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延命治療とは何ですか
具体的に延命治療とは何を言うのでしょうか? 胃婁とか、気管切開とか明らかに単なる延命治療に思えますが、人工呼吸器につないだとしても意思疎通ができればそれは立派な医療のように思えます。 むしろ体は元気でも周りのことがさっぱりわからない認知症患者が意思疎通ができるとはとても言えず、10年間生きたとして意思疎通を基準にするのならそれは延命と何が違うのかわかりません。 しかし要介護5、精神障害1級の母親を在宅で介護していますが、食事は自分では取りませんし、会話も成立しませんし、便は垂れ流しです。でも、微笑みかけると笑ってくれるしテレビに幼児が出てくると可愛いと言って顔がほころぶし、やはりきちんと感情を持って生きています。 死ぬとわかっていて、あるいは短期で死ぬとわかっていて施す治療を延命治療というのでしょうか。例えば術後に意思疎通もできて、でも3日で死ぬなら延命、1年生きるのなら違うという判断でしょうか? そもそも余命3か月と言ってもすぐ亡くなる人もいれば5年生きる人も、たまに直ってしまって他の原因で死ぬ人もいます。予測される余命の長短で延命かどうかの判断なんて危険です。 延命治療をどうしますかと言われれば、それは価値の無いように聞こえるのでほとんどの人が反対だと思いますが、何が延命で何がそうでないのかが意外と難しいように思います。 また随分前から医療の現場では患者に選ばせるという事になっているそうですが、選択肢も提示せず、説明もせずにただ「どうしますか?」ばかり連呼する医師も多いです。医師が単なる延命だといったとして、それが正しいかどうかも確信も持てません。 最近でも親を漢方内科医に診せているのですが、便秘がひどく下剤をどうしますかと聞かれました。その前に便秘の原因は何ですかと、腫瘍ですか、単に腸の動きが悪いのならそれをよく漢方薬などが下剤の前段階として無いのですか、そもそも漢方というのはそういった強制措置をとる前に体質改善等のオプションを持っているところが良いのではないですか、と散々聞いたらやっとそういった漢方薬を探してきました。 何が延命で何が延命ではない治療なのか自分にも大変難しく、さらにそれを医者が説明してくれるのか、そもそも医者は理解しているのか、と考えると医者に「延命治療をどうしますか」と聞かれたときに答えようがない気がしてきました。 まずは、延命治療は何を言うのか、どのように決まっているのか教えていただけますでしょうか。
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- jj-grapa
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延命治療とは何どや、ネット検索すれば沢山の記述があります 一度そちらを検索されます様に 延命治療するか、しないかは本人が決めて置くのが一番良い事だと思います 私は、もし自分の意志を伝えられなくなった時の事を考えてエンディングノートに書いています 勿論、延命治療は必要ないと書いています、もし痛みが激しい時は寿命が縮まっても良いから鎮痛剤の投与を頼むと書きました はつきり意思の確認の取れない親となると子供達が辛い選択になると思います 延命治療と言うのは生存期間が一年以内等と云う時に問題になると思います アルツハイマー病等になり植物状態になったからと言って介護をせず放置したり食事を与えないのでは殺人と云う事になりますね 先日も報道されていましたが、33歳の娘を精神状態が悪いと17年間も裸で部屋に閉じ込め食事もまともに与えなかったとか… 殺人の容疑で取調べ中だと思います https://www.senior-anshin.com/news/medicalcare/20170104/
- TOMONARI SEIJI(@seijiadb07)
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時と場合によります。細胞を生かすがごとく命を維持しているのなら、生命維持とか言うのかも知れません。言い方が悪いですが、助かる見込み回復する見込みがなくても生命維持はできるようです。ただそれなりの費用が毎日必要です。延命治療とはやはりそういう意味ではまだ命もあり意識もあり生命活動らしく生きているのだと思います。しかしながら、やがてはどうなるかは分かりません。悪い方に考えるだけ疲れるだけですが、それなりに準備や心づもりがいります。どうか、毎日を健やかに過ごしましょう。。
お礼
ご回答ありがとうございます。細胞を生かすがごとく命を維持しているのは時と場合によらず延命治療という気がしますが違うのでしょうか。 助かる見込みがないのに生命維持をするのが延命というにしても、5年や10年延ばせるのなら延命というのは少しおかしい気がします。 多額の費用が必要だから延命だというのなら、オブジーボなんか延命治療以外の何物でもありません。でもあれば治療薬のはずです。 無理な延命をしても本人を苦しめるだけだという場合ももちろんありますが、食事は自分では取らない、会話も成立しない、便は垂れ流しの人を介助して何年も生き永らえさせるのは何なんでしょうね。 もちろん毎日を健やかに過ごしたいわけですけどね。
- meido2010
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分からない人ですね。 延命治療とは余命一カ月を一年に延ばすための治療です。 それ以外はありません。 それには抗ガン剤をはじめとするその他の高額な薬剤が必要です。 と言っているのです。日本国中でその治療を受けたい人はたくさん います。 その高額な治療費を負担してまでも、あなたの親に生きてほしい ですか。と言っているのです。 いいですか、高額な医療と言うのは誰でも受けられるわけでは ありません。また、命の時間が延びる可能性のある人だけが 受けられる権利があります。 それ以外の人は患者や患者の身内が望んでも受けられることはない です。 あなたが、どんなに頑張っても現実は変えられないです。 少し、反省しましょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。 明らかに延命治療であるものを上げてそれを延命治療だという事は誰でもできます。質問の趣旨は延命治療とそうでないものの線引きですのでご理解の上でのご回答をお願いします。
何らかの治療行為を行わなければ死に至る はずのもの を、生きながらえさせるための治療。 日本医師会医事法関係検討委員会は、平成16年3月 延命処置とは 生命維持処置を施すことによって それをしない場合には短期間で死亡することが必至の状態を防ぎ 生命の延長を図る処置・治療のことをいう と判断。
お礼
ご回答ありがとうございます。抽象的に表現することは簡単なのですが、具体的にはなかなか難しいですね。もうちょっと具体的な定義はないのものでしょうか。このような短い定義だけで規定するのは難しいと思いますが。 例えば肺の機能が失われて酸素ボンベを引いて生活している人がいます。酸素ボンベを取り上げれば数分で呼吸困難で死に至ると思いますが、ボンベを持ち歩けばかなりの期間通常と同じように歩いて活動して生活ができます。これを延命治療とはよばないように思います。 人工透析も同じことで、何年も生きて意思表示どころかそれなりに文化的な活動ができます。
- bekky1
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【食事は自分では取りませんし、】 日本での介護?のあり方もあるのでしょう。 オランダの施設などでは、敢えて、介護者が食べさせることはしないそうです。 つまり、皆の前に食事を置いて、時間が来ても、食べない人(食べるという動作が出来ないわけでなはい)は、食べる意志がないということで、 そのままさげてしまうそうです。 結局、食べさせない・・・になります。 段階的に’初期胃瘻’をしないようなもの? 本人に意志がなくても、口に運ぶぐらいは日本では普通にやりますが、 嚥下機能との相談ですから、誤嚥の間違いは起こりやすい。 食べられない、食べる意志がない、嚥下機能がない→胃瘻ということですけど、 その前に食べさせない(口へは運ばない)がオランダ並にあるなら、 栄養補給そのものが自立して出来ないなら、延命そのものだということも最初の一歩です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 最近まで考えませんでしたが、介護が延命治療とどう違うんだろうと考えてしまいました。いや、介護は治療ではそもそもないのですが、でも延命治療という枠組みで考えると食事介助と人工呼吸器との差が全くわかりません。仰る例示のとおりです。 ご回答の例を見てもやはり延命治療とは何を言うのかがまず難しいというのがよくわかります。何を延命治療というのかを明確にしないと世間で話が通じないように思います。
- meido2010
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この質問には「延命治療の是非」を問う質問者の意見しかありません。 ご身内のことでしょう。 しかもご自分を育てていただいた親でしょう。 その親が苦しんだり、弱ったりすれば悲しむのは質問者であるあなた だと思いますが、どこにもそれは書いてありません。 しかも、理屈を言って医師を困らせる意図しかない物言いが書いて あります。 あなたはご自分の親をどうしたいのですか?。 親が苦しんでも生かさせてほしい。と望んでいるのか?。 それとも楽に天寿を全うしてくれるのを望んでいるのか?。 医師はそれを聞きたいのだと思います。 残酷なようですが、人間が生死の境にいるときはその判断は身内に 託されます。あなたの判断です。他人には踏み込めません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 延命治療の是非を問うていると思われるのならば全くの的外れで、是非を問う前に「何を延命治療と呼んでいるのか」を教えて頂ければ幸いです。「何を延命治療と呼んでいるのか」がはっきりしないと、是非を考える事すらできません。その状態で是非を問うことができると考えている時点で何もわかっていないという事です。 >あなたはご自分の親をどうしたいのですか?。 > 親が苦しんでも生かさせてほしい。と望んでいるのか?。 >それとも楽に天寿を全うしてくれるのを望んでいるのか?。 これら完全な問題のすり替えです。「医師がすべき医療の技術的な説明」の問題を「人生の選択」の問題にすり替えています。このような医師がいれば終末期の医療にはかかわるべきではない、いや治療方法を患者に選ばせてくれないという意味では全ての臨床にかかわるべきではないでしょう。研究医に向いているかもしれません。 まず人生をどう終わらせるかは患者側が考えることです。苦しんでもなお子供を見守りたい親もいれば、生きる意味など見いだせない人もいます。医師が口を出すなとまでは言いませんが、そこは医師の主戦場ではありません。医師は牧師ではないのです。 一方、どのような治療のオプションがあるのかを考えて説明するのは技術者としての医師の主要な仕事です。しかしここは患者も口を出す権利があります。だから患者に説明せずに「どのように生きたいのかだけ言え、技術的なことはこちらで考えるから」というのでは医師の勤めを果たしていません。「依らしむべし、知らしむべからず」というのは役人的考え方ですが、医師は役人でもありません。 昨今は説明しない医者が多いように思いますが、それは説明をさぼっている可能性、そもそもわかっていない可能性の両方があり、そのような医者に当たったところで是非を考える事すらかないません。 この質問は自分の親をどうしようというよりも、医療保険の財政悪化に直面して無駄な延命治療を減らすために何が延命で何がそうではないのかを明らかにするための問いです。それが医師を困らせる厄介な質問に見えるとしたら、それは鏡に映った自分の姿だと言えるでしょう。 もちろん医師の中で優れた人もいて、そういう人は技術的に自分のわかることはきちんと答え、わからないことはわからないとはっきり言う。そしてわからない事について言い訳もしないし、技術的な回答をめんどくさがって人生問題にすり替えもしない。 一方、浅はかな医師は言い訳やすり替えを日々繰り返します。自分の限度を超えた質問が来ると一杯一杯になって逆切れ的に言い訳すり替えに走る。経験的には学校秀才タイプに多いようで、自分は優秀だと思い込んでいて謙虚さがなく、自分がわからない事に出会うという事に慣れていないせいかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。ネットで検索してもロクなものがありません。 寿命を1年以上伸ばせない治療が延命治療であるというのは、当てはまる場合もあるしそうでない場合もあるように思います。その定義で延命治療を保険適用外にしたら大問題になるのではないかと思います。