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レポートの書き方の違い
清水幾多郎さんは1959年3月に刊行した『論文の書き方』(岩波新書)に 大学1~2年生と、3~4年生とではレポートの書き方に 明確な違いがあると書いていますが、現在の状況はどうなのでしょうか。 清水さんは1~2年生は自分の経験をダラダラと記述し、3~4年生になると自分の経験の具体的な記述が減って抽象的な言葉が目立って増えてくる、という主旨のことを述べられています。
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大学にもよるのでしょうが、文章力の低下には、多くの大学が泣かされています。FDが流行していますが、その中で、学生の学力低下の一つとして、レポートが書けない、だから、文章力をつける科目を開きましょうという大学もあるくらいです(多くの大学は、そんな努力はしない。ぼやくだけ)。 上級生になったからといって、解決されたようには思えません。レポートを書いても、文章を添削して返却するわれけではないので、どこが不適切なのか知る機会がないでしょう。ですから、学生がどこが悪いのか、判断・理解できません。 添削ではなく、全文改正したら、というのは、よく読まされますが。世間にだせるのは、1割あるかどうか。 学生は、一般的に、本を読まないのだから、・・・というボヤキを書かせてもらって(苦笑)。 私は、「一行目に、結論を書け」とだけは指導しています。後は、その 結論の根拠だけを書けば良いからです。
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- Eivis
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#4ですが、「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」とも云いますのでお節介のようですが。。。 >流石、ユーモアのセンスもおありで辟易させませんね。 『・・・辟易させませんね。』という言い方はありません、素直に「・・・退屈させませんね。」でいいのです。 [辟易・へきえき]の意味は『(1)閉口すること。うんざりすること。 (2)相手の勢いに押され尻込みをすること。』です。 もし私の文章に「ウンザリした」という意味で使う場合は・・・ 『・・・ユーモアのセンスもおありですが、いささか「辟易」いたしました』、『辟易気味です』と言うような言葉の使い方になり clementia さんは、少し意味を取り違えて覚えておられると思います。 (Gooなどの三省堂:大辞林などでご確認ください) http://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/jp-top.cgi
お礼
ありがとうございます。 座布団の下にいれて昼寝の枕にしている新村博士の『広辞苑』があるのですが、辟易の語法について一度も検索したことはありませんでした。30年以上使って参りましたのでどこかで失笑をかっていたことになりますね。 Eivisさんの「蔓延ってしまった」という言葉が脳髄に刻みつけられていましたので『滅びてしまう日本について』のご回答でハッとしました。 今後とも宜しく、お願い申し上げます。
- Eivis
- ベストアンサー率29% (1122/3749)
状況はほとんど変っていないと思います。 >清水幾多郎さんは1959年3月に刊行した『論文の書き方』(岩波新書) 私が大学を出た翌年の出版ですから、残念ながら読んでいません(爆)! その頃は新制大学が出来た直後で、各県毎の国立大などが[駅弁大学]などと揶揄されていた時代で、旧制高校の頃の学生より 本も読まず、旧制中学レベルの大学生と云われた時代だからこそ『論文の書き方』のような本を書く気になったのだと思います。 >明確な違いがあると書いていますが、現在の状況はどうなのでしょうか。 [OKWeb]の書き込みを見てもお判りの通り、小学生の日記のように初めから順に逐一書き重ね、句読点、段落などメリハリもなく ダラダラ書いてあるのが多く見られる状況からして、今日でも似たようなものだと思います。 かく云う私自身もこのようにダラダラと書いていますが、何の事はない、私が云いたいのは一行目の次の文章だけなんです。 *『状況はほとんど変っていないと思います。』 論文の専門家ではありませんが、自分が書くとすれば[主文]があって、[肉付け]していく方が書きやすく判りやすいでしょう。 逆な言い方をすれば300ページの学術論文も、論文発表の時には10枚程度の読み原稿にしたり、学術誌の掲載時には 3枚程度の梗概でアウトラインを説明出来なければ良い論文とは云えないのです。
お礼
ありがとうございます。 実践的な「論文を書くコツ」をご披瀝いただきました。 流石、ユーモアのセンスもおありで辟易させませんね。 たとえば、このサイトでも、 書き手は当然、明確にわかっているのだろうけれど、こちらには伝わらないという文章をケッコウ見かけます。それは、材料を整理しないでイキナリ書き始めるところに弊害がありそうですが、自分でも注意したいと思います。
- mayuclub
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初めまして、大学院生です。 そうですね…これは私見ですが 1,2年生ならば、まだ論理的な論の展開がうまく出来ない気がします。 AとBがまったく接点のないものだとすると それをむりやりくっつけようとするような論などを書いてしまいそうです。 3,4年生の方が論理的な展開ができていると思います。 一番の違いは書き方を知らないんですよね。1,2年生は… レポート等を書く機会が増えると、だんだん書き方がわかってきますから 場数を踏むことや人の論を読むことで変わってくると思います。 特に4年生は卒論前にさまざまな先行論文を読んだりすると思います。 その作業で論文とはどんなものなのか??がだんだんわかってくるのではないかなって思います。 私自身、1,2年の頃は模倣のような感じで、とりあえず出さなければいけないという義務感だけでしたが、だんだんコツがつかめてきて、どうしてこういったことを聞かれているのかがわかるようになりました。 清水さんの時代と今とではまた異なるので (本を読む学生が減ったなど)当時とは異なると思います。 私も大学時代にその本を読みました。 私見ですが、こんな感じです。
お礼
ありがとうございます。 体験をベースにした大学院生のご回答ということで極めて明解に認識できました。
- belete0306
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こんばんは。大学4年生を経て別の大学1年生になったものです。 その本を読んだことはないのですが、周りを見ていると一理あるような気も! やはり「枚数をこなす」ということもあるでしょうね。「慣れ」といいますか。枚数をこなす=それだけ文献も読むということになりますし。 以前の大学ではレポート必須科目でC判定だったりしましたが今の大学ではA判定を取れたりしました。 あくまで私自身の話ですが・・・。ご参考までに!!
お礼
ありがとうございます。 現在も版を重ねている名著とはいえ古い時代の本のことですので、ご回答があるかなぁと思っての質問でした。
お礼
ありがとうございます。 【「一行目に、結論を書け」とだけ】は、いいですね。ビジネス文書以外にも応用が効きます。 ムカ~シ、直属ではないのですが上司に「自分は文章がうまい」と自負している人がいて、全文読まないと/読んでも判然としない回覧文をだしてくる 「皆さん忙しいんだから最初に結論を書いてくれ!」とクレームを付けたことがあります。 勿論、例外はあるでしょうが、 一節では、作家(小説家)・詩人・俳人・歌人・学者の順に文章がうまいそうです。巷の文章教室ではそういう人ではなくて新聞屋さんが講師になっています。大学では誰が講師に適しているでしょうか。新聞の投書なども良さそうです。