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就職に現実感が湧きません。

就職に現実感が湧きません。 このままだとまただらだらと中途半端な基準で就職を決めてしまいそうです。 というのも、僕が大学を選んだときも、「権威は嫌いだ。大学なんていかない。」という考えと「やっぱり、いい大学出ていたほうが将来的に得かな。」という考えとの狭間で引き裂かれそうになっていました。そのときは、精神的に参っていた事もあり、自分で物事を決断することをいったん放棄し周りの流れに身を任せ、とりあえず一応難関といわれる大学に進学することができました。 大学在学中は、何かをつかもうと必死にさまざまなことに手を出しましたが、結局ほぼ何もつかめていないような形でまた就職という関門に差し掛かりました。 この人生における重大な決定も、なんだか、無難にとおりすごしてしまいそうで不安です。 実際にいろいろなことを体で経験しようと、毎年夏に海外一人旅をします。今まで、中国は2ヶ月。フィリピンに3週間。東南アジア45日間。北アフリカ(モロッコ3週間)、中欧(スロヴェニア・クロアチア・ハンガリーは日本までのチケットを取るために1週間滞在)を含め西ヨーロッパに2ヶ月近く、一人旅をした経験があります。 また、この旅行資金をためるために100種類を超えるバイトを経験しました。最近では、日本にくる米国人研修生のために日本案内ボランティアや、稲刈りのボランティアなどに手を出したりもしています。 しかし、好奇心旺盛なのですがこのように、ひとつこれに賭けた。というものがないのが駄目なところだと思います。 今まで「学校」という枠で守られていた自分が「会社」という新たな枠組みで守られる。ということに対しても何か釈然としない思いがあります。つまり、大学受験のときと同じようなアンビバレントな感情をまだ、持ちつづけているということなのです。 何か、助言がありましたらよろしくお願いします。

みんなの回答

  • ToshiJP
  • ベストアンサー率38% (482/1255)
回答No.3

こんにちは。 確かにほとんどの方が、学生時代から社会人に移る時期 に「ほんとにこれからずっと働かないといけないの?」「これでいいのか?」と思う時期があると思います。目標を持って大学に入り、そのまま希望の職につき、定年を迎える人なんて本当に稀だと思います。 人生は紆余曲折があるのが当然です。人に決められるものでもありません。自分が経験したものから歩む道を見つけていくものだと思います。 あなたが今まで経験したことというのは絶対に将来役に立つはずです。今はまだ道が見えないだけです。早くから自分の道が見える人もいれば、30才、いや40才になって自分の道が見える人もいます。 まずは今一番興味があること(仕事)に挑戦してみてはいかがでしょうか?それがダメでも何かその先に見えてくるはずです。ずっと学生時代と同じパターンなんじゃないか?と思っていても人間は成長するものです、何か将来につながる得るものがあるはずです。何か新しいことに挑戦するとき、不安は誰にでもあるものです。 最後にちょっとだけ自分や知人の紆余曲折の例を・・・こんな紆余曲折もあるという例で・・・私の場合はあまりいい例ではないかもしれませんが。 私は高校時代までは安定した学生生活を送りました。英語が将来役に立つとおもって、外語大を受けて落ち、でも英語を学びたくてアメリカ留学。最初は将来はバリバリのビジネスマンになりたいと思って経済学を専攻。しかし何か違うと思い、専攻を当時ハマっていた自動車工学に変更。そのまま卒業しましたが、すでに車よりも当時もりあがっていたインターネットに熱中。帰国後はウェブサイトのデザイナーとして勤務。数年前に将来に不安を感じ、1から勉強しなおしてネットワークエンジニアとして出直し、今は1流企業で安定した勤務を続けています。 友人は中学卒業と同時に親とケンカし、親の勧める高校を嫌ってカナダの高校に留学。卒業後はなぜか?料理学校に入学。卒業するも気がかわり、安定した収入がほしいということでカナダの有名大学の法学部に再入学。5人に1人しか無事に卒業できないという難関の学部を苦心の末卒業して弁護士に。年月を経て活躍し、何億というお金をかせぎましたが、殺伐とした弁護士生活何か違うと感じ、弁護士をやめて帰国。今は小さな貿易会社で普通のサラリーマンとして平凡に落ち着いた生活を送っています。 とまあちょっとした例ですが、人生いろいろあって、何年も様々な経験をして落ち着いたという例として。

  • abcjet
  • ベストアンサー率24% (8/33)
回答No.2

はじめまして! Evianusさんの今の気持ち、わかるような気がします。 私が学校を卒業したのはかなり前のことになりますが、 就職を目の前にしてかなり悩みました。 まわりの皆は金融だとか、商社だとか、方向性を決めていました。 私には、自分が何に向いているのか、どんな業種が適しているのか、わからなかったのです。 Evianusさんがどんな人生設計を現在持っているのか、わかりませんが、究極を言ってしまうと、「人生、どうにかなる」ということのような気がします。 無責任なようですが、どんな目標を立てたとしても、 また、夢の実現のためにどんな精緻な計画を立てたとしても、それで必ずうまくいくわけではないでしょう? もちろん、夢や目標を持つことは大事ですが、 実際のところは、歩みながら、考えながら、方向転換しながら、ときには断念したりして、生きていくのではないでしょうか。 そんなとき、「とりあえず、こうしておこうか」式の判断はけっして悪いことではないように思えるのです。 迷いながらも、「とりあえず大学に進学しておこうか」、 「とりあえずこの会社に就職してみようか」で、前に進むというのはどうでしょうか?(そんなのいいかげんすぎるかな) 経済的な裏づけがあるなら、また自分がそう望むのなら、勉強をつづけることもいいでしょうし、ボランティアをつづけるのもいいと思います。 働きながら、自分のしたいことを追及することだってできますよね。 私もやってみたいこと、人生でこだわりつづけていることがたくさんあります。 たいした助言にならなくてごめんなさい。

Evianus
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですね。人生ってなかなか見えてこないですものね。 でも、やっぱりこれでいいのかと思う毎日…。 ほかにも道があったのでは…。と、思うのは万人に共通している感情かもしれません。 でも、自分で選んだ道が自分の道でそれ以外はないですもんね。 回答ありがとうございました。

  • titanic
  • ベストアンサー率25% (5/20)
回答No.1

大学生に一言アドバイスしておきたいのですが。 社会人になってからも道は変えれるって事です。 たまに20代後半、もしくは30代になっても自分の道が決まらないと フリーターをしながらといった人がいますが、そんな人たちに将来の決断を 下すのは難しいと思います。 学生時代にそれだけのキャリアをつければ社会でも十分必要とされる人材と みなされるでしょう。自信を持って!! ひとつこれに賭けるというのは自分の適正、適職をしっかりと見極めた上でい いのではないですか? やりたい事、自分に合っていることを見つけるにはやりたくない事、自分に あってない事を経験する事が大事です。その裏返しに答えがあります。 上記のようなケースではいつまでたっても自分の適正を発見できないでしょう。 就職した所が自分に合っていなければ、転職といった道があるまでです。 人生の岐路に立ったとき、不安になるのは自然の事です。不安にならない屈強 な人もたまにはいるかもしれませんが。 それだけ経験して何もつかめてないなんてことは無いと思いますよ。何が 楽しくて、何が楽しくなかったか、その辺りから切り開いていったらどうですか? 長々と書き込んでしまいました。

Evianus
質問者

お礼

「稲刈りボランティア」をしているとき。 「米国人の接待」をしている時。 「初めて香港の伝説の安宿<重慶大廈>」に泊まったとき。 「中国大陸を彷徨い、安宿に泊まろう」と奮闘している時。 「中国大陸のとある町のとあるホテルで、隣のカラオケボックスから王菲の音楽にたった一人で感動している」時。 「海外旅行している」時。 「海外旅行の話をしている」時。 「旅行資金を集めるために働いている」時。 「映画について語っている」時。 「誰かの新しいプランについて相談に乗っている」時。 輝いている。 「いやいやながら大学のフランス文学の勉強をしている」とき。 「就職活動の情報を集めている」とき。 「今」。 輝いてない。 かつて、こんなことをネットの日記に書いたことがあります。人と接することがやっぱり好きなんですよね。 コミュニケーションです。大事なのは。それも心と心がちゃんと触れ合ったコミュニケーションが大事です。 勉強するのは嫌いではないんですよね。 ただ、前に何も見えていないのに勉強するのが絶えられないのです。 titanicさんの回答には勇気付けられました。 今、自分にあっていないと思われるフランス文学専修の授業に苦しんでいるところだったのです。 回答ありがとうございました。

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