「あたご」の衝突事故と観桜会
今朝のアサヒコムでは、イージス艦「あたご」の衝突事故と今に至る諸状況に鑑み、恒例の“観桜会”を中止する、というような報道がありました。ここでは当然ながら米軍の司令官などをご招待しているとのことです。 それは別によろしいのですが、それはそうとして、今の海上自衛隊と帝国自体の海軍とは、国民に対する見方はどのような変化を遂げてきているのでしょうか。 今は最大の同盟国・アメリカは、帝国時代は、交戦に入らない時期でも、必ずしも、いまのような関係ではなかったわけですから、今の状況では同盟国たるアメリカとの役割関係が、日本国民を見る見方に影響していることはないのでしょうか? あまり触れたくない問題ですが、自衛隊が日本国民にもっと受け入れられるためにも考えておきたい問題です。 もう数十年前、幼友達が、佐官に任官したあと、遊んだこの町に帰ってきたとき、夕方、肩をすくめ、帽子を隠し、そっと裏通りを歩いてきたのを見て、何かつらくなったことが思い出されるのです。
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一方では、自衛隊員の国民に対する愛国心は大変頼もしくとても高い意識を持っています。 しかし他方では、悪いイメージの「公務員」つまりしょせん「役人仕事」としかとらえられない事が起こるのは残念です。 人間だから言い訳もするでしょうし時には嘘も言いますが、己の任務に関しては出来る限りの努力を惜しまないで頂きたい。 今回の事故ではその任務の信頼を取り戻していただきたい。
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- sinjitsuha
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愛宕ですが・・ 愛宕信仰(あたごしんこう)とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道の信仰である。 愛宕山の愛宕神社は、古くから修験道の道場となり、愛宕山に集まった修験者に 愛宕信仰とは、京都市の愛宕山山頂に鎮座する愛宕神社から発祥した、火防の神に対する神道の信仰である。 愛宕山の愛宕神社は、古くから修験道の道場となり、愛宕山に集まった修験者に 日本全国で「愛宕」を社名につける神社は43都道府県に約1000社ある。特に東北地方に多く分布 勝軍地蔵を本地仏とした。現在でも、愛宕の縁日は地蔵と同じ毎月24日である。現在では火産霊命(カグツチ)が祭神 愛宕神社(京都府亀岡市)—元愛宕:。亀岡市側の登山口にも「元愛宕」と呼ばれる愛宕神社がある。亀岡市から愛宕山への登山道は光秀が通ったことから「明智越え」と呼ばれている 四条天皇期、九条家・藤原頼経将軍、実権?北条泰時時、、 1235:叡尊(鎌倉時代中期の真言律宗。興福寺の学僧慶玄の子で、大和国の生)、 戒律を復興し、 奈良西大寺を復興してるが 88後嵯峨上皇・90亀山上皇・89後深草上皇がパトロン・・・ 持明院統と大覚寺統と2分裂させた黒幕?は・・ 83土御門(土佐、阿波:1199年頼朝が死んだ翌年幕府は政治的なテロの拠点として念仏宗教は一切禁じている・・1202年、土御門通親(54)が殺され、II将軍に立てられた源頼家、幽閉され 北条政子の子・時政をIII将軍にするが、 出家、仇討ちされ、 蒙古ジンギスカンの人脈?義時が執権になり 82の子・84順徳帝時、82と共に鎌倉倒幕に参加するが負け、佐渡へ流される この時期、のち曹洞宗をはじめる道元(14)、 比叡山延暦寺(抗日拠点)に入門・・やがて渡宋し、 中国の道元にお墨付き?免許皆伝?をもらい、 日本へ戻り、建仁寺で京都伏見に興聖寺をたて、 自分に服しないものは全て敵とする二元論・比叡山に攻撃されて・・ 比叡山のテロ地下抗日活動に嫌気をさし・・ 道元、越前・波多野義重のもとへいき、永平寺と名づける 道元自身は政治に地下活動として仏教を見ていないため、 (仏教を神秘化して?) 中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝の年号に由来し 『永平』永く平らかであることが本質だと考え、 命名・・ 83の子の82の子・88後嵯峨帝の時期に、 5摂家が分立してるが、 (がバブル時期、 それまでも直直、ケシを栽培し問題になっていた永平寺も 現在、アジア麻薬マフィアや資本、山口組にすっかり! 人事換え?され?? 道元の頃の精神を残す、 神道哲学と合い通じた悠久の大自然、鬱蒼と揺るがない森、樹木の中での 修行が 合理化??・・?? 25年ほど前には、 関西の永平寺は私の最も好きなお寺でしたが、 悠久の大自然と共生する寺ではなく、 樹木を克して揺るがないエアコンつきの鉄筋の建物が建って、 外車でゴルフをしてそうな 飄々とした歩調?周囲をキョロキョロしてる煩悩系の僧が目に付く・・ すでに・・修行とは縁が切れた寺?!? 修行僧も 現在のマニュアル文化に毒され? 落ち度や周囲に気をとられ 煩悩につかりこんだ疲労感・・? 人事(経営者、役職者)がいつどのような事情でおこなわれたのか気になる・・ 歴史からも・・ 89後深草帝(88の次?男)の時代、 藤原氏、宋にテロ活動してる分子、海賊らと 大いに密貿易をしてるため、 当時、蒙古系高麗人に侵略テロを受けていた宋は 北条家日本との国交を断って・・・ 90亀山帝にはフビライ(ジンギスカンの孫)が 大都(北京)に都を置き、『元』を建国したとき・・ 害虫(生物兵器?)で飢饉、餓死者が多く、 都の大火があるが、 ここに、興福寺の息子・叡尊は一旦西大寺を再建し 日本国の見方?のふりをすることで・・ 朝廷の有力者を自分の味方にし、 自分の弟子を鎌倉にやり、 密かに火付けを指示している・・ 治療している・・僧であることで 普段は出入りしにくい政所、公文所、問注所などにも火付けをしている・・?!? 亀山帝の下で 物価法、利子法、養子法、遺産管理法が制定され、 資本主義経済社会の基盤が作られる・・ 後宇多帝の時代に 宋は渡来系蒙古に滅亡、 国内は相変わらず、火付けと火薬で元寇を追っ払う・・ 朝廷の信頼を得た叡尊、 四天王寺の長となり、 彼の呼び水で、 大覚寺、ジミョウ院(すみません、変換がアホになってる)との 抗争へと発展させている・・ 知能犯、叡尊・・!? 元は海賊流れの延暦寺の僧兵を 禁中に乱入させている・・?! そういった抗日、日本侵略勢力に 反旗を翻したのが・・ 天皇即位の争いにあったのを思う・・ ユダヤ政商哲学の蒙古系の中国朝鮮半島の国として・・ また、海賊として 日本の海辺に倭寇として住み着き、 ○○水軍として戦国時代参加し、、、 他方・・仏教として抗日拠点をつくり、 山岳信仰として日本中を 宗教の修行ということで実は抗日スパイ活動をしていた・・・ 亀山帝(初代大覚寺統)時代、まさに蒙古ペルシャ哲学(ゾロアスター教・二元論・絶対神)の元に どっぷりつかっていること、 この時期に中国で10Cから使われていた黒色火薬(爆弾、てっぽう)を 北条時宗は日蓮?通じて手に入れ、 元寇を追い払ってる・・(嵐はウソ??鉄砲の日本伝来を社会で暗記させられたのも ウソの上塗りをするため?) (つまり・・元寇の戦いは同じ仲間同士の 日本というご馳走の取り合い合戦?!?) 初の大覚寺統の亀山帝、時宗時代、 蒙古帝国のフビライ(ジンギスカンの孫)が大都(北京)に都を置き 『元』を建国したこと・・ 時宗は蒙古に対する服属に抵抗はしたが、 その為には すでに国内にネットワークを仏教で張っている抗日活動の 海賊と僧兵をもつ寺に依存した・・?!? つまり・・ 時宗のときは いまでいう・・山口組政権で 角栄さん、大平さんら日本の民主主義社会を構築する 政財界人を失脚させるための リクルート事件や 諸金融機関事件(山一、勧銀等銀行と、朝鮮銀行系だった?幸福銀行の破綻?)事件をおこした 渡辺親子と岸安倍一家が ユダヤ政商(表向きを米軍問い見せかけて、実はアジア麻薬マフィア資本をバックに でっち上げ事件を起こし、 それからが 今日の日本の状況に陥ってしまっている・・ 角栄さんを失脚させたときから 公明、現国会でテレビに出てる政治家となった外国人(中、台、朝?シナ人?)が日本の官僚として 国会の審議に参加している・・ それを許すには、 検察庁が腐って裁判をどうにでもできるようにすれば 自分たちに都合の悪い人物を犯罪者として捕獲できるし、 脅迫できる・・ 鎌倉将軍の人事を持明院統でかためたが出家においやられてる・・ それが・・南北朝の初めだが・・ その南北朝勢力も 途中から ゆがめられ、 単純に南朝が日本独立派、 北朝が渡来勢力派と 二元で割り切ることで 無駄な仲間討ちがおこってる?!? 何せ・・言葉で人の心を操ることのプロである仏教が 大衆、朝廷にまで浸潤してしまっている・・ 真実、本質が見えなくなってる・・ かつてのように、、神道(現、神道は日蓮系?が混じってる?!? 本来、神道は資本第一主義哲学を否定し、 人為的な「資本」の前に 大自然の理があり、 あらゆる生物はその恩恵を受けるべきで、 資本で左右させてはいけないという、 根本的な「資本」への制限を訴えてる哲学)に朝廷の心があれば 見間違わなかったことも、 カリスマ性と言葉のマジックに簡単に騙され、 烏合の衆となってしまう・・?!? 面白いのは・・ シャープが田辺(城)から亀山(城)のシャープへと宣伝してるが・・ (家康に 欧州ロスチャイルド役として和歌山の徳川家が 地元叡山勢力の知恵者、茶屋四郎次郎(実は裏千家?)が 傍につけられ、 ポルトガル人を追っ払わせ、 インドで密貿易仲間の英蘭人を長崎に選定させている・・ 三浦安針も同様に連れてきているのが真相?! 跡継ぎを育てるのに自分たちの仲間であるお福を推薦している) 戦国時代末期、渡来系明智光秀(お福の親戚) 丹波亀山城と城下町を築き亀岡の起源となってること・・ 桂川を大堰川、保津川と呼ぶのは、 古代朝鮮から渡来人である秦氏がつくった農業用の「堰」であることを 子孫に伝承するためのもの・・ (例:徒然草(第51段)の「大井川」、大井町にある大井神社、 宇津根橋(河原林町、宇津根町)保津橋(保津町)の 保津峡の入り口の山本浜(保津町、篠町)を境に 上流を大堰川、 下流を保津川とよぶそうだ・・) 出雲大神宮や継体天皇元年に初めて神殿が建立されてる元愛宕神社や 中川小十郎(立命館大学創立者)の子、彫刻家流政之氏のくぐりほていが 置かれてる養仙寺・・・の歴史も 渡来系が古く住み着いた地域・・ (ほていさん・・江戸時代中期ごろから、 『大国』主命を奉ってる神社に 『大黒』さんがおき散らされていく・・ (大黒さんは布袋さんを黒くして打出の小槌を持たせてる・・ キリスト教政界での黒マリア伝説?信仰?と同じようなカラクリ?) 諸説あるが、 大堰川右岸の千代川町に丹波国府があったそうです・・ 平安時代中期、源氏は吉冨荘と亀岡市を拠点としてそうです・・ 以仁王をたてた摂津源氏の源頼政の墓がつつじヶ丘に作られ 足利尊氏が挙兵した篠町篠村八幡宮があり 鎌倉・南北朝時代の源氏拠点 石門心学の石田梅岩(洗脳術?) 画家・円山応挙、 医者・山脇東洋も亀岡出身として 日本征服活動に活躍・・ 源義経や那須与一は 摂津国福原の一ノ谷に向かう途中に寄っているし、 文覚、一遍、『蓮如』、明智光秀、小早川秀秋、『角倉了以』(朱印状・蘭貿易)も 亀岡にゆかりがあるという・・ なお・・シャープの顔が 阿倍野区田辺から亀山へ移ってるのを以下の歴史とパラレルすると・・・ 豊臣に恩をうけてる有力大名・細川忠興は、 正室のガラシャ(西軍の人質になることを拒み自害)は、 伏見に人質として在京してるにも拘らず! 父の幽斎は、忠興の留守を守り丹後田辺城に籠城したが(田辺城の戦い)、 朝廷からの勅命により 関ヶ原の戦い前に 敵将前田茂勝の丹波亀山城に入り、 砦、要塞でもある肝心要の居城を 易々と敵に明け渡してしまう・・ そのうえ、父・幽斎は、 細川興元(忠興の弟)に、 和泉上半国守護家を後継したことなど・・ 細川家の基礎を築いた 細川忠興は 足利氏、織田氏、豊臣氏、徳川氏と通じて仕えた、 抗日活動家大名ではないだろうか・・?!? というのは・・・茶屋四郎次郎(裏千家家元は伊予と加賀藩に勤め、 皆、30前後で死去ということになってるが・・ 実は・・茶屋四郎次郎として家康はじめ徳川の傍にいて、 ロスチャイルドの役目をしていた・・?!?) 秀吉を捨てて 大将を家康にしたのは・・・・ 先祖、利休への仇討ち・・ それに面が割れてる 千家のことをよく知ってる家来や側近が多い?!? 利休に切腹させた真相は?!? (秀吉に抗日活動させていたことがバレた?!?) そうなると・・ 家康の時代、すでに叡山僧兵と紀州徳川と千家とは一体として 抗日活動をしていたと考えるべきだし・・ そうあっての ユダヤ政商侵略哲学と敵対するカトリッく・ポルトガル宣教師追放であり、 ユダヤ政商ロスチャイルドの配下の英蘭人を重宝したということ・・ 家康自身・・ なかなか、2代目に譲らなかったのは 茶屋四郎次郎に自由にされてる体制を 何とか立て直そうと努力していた・・?!? 粗食家康がを旨とした茶屋四郎次郎が 鯛をご馳走してから寝込んで死んでる・・ そのあと・・ 呉服問屋として 徳川家には大奥に出入りすることになる・・・?!? 裏千家が伊勢神宮と近い関係できたこと、、 代々の弟子?業躰?があり、 よくあることだが・・ そういう歴代番頭に采配されてきた家・・?!? 行天家??・・業躰?氏たるひとが かつて由緒ある家に仕えていた裏千家茶家の子孫から 謂れのある道具を集めてるのも・・ 歴史シナリオを書くときに 物証とするため・・?!? 宗教革命のルソーも末期の『告白』などの自伝著作をよむと いかに彼がユダヤ政商に道具として育てられ、 利用されてるのかが伺える・・ つまり・・ 米新大陸へ逃げた人たちは 宗教で逃げたのではなく、 資本主義から逃げて、 農場国家を作ることを夢見ていた・・ が旧大陸から奴隷商がきて 南北戦の資金をためるため 奴隷を買って収益を図ることになり、 結果、南軍は奴隷で非民主的だということを 作家に小説させ、 それを大々的に売り出し、 庶民に概念として定着させる・・?!? さて・・あたごにもどって・・ 大日本帝国艦艇 ・・ 愛宕 (砲艦) - 1889年竣工の摩耶型砲艦3番艦。 愛宕 - 未成の天城型巡洋戦艦3番艦。 愛宕 (重巡洋艦) - 1932年竣工の高雄型重巡洋艦2番艦 そして・・・ 西欧のアダムとエヴァのりんごが 中国仏教で桃になり、 日本で日本侵略に抵抗して 桜を立てている・・ そもそもは・・ 日本は菊・・?!? また・・ 読売が1994年11/3:改憲を華々しく打ち出している・・ オバマと安倍氏は改憲を打ち出している・・ 日本の再軍備が始まり、 また・・ 中国、ロシアの征服のために 日本は駒として戦争の前線に借り出される・・?!? なお・・宇宙飛行士土井氏も 日本名の外国人ですよね・・ あの日本語・・ エイズ血液で失脚、倒産させられたミドリ十字、 おそらく・・血液製剤部門でも あのとき、 日本人成りすましが 人事権を握ったのでしょうね・・?!?
お礼
有難う御座いました。 なかなか示唆的なお話を、有難う御座いました
- sinjitsuha
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あたご関連で・・ 昔から連綿と現在につながってる点を見つけましたので・・ご参考に 茶家として勤務し、スパイのパイプ役をしていた 裏千家代々(伊予と加賀・前田家のパイプ役茶屋四郎次郎代々は裏千家の代々?!?)は 加賀の工作員が常宿とするため、 大阪に作った料亭が吉兆のライバルの花外楼・・ そこでシーボルトがセッティングした大阪会議・・ 裏千家の淡々斎時(満州時の韓国人?嘉代子夫人)から その先代から茶道に入門された私の先生(故人)も お茶事や お茶碗・建水の置く位置、 畳での足運びなどで 今の家元は・・といったように ずっと!同じではないようなことを お家元の先生から聞いたそうです・・ 実は・・私は彼が黒幕に思ってる?!? 家元にわざと違うことをさせ、 信用を失墜させることで 自分の権威を高めてる・・??)、 一応、二つ教わった事が何度かあります。 とても身奇麗な質実剛健、 禅の修業を感じる凛と一本の線が張られた緊張感のある先生でいらしたのですが ご自宅でのお稽古は 夫々50代の先生方がお稽古にいらし 何ともいえない お茶の世界の良くないところもあるからと 最初は出稽古道場にくるよう母にいわれ・・ お家元からお祝いに来ていただくような 先生にとっての一大お茶事は 花外楼 が使われていましたし、 お茶のお詰めは島津家の家紋と同じです (十字・・キリストのシンボルを取っている?!? ただ・・・ ポルトガル宣教師は本物ですが 蘭人宣教師は英蘭東インド会社拠点となるところで ユダヤ政商の指示で 対日してますものね・・!? 法王の指示ではない・・ 占領のためのニセ宣教師姿です・・) 今回の吉兆事件には、 こういういきさつ含め・・大変にウラ、真相があるヤラセ事件と疑っています・・
お礼
やはり唸っています。 有難う御座いました。 私も45年以上も同じところにいて、下っ端ですが、それなりに墓場にもっていかなければならないことはあります。 たいした事でもないのですが。 そうですか。戦前、そして戦後の報道などのぐるみでの裏面は一部は聞いた事はおりましたが。 仰せの視点・視角でみるとなんともわかる気もしてこないわけではありませんね。 有難う御座いました。
- sinjitsuha
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あまり、甘く見ない方がいいかもしれません・・ 以下の視点も大いにあり得るということで・・?? 日露戦争・・・ きたる世界征服のための世界大戦を控え、 ユダヤ政商らは 英ジャーディン・マセソン商会通じた英国製軍艦と アルゼンチン製?の「日進」、「春日」の日本海軍の軍艦が 露バルティック艦隊と砲撃合戦させ 軍艦同志の海上での戦闘機能、砲撃実験データの収集をするために 観戦武官としてマヌエル・ドメック・ガルシア海軍大佐が二つの海戦に乗艦し、 今後のユダヤ政商軍側の軍艦開発のシンクタンクに利用?!?
お礼
有難う御座います。 視角というのは固定していたり、幅がないと意味がありませんしね。 特に指導ということでは。別の世界との出入りというような、中間性は必要でしょうね。 そのことは私も了解しております。 でも庶民、被支配側次元での表看板をここでは、視点にしております。 有難う御座いました。
補足
象徴的なご説明の中で、やはりかな。という思いになっています。 でも国税、国民を端末的自衛官にしているのですからね。 先の国体体制でも、その軍事でも同じことはあったと存じます。 ご教示のことは確かに、現自衛隊もあると存じます。 そういう視点は確かに睨んでいく必要がありますね。 団体に長くおりましたし、いろいろ所の上部とも接触する中でも、そういう体験をし、実際をみてきております。 人間ですからと、一言では済ましたくないのですが。 そういうことが省庁のこと、自治体の事でも、摘示できていけるといいですね。 でも当たり前ではないかで済まされると、やんぬるかなですね。
お礼
有難う御座います。その高い意識がどんな性格なのかを寧ろ、それを知りたく、あえて質問しております。どうかご教示下さい。 曽っては、国民ということもあったでしょうが、皇国の隆盛こそが、そして国体というか、天皇制が第一であったと存じます。 それが国としての最高理念、最高価値でしたのでしょう。 あの時代の指導理念としてはそれで是認できると存じます。 もちろん国際関係での指導上の結果として、国民は塗炭の苦しみに喘ぐことにはなりましたが。それは批判は勿論できますが、結果論である一面もあります。 今、国際関係というと、偏向的視角かもも知れませんが、アメリカ関係にファーカスされなければならない状況は否めないことです。 そういう中で、自衛隊のみなさんの、国と国民に対する意識はどんなお気持ちなのか。理念は、価値観は。 同盟関係の義務が、どんな影響を与えているのか。それが知りたいですね。 帝国時代の昔だって、勝新太郎の兵隊やくざではないが、正統・真正面の正論だけが通っていないことくらいは誰もが、大人であれば知っていることです。それでも、陛下や国民のこと、対外国との関係での国のことになれば、どんなやくざも、しゃんとしたものでした。 だからといって、北朝鮮や大陸中国のように、徒に敵愾心を煽り立てればいいということでもないのですが。 どんな内容の、高い意識なのかを、国民としては知りたい。ともにしたい。そのことなのです。お願いします。 早速に有難う御座います。
補足
≪人間だだし≫、昔だって娑婆という一般世界は利益・私欲のせかいでしたし、それに今の(だけではないが)若者をみれば、第一線の自衛官に気持ちも、理念姿・像だけではないでしょうね。 尉官はともかく、佐官や将官ともなれば、昔は兵卒からみれば無論神様みたいでしたでしょうが、やはり、理念一途ではなかったでしょうね。 ANo.2様のご回答をどう理解したらいいかは判りませんが、佐官や将官ともなれば、よかれあしかれ、識見も広範囲しょうから、日本とその国民だけが視野範囲ではないでしょうね。 そういう中で、現今の日本は国際協調は日米協調が中心であるという側面もあるので、最上層と聡でない方々は、みなさん、日本国とその国民に対してどのような思いでおられるのでしょうね。 他国をいろいろ見れば、そういうお仕事ですから、そういう中での愛国心は当然私達とは異なる緊張感はおありでしょうね。 公務員一般としてのお気持ち、仕事は大切という人間本来のお気持ち。自衛隊としての育成。そういう中での皆さんの愛国心やお気持ちはどうなのでしょうね。 私は長い大学職員としての生活でしたので、自衛隊の皆さんとの付き合いがないものでして。昔でしたら帝国軍人とは接触はありえたのに。 皆さんのお気持ちや愛国心、日本と日本人に対する、お叱りなども戴きたいですね。 No2様の仰せを勝手に理解し、それとの落差の認知のためにも、表看板は知りたいですね。