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昔の片町線の運行状況

昭和23年3月号の時刻表の中で、四条畷から木津までの運行時刻について 以前からどうしても分からないことがあります。 23.2.11現行  3等車          (405) (407) (477) (415) (417)  木津    發 0628 0737 1042 1440 1720  祝園    〃 0635 0744 1110 1449 1729  田邊    〃 0645 0754 1140 1500 1740  長尾    〃 0655 0804 1206 1512 1752  津田    〃 0700 0809 1238 1517 1758  河内磐船 〃 0706 0815   ∥   1523 1804   星田    〃 0712 0821 1306 1529 1809  四條畷   着 0718 0827 1314 1537 1817          (406) (410) (474) (416) (418)  四條畷   發 0735 1000 1200 1550 1828  星田    〃 0744 1010 1222 1600 1839  河内磐船 〃 0748 1015   レ   1605 1844   津田    〃 0757 1026 1252 1616 1854  長尾    〃 0804 1032 1305 1622 1900  田邊    〃 0814 1042 1324 1634 1910  祝園    〃 0823 1054 1342 1646 1922  木津    着 0831 1103 1353 1655 1931               (日本交通公社 昭和23年3月1日発行より) (備考) イ、当区間全駅掲載と思われます。 ロ、( )内は列車番号です。 ハ、(477)の河内磐船の欄は「レ」の誤り(印刷ミス)と思われます。 私が疑問に思い、また、知りたいのは、 1、(477)(474)便が、他の便に比べ、なぜこれだけ時間がかかるのか。   列車のすれ違いによるものとしても、時間がかかりすぎています。 2、1、の便において、なぜ河内磐船だけ通過しているのか。 3、当時の片町線の運行環境はどうであったのか。(車種、駅の状況など)   私の帰省先の最寄の駅が、河内磐船なので、ずっと気にかかっておりました。 ご存知のものがあれば一つだけでもよろしいので、御高配を賜りたいと存じます。

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  • ultraCS
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回答No.4

推測でしかありませんが 私は混合列車説を採ります。 Wikiによると、河内磐船は1979年に複線化されるまでは一面ホームの無人駅ですから、貨物扱いはあり得ません。ですから通過なのでしょう。 駅間の所要時間がどこも他列車に比べて大幅に長いので蒸気牽引と気動車列車(あったとしても、当時は機械式で機関出力も小さく高速運転は困難)の速度差だけではあり得ません。それぞれの停車駅で貨車の解結を行ったのだと思います(当日、扱いが無かったとしてもその時間だけは停車)。 時刻表では、途中駅は発車時刻、終着は到着時刻で、祝園→木津、星田→四条畷の所用は他列車と余り違わないですね。それでも掛かってますが、これは旅客列車と混合列車で列車重量や制限速度が違うなどの理由かと思います。当時の貨車は懸架装置が現在のような二段リンク式ではないため、高速運転には適していませんでした。

XZ-120
質問者

お礼

Wiki私も読ませていただきました。河内磐船駅は当時は新参者?で片町線有数の ローカル駅だったのかもしれませんね。 それでも京阪神磐船駅との接続駅だったというのはびっくりでした。 それぞれの停車駅で貨車の解結もしくは荷物の積み下ろしを行っていたから 発車時間が大幅に遅れているというのはうなずけます。 詳しい回答ありがとうございました。

その他の回答 (4)

  • hama4
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回答No.5

あまりに古い話なので、憶測でしかありませんが・・・ 474,477の2列車の列車番号の10の台が7ですね。 昔の国鉄では、列車番号の10の台が0-4が旅客列車、5-9が貨物列車、というきまりがあったようです。 したがって、No3さんが言われてますように、この2列車が貨車を連結した混合列車という可能性が高いですね。 20-30年前、いやもっと前かもしれませんが、山陰本線の浜田だったか益田だったかあたりに、長距離の貨物列車の一部区間で客車を連結して、混合列車として走っていたという話を聞いたことがあります。

XZ-120
質問者

お礼

列車番号の10の台が7...そこには全く気づきませんでした。(というか全く知りませんでした...) この時刻表当時はまだ国鉄が発足する直前で、当時の運輸省が運営をしていたようです。 「列車番号の10の台が~」の決まりは当時からあって国鉄が引き継いだ可能性もあります。 余談ですが、時刻表の山陰線のページを見ると、現在の「長門市駅」が「正明市駅」 と表記されています。これも意外な発見でした。 鋭い視点からの回答ありがとうございました。

  • ceeda34
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回答No.3

もっと詳しい人がいると思いますが、私なりの推測を。 当時は四条畷までが電化されています。 記録では昭和25年、四条畷-長尾電化時に非電化区間は気動車になったとありますが、本当かは分かりません。 となると考え方は下記の2通りなります。 可能性(1):この477と474列車だけが蒸気機関車牽引の客車列車だった。 ⇒残りは気動車だが、この2列車だけは運用の都合上蒸気機関車だった。 速度が遅いので河内蟹船を通過してなんとかダイヤを合わせようとした。 可能性(2):全列車蒸気機関車牽引列車だが、この474、477列車だけは客貨混合列車だった。 ⇒混合列車が走っていたことは本当みたいです。 となると貨車のスピードに合わせるので遅かったとい考え方があります。 列車番号に気動車にDをつける習慣が、当時あったかどうかは分かりませんが、全部数字だけですので、機関車牽引列車である可能性が高いので、(2)の方がありえるかもしれません。

XZ-120
質問者

お礼

> 列車番号に気動車にDをつける習慣が、当時あったかどうかは分かりませんが この時刻表全体を見る限り、列車番号にアルファベットを付けて表記しているものは 見当たりませんでした。(臨時列車は8000番台になってはいますが...) 「客貨混合列車」は私は全く思いつきませんでした。私も(2)がありえるかなと思います。 貴重な回答ありがとうございました。

  • t-rac
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回答No.2

読む前に...これは推測ですが、 (477)と(474)便だけSLじゃないんでしょうか? SLって気動車に比べると発車ってイライラするほど遅いですよね。だからじゃないですか それに、私の家の裏を走っているローカル線も以前は気動車が「各駅停車」的な存在で、SLが「快速」的な存在でした。(乗降客の少ない駅は通過していたようです) それに、快速的な存在のSLの方が所要時間が長くなっていたような気が...

XZ-120
質問者

お礼

SL~いいですよね。 本当にSLが牽引してたらその光景を見てみたかったです。 確かにSLは運転操作も煩雑そうだし発車停車の小回り?も 比較的利きそうにないので各駅停車だとつらいですよね。 興味深い回答ありがとうございました。

noname#64531
noname#64531
回答No.1

何故でしょうね。 当時は四条畷片町間が電化区間で、それ以遠は気動車か汽車だったとおもわれます。 四条畷長尾間が電化されるのは2年後です。 木津1042発は下り2本と待ち合わせしてるようです。 途中運転手さんのお昼してたんでしょうか。 電化工事の影響、もしくは貨物列車との調整の可能性もあります。 以上推測でした。

XZ-120
質問者

お礼

電化工事の影響、充分考えられますよね。 私はこの時刻表を眺めるたび「木津1042発」に乗って旅したいなぁと つくづく思います。当時は今以上にのどかな田園風景だったでしょうし。 素早い回答ありがとうございました。