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へりくつ
小学校六年の子を持つ母です。 近頃、地域の子ども会によく顔をだすようになりました。 最近の子どもと言ってよいのか解りませんが、とても屁理屈が多いと思います。 我が子も含めてです。親ばか丸出しですが、家族で話し合う時は、それほどでもないと思っているのです。何か群れると特にその傾向が強いように思います。 ご近所の良く知っている子などにも何かの折には注意しているのですが、なかなか・・怒ってしまうぐらいで、うまく彼らの素直な部分が引き出せません。 あちこちで、怒られていて楽しい行事になりにくいのが(子どもにとって)現状です。子どものしつけとその場の楽しさとうまく融合できないでいます。 どうしたらよのでしょうか。
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屁理屈も理屈だと、誰かが言ったような気がしますが…。(笑) 色んな事を考えますねー。 自我が芽生えて来て、自分の中にある情報を、 論理立てて述べる事が出来るようになる事は、 発達段階においてそう困った事ではないでしょうね。 問題はそれが「屁」にもならない下らない理屈だってことなんですが。 彼らが構築した論理すべてを否定する事はないんじゃないでしょうか。 結果だけを見て、それが間違っていた場合にそこまでのすべてを否定するのは、 むしろ我々が発達段階にあるものに対してすべきではない 「成果主義」のように思います。 極端な事を言えば、目的のためにはその間の手段を選ばないような考えにも つながりかねません。 彼らが構築した論理の、正しい部分、間違っている部分、 世間的な常識に合わない部分、理想論でしかない部分、 足りない部分、見落としている部分 そんなのを指摘しながら、よりよい結論にたどり着けるよう、 導いてあげたらいいと思いませんか? 屁理屈に言い返せないのは、 屁理屈の中にある、我々が見落としていた、忘れていた、諦めていた視点があるからで、 その部分を、我々もまた謙虚に認めるべきだと思います。 子供は子供なりに、純粋な視点で、 むしろ自然な観点で世の中で起こる事を見ているのかもしれないですから。 さて、この質問への答えは、 実は「屁理屈にはどう対応したらよいか」を応えるのではなく、 「子供のしつけと疎の場の楽しさをうまく融合する方法は何か」 を求められているのではないかと思います。 私の考えですが、質問の中にあったように、 子供は1人だったらそれほど厄介ではなく、群れた時に厄介な状態になり、 行事としての収拾がつかなくなるようです。 それはなぜなんでしょうか? 要するに、これはその集団の中での「匿名性」に根差す物だと思います。 家では「○○ちゃん」であっても、 子供会の行事中は「1人の子供」でしかないという安心感が悪いのです。 「ちゃんと行事に参加しましょう」と言っても、 「悪いのは僕だけじゃない」と言えば、ひとまず自分への矛先はそらせる、 そんな悪知恵がそうさせているのです。 ではこれに対応するにはどうしたらよいか?ということになります。 ちょっと見方を変えれば、この問題は、 子供に集団生活・集団行動の基本的な考え方やルールが きちんとしつけられていないことに依っていると思います。 個人の能力や素質はどうあれ、集団行動は一定のルールに基いて行われなければ、 全体の統率が取れないのです。 これはひいてはその子供が社会に出た時のための、非常に重要な訓練だと思います。 ですから、この質問に対しては、 子供の自律、あるいは親からの子供への集団行動のルールの徹底方法を 考えた方がいいでしょうね。 まあ、子供会を運営する側の方ではないようですから、 特に行事そのものをどうやって運営するか、って言う事を考える必要はないでしょう。 子供会の行事自体は、「大人のお付き合いの場」として割り切って、 (そういう側面、ありますよね) お宅のお子さんには、他のお宅のお子さんのマネだけはしないように、 「悪い見本の展覧会」でも見に行くつもりで参加されたらどうでしょうか。 もし、運営に携わる側の方でしたら、別なご意見差し上げたいと思います。
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- mujinkun
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私は好きですよ、そのくらいの子(特に男の子)の屁理屈。 みんながいるところだと、子どものくせに去勢をはるものなんですよ。 私自身が理屈っぽいので、矛盾点がすぐわかって、切り返す楽しみもあります。 怒ってしまうと、「ババア、むかつく」と思われるだけなので、サラリと「それってさぁ、こうで、こうだから変じゃん。」って指摘してやる。 それでも云々言ってくるようであれば、失笑して「お前、ガキだな~っ」って言ってやる。 他人の子にもそうやってます。 「ガキだなぁ」って冷静に言われるのは、かなりこたえると思いますので、自分でカッコ悪さを認識すると思いますよ。 思い知らせてやるのです。 だから、屁理屈も全身全霊で聞いてやり、スキのない切り返しをすることに集中する必要があります。 そう・・・そう考えると自分も相当の理屈屋にならなければいけないということですね。
お礼
本当にありがとう御座います。mujinkunサンのような方が近くにいるとどれだけ心強いでしょうか。私も何を隠そう理屈やだと思います。そうそんな心を忘れていました。自分の近くの子を相手にしているときは、そんなやり取りも楽しんでいたのに。自分と違うタイプの親御さんとかにかなりの影響を受けていたのかもしれませせん。人に責任逃れしているように聞こえてしまうかもしれませんが、私はわたしのやり方で我が子にも、またまわりの子にも接していこうと思います。あまりにもむきになっていたようです。
- HUTABA
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そういう年頃なんだと思います。 特に、人と一緒の時には「いつまでも親に管理される自分」ではなくて、本当に自分として自分の足で立とうとしているのだと思いますよ。 でも、どうすれば良いのか良くわからないから、思わず揚げ足を取ったり、変な理屈を言ってきたりするんだと思います。 もし本当にdouzoyorosikuさんが「屁理屈だ」と思われたら、どうしてそれが屁理屈だと思うのか考えてみてください。 そして、子供にも「どうして彼(彼女)がそう思うのか、そういうのか」を聞いてみてください。 子供なりにちゃんと筋を通しているつもりなら、ちゃんと答えられるはずです。 そうでなければ、ごまかしたり、「だってそうじゃん」みたいに慌てたりするはずです。 頭ごなしに「屁理屈」なんて言ったって、子供を傷つけて、余計に屁理屈を言わせるだけですよ。 ちゃんと相手の話を聞いて、その上で相手の意見を否定せずに自分の意見を伝えてください。 「大人」ならそれくらい出来て当り前ですよね? 「子供」にだって、そういう心は伝わりますよ。 子供を動かすのは、言葉ではなくて心なんです。
お礼
子どもに直接屁理屈だと言ったことはまだないのですが、回りの大人や先生から言われた事があるので屁理屈と捉えているところもあります。ああ言えばこう言うというと頃ばかり気になって私自身の考えとか、自分も明確に捕らえていないところもあるようです。なにせ、今年の六年生は・・・と言う事を聞くとどうにかして我が子を含めて、どうにか評価を上げてやりたいと思ってしまう私があるのです。 評価がどうとかよりこの子たちが何を思っているのかに興味をかえたほうがよういようですね。ありがとう御座いました。
- summer_natsu
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何を持って”屁理屈”という判断をされたのでしょうか? まだ小学生ですし、理屈と屁理屈の区別はまだないことと思います。 周りの大人がしてあげられることといえば、理屈も屁理屈もとりあえず聞いてあげることだと思います。本当に屁理屈をこねてきた時には 「そういうのは”屁理屈”っていうんだよ。」 と言って、『屁理屈』とは何かを教えてあげてみてはどうですか? >うまく彼らの素直な部分が引き出せません このように子供の一歩上にたった立場から子供たちとコミュニケーションを図ろうと思ってもうまくいかないと思います。 子供と同じ視線で、”怒る”という一方的な姿勢ではなくたまには同レベルで”けんか”が出来るくらいの立場になって一緒に遊んでみてはどうですか? こんな私が差し出がましいことを・・・・お気に障るような部分があったら申し訳ありません。。
お礼
そうです、それは屁理屈ですよと教えてあげられる余裕がなくなってしまうのです。まだ現場なれしていないというか、こちらも 声が震えてしまいそうになるのです。大人の威厳というものを振りかざしたいのですよね。周りの声が気になって、同じ大人になるところでした。同じレベルでよいのですよね。 ありがとう御座いました。
トンチンカンな回答だったらご容赦ください。 思った通りに書きます。 素直さってなんでしょうか? 小学六年生といえば、徐々にではありますが、自立心が大きくなってくる頃です。大人の思わぬようなこともするし、思わぬことをいいます。 人間はそういうふうに出来てるんです。 屁理屈なんか多くて当たり前です。社会通念をまだ学んでない割に、自立心はいっちょ前なんですから。 それを押さえつけたら、子供の心は怒った人物から離れていきます。 やっていいことといけないことの教育はまだまだ必要ですが、「物事の考え方」を教える時期はとうに過ぎてると思いますよ。
お礼
早速の回答ありがとう御座います。 そうですよね、もう物事の受け止め方もその子さまざまでもう出来上がっているのだと思います。彼らの価値観と私の価値観が単に違うだけかもしれません。 ただ、周りの大人のその子、いや私の子に対する評価に対して、不安を感じているのかもしれません。
お礼
そうです。彼らの構築した理論の中にどうにも言い返せない部分もあるのです。 大人の側もただ、おまえの態度にむかつくと言う事を言うわけにはいかないようなところもあって、屁理屈ばっかし・・なんてことになってしまうのです。 中には、おまえのしてたことを見て注意しているのに、平気でやっていないとか、僕じゃないということをいう子もいるということです。(例えばゴミを捨てておきながら)そんな子どものいる中で我が子にどう影響するのかと心配する低学年保護者も出てきている始末。高学年の母である私自身も時に感じてきた不安であります。正直言いますと、我が子をこの環境のなかで(我が子もその環境を作っている一員にもかかわらず)いかに導くべきかというところなのです。今地域で子育てとよく耳にする時代に、個々の価値観の違う保護者が育てた子どもの違いをどうにも受け入れがたい私がいるということなのです。まだまだ狭いですよねー。自分の子も外ではわからないというのに、(よくそのような親を目にします)悪い見本の展覧会とは思えないような気がするほど、私の中では切迫した問題のように思えたのです。大変参考になる回答ありがとうございました。