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もしも学校が、好きな教科だけを選択できるとしたら
小学校はいいとして・・ 中学校、高校は、 半年後とに自分の好きな教科を、選択できるんです。 時間的に可能なら、何教科でもOK。 体育だけでもいいし、全教科でもいい。 授業料の問題はここではおいといて。 私は、いくら体育が好きでも、 よほどの才能が無い限りは、(あっても?) 体育だけを選択するようなことは、だれもしないと思います。 なので、能力に著しい偏りが生じることは無い、 と、私は推測するのですが。 デメリットは、能力の偏り。 メリットは、勉強意欲の向上。など。 どう思いますか? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3802893.html
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質問者が選んだベストアンサー
>“共同体が構成員に要求する最低限の知識” >を学ぶのは、中学一年時まででいいと思いませんか? この発言の前に質問者様は >構成員全員に必要な知識など存在しません。 と仰っています、まずご自身の意見を明確にすべきでしょう。その上で質問にお答えしますと現在の中学一年生までの学習範囲だと、国語なら大人向けの書籍を読むだけの常用漢字も、数学ならようやく論理力の訓練としての意味合いが出てくる関数や証明問題も学べず、英語に至っては僅か一年のみのそれだけでは殆ど意味を成さない学習になってしまいます。 >根本的に、中学二年以降に学ぶ知識が偏ったところで、実生活に支障がでるような致命的欠陥にはならないと、安易に思っているから(周りの大人の発言から)です。 “周りの大人の発言”がどのようなものかはわかりかねますが、ろくに本も読めず、論理的に物事を思考する訓練に欠け、外国人に道案内をする程度の英語も話せず、有権者として持つべき社会に関する知識もない国民で国が溢れればこの国がどのようになるのかを想像するのはさほど難しくないと思います(今の日本人の知的水準が望ましいものであると言うわけでもありませんが)。 >有効な選択、という定義はなんでしょうか。 その後の人生がより幸福に送れる可能性が高くなる選択、という所でしょうか。例えば中学2年生でサッカー選手になる事を夢見ている少年が授業時間を全て体育の授業に当てて高校までの5年間を過ごし、サッカー選手になれなければ(大抵の人間はプロにはなれません)彼がそこから取れる将来の可能性は大分限定されてしまいます。これよりは部活でサッカーを継続しながら授業でも最低限受験勉強をすることが可能な程度の知識を蓄積するほうがリスクが分散され有効な選択たりうる可能性が高いでしょう。 >大学卒業まで、自分の嗜好、目指す職業を探す猶予がある。 揚げ足をとるようでなんですが就職活動の準備を始め3年生中頃まで、という方が一般的ですね。 >それならば、たとえ短い猶予でも、真剣に考えること “完全”選択授業を行う事と、子供たちが自分に何が必要なのかを考える事の間に明確な関連性が説明されていません、補足をお願いします。 >全体の利益の追求は、個人の利益の追求に他ならないと考えます。 一つ単純化した例を挙げてご説明します。日本企業が海外に工場を建てるよく見られる事ですが、これは海外の労働者の賃金が日本人のそれよりも安いからです。つまりこれは一企業という“個”にとって利益になる事です。では日本の全ての企業が全ての労働力を外国人労働者に頼ったとしてそれは“全体の利益”になるのかというと話はそう単純ではありません。仮にそのような事が行われると全ての企業が日本人を雇うことをやめてしまうわけですから、日本人労働者は収入を失ってしまい日本全体にとっては甚だ不利益な事になってしまいます。またそれは企業も生産したものが買ってもらえなくなるということですから回り回って個の不利益すら招きかねないのです。このように個人の利益の総和が必ずしも全体の利益になるわけではありません。 >今の教育は過保護だと思います。 それは完全放任主義を肯定する直接的な理由にはなりません。
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学校というのは、「お国が国の戦力になる最低限の能力を持った人間を育てるための機関」と捉えると、義務教育である中学までは「広く浅く全般的な教養を身につける時期」といえるでしょう。 高校以降なら質問者様のいうようなカリキュラムもある程度は可能だと思います。 実際、商業科や体育科などは自分の好きな科目を重点的に勉強するための学科ですし、普通科でもある程度の科目の選択が学校によってはできます。 義務教育と高等教育の役割の違いや区別をはっきりさせた上で、もう少し案を練り直してみてはどうでしょうか??
- tooma37
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授業料の問題を除外されているので、制度設計の為のコストの問題も除外してお答えします。 必修教科を設定せず完全に自由な授業の履修を許可するのにはどうかと思います。それは質問者様の仰る“最低限の自由”の範囲を超えています。特に中学での実施は共同体の構成員に必要最低限の知識を提供すると言う義務教育の存在意義を損なってしまいます。 >私は学校が大嫌いで、不登校も経験しています。 >その中で、 >どうすれば学校が楽しくなるのか それは質問者様の個人的な意見です。学校が大好きで楽しいと持っている学生も大勢います。 私は高校を中退し大検を経て大学に進学した口ですが、私のような立場の人間の救済制度を整備してほしいとは思っても私個人が学校を好きでない事を理由に制度全体の変革を求めたりはしません。 >なんでもかんでも、大人が子供に口出ししなければいけませんかね? いけない事はないです。ただそれは全く口出ししてはいけない事にはなりません。 >子供が一教科だけ選んで、未来に後悔するようなことがあっても、 >それは自業自得。 私はつい最近まで中高生に接する仕事をしていましたが自身の将来を主体的に考えその責任を負える子供など殆どいませんでした。無論教育で彼らの主体性をある程度まで育てることは可能だと思いますが精神的にも不安定な思春期の人間にその後の人生に多大な影響をあたえる教育内容決定の全権限と全責任を負わせることはあまり理に適わないように思います。 >学校はあくまで、浅く広くを教える場。 浅く広くすら学ばない子供も出てきますね。
お礼
>共同体の構成員に必要最低限の知識を提供すると 構成員全員に必要な知識など存在しません。 Aさんにとって必要最低限でも、Bさんにとってはそうではない。 Aさんは学校が楽しい。Bさんは、楽しくない。 そういう差が生まれます。 それを解消するために、「個人が選ぶ」というシステムを推奨しています。 しかしやはりネックなのは、「自分にとって何が必要で何が不必要なのかの判断能力が低い」ということ。 >精神的にも不安定な思春期の人間にその後の人生に多大な影響をあたえる教育内容決定の全権限と全責任を負わせることはあまり理に適わないように思います。 ということですね。 この意見に一理どころか何理もあるので、折衷案として、 中学一年時は、今と同じ必修科目を学ばせる。 中学二年もしくは中学三年からは、すべて選択性に移行する。 というのはどうでしょう? 高校から選択性に、という意見もありますが、 一年間の判断時間、猶予を与えれば子供たちは自分で有効な選択をできると思います。 少なくとも、その一年間、「今の中学一年生」とは全く違う視点で、勉強に臨むと思います。 自分の将来のために、科目の意義や意味を、今とは比較できないほど、真剣に考えることでしょう。 >浅く広くすら学ばない子供も出てきますね。 折衷案を使えば、この問題も解決ですね。 >それは質問者様の個人的な意見です。学校が大好きで楽しいと持っている学生も大勢います。 「好き、嫌い」で判断していないし、そのために変革を望んでいるわけでもありません。 選択性の授業のほうが、子供たちの未来のために有効だと思うから提案しているのです。 自分はもう教育の現場から離れた者ですから、第三者の目で判断しています。 学校は楽しくても、「勉強に疑問を抱く」生徒はいますよ。 学校が嫌いな者のための案ではなく、すべての子供たちの未来のための案です。
- hukuponlog
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まぁ、茶飲み話だと思いますので、気楽に答えますが駄目でしょうね。 >時間的に可能なら、何教科でもOK。 ここがまず問題。つまり、ということは、逆に「選ばなくても良い」ということになるでしょう。そうすると、一日1時間程度、好きな教科だけ受けて下校するやつが大量に出ますよね。 人間っていうのはそういうものです。楽な方へ逃げたがる。(少なくとも私はそうです) そうかと言って、「最低○時間は教科を選ぶこと」と決めたら、好きな教科を選択できることになりませんよね。 それと、中高生の場合(特に女子にはこの傾向が強いのだけれど)「その先生(の教え方・人柄)が好きだから、その教科が好きになる」ということも普通にあるでしょう? 逆に、その先生が嫌いだから、今まで好きだった教科が嫌いになった、とかね。 昔の人は上手いことを言ったもので、「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」と言って、付き合って分かる事ってたくさあるじゃないですか。 あと、半年では体系的な学習はできないから、どうしてもユニット形式の内容(つまり大学みたいな感じ)になるわけだけど、数学や通史なんかはそれでは教えられないよね。そうすると、教科や教材が実質的にかなり偏って、例えば「日本の歴史を古代から近代まできちんと学びたい」なんていう希望には、そもそも応えようがなくなってくる。 そして最後に、中高校では行事が結構たくさんあって、これが学校生活を厚みのあるものにしているわけだけれど、これもたぶんできなくなるでしょう? だって、3時間で下校するやつ、午後から登校するやつなどが出てくることになるのだから。 ま、そんなわけで、デメリットの方が多いかな、と。
お礼
>人間っていうのはそういうものです。楽な方へ逃げたがる。 何が本当の「楽」なのか、 そんなことは、14~18歳の人間なら理解できると思ったのですが・・・ だから質問文に、 >私は、いくら体育が好きでも、 よほどの才能が無い限りは、(あっても?) 体育だけを選択するようなことは、だれもしないと思います。 と書いたのですが、そうではないと、あなたは言うのですね? 私は学校が大嫌いで、不登校も経験しています。 その中で、 どうすれば学校が楽しくなるのか、模索した結果、 生徒の自主性を尊重する、 という結論に至ります。 どんな結果であれ、責任は「己(おのれ)」にあるのだど知らしめ、 己にのみ依存し、それが真の自由であることを知ってもらう。 そのときに初めて、ヒトは一人では生きられない、 その事実を許容できるのです。 最低限の自由も与えないで、退屈な現実だけをつきつけるから、 いつの時代も、教育改正の声が絶たないのです。 なんでもかんでも、大人が子供に口出ししなければいけませんかね? 子供が一教科だけ選んで、未来に後悔するようなことがあっても、 それは自業自得。 それは、子供の将来を心配しないからではなく、 周りが決めたことをやって得た安寧に、 価値なんてないし、自分で考える力の無い人間が、今増えているからこそ、新しい教育が必要だと思いませんか。 >数学や通史なんかはそれでは教えられないよね 学校が教えないと、学ばないんでしょうか? どうしても学びたいなら、自分で学べばいい。 学校はあくまで、浅く広くを教える場。 深く掘り下げたいのなら、自分でやればいい。 そう思うのですが。 学校は行事のためにあるものではないし。 一応、修学旅行はいけるし、 合唱だってできるし、運動会も、 全校生徒の投票で決めでもすればいい。 そんなものは微々たる問題。
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お礼
>実際、商業科や体育科などは自分の好きな科目を重点的に勉強するための学科ですし、普通科でもある程度の科目の選択が学校によってはできます。 具体的な数を知らないので、推論になってしまいますが・・ 私は、就職や仕事に必要な知識「だけ」学びたかったので、 商業科や、農業科・・普通科とは違う高校を探しましたよ。 けれど実際そんなに数もないし、 あったとしても、数学や国語などは必修。 商業や経済を学びたい人が、古文や三角定理を学ばなければいけないのです。 それは非効率的だと思いませんか? >義務教育と高等教育の役割の違いや区別をはっきりさせた上で、もう少し案を練り直してみてはどうでしょうか 大事なことですからね。 回答ありがとうございました。