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充実感がない
特に生活に困ってるわけでもなく、 彼女もいるし、仕事は順調すぎるくらいで報酬は十分すぎるくらい貰ってて、好きなものをすぐに買えるほどにお金をあるし、時間もそれなりに余ってて、何不自由ない生活を送ってるのですが、なぜか充実感が感じられないんです。 学生の頃、必死に勉強してバイトして生活するのに精一杯だった頃が一番充実してた気がします。 かといって今の生活が嫌だということはないですが、今の生活を続けててもいいのかという危機感に襲われます。 そういうことってないですか?
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なんだかわかるな! 今の生活がどうというより、純粋に学生時代の”バイト塗れの生活”が楽しかったって気持ち! 私も学校行ってる以外は殆どバイトばっかりしてました(笑) しかも、通学定期を浮かせるためにバイト先を考慮したり、バイトを掛け持ちしたり、休日なのに電車に乗ってバイトに行ったり・・・。 バイトばっかりしてたから、必然的に学業は電車に乗ってる寸暇を惜しんで・・・なんて感じで(笑) 社会勉強もいっぱいできました。 楽しかったなぁ!今でもそう思います。 なんでなんでしょうね。 余計なコト考える時間もなかったからかな? 一生懸命だったからかな? きれいな思い出だからかな? 純粋でまっすぐだったからかな? 今の私は、心から充実できるものを探しているところです。 やっかいなことに、中途半端じゃダメな性格みたいです。 他を忘れるぐらい、集中できるものに出会ってみたい。 だから余計に、探すのに時間がかかるみたいです。 自分に正直に探してきた結果、段々、自分のことがわかってきて、 もうすぐ打ち込めるものにたどり着けそうです。 あの頃には戻れないけど、あの頃の気持ちをいつまでもひっさげて、 いつまでも自分らしくやれたらいいなぁって思ってます!
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何となく分かる気がします。 時間もお金もないときは、時間やお金のある生活が良く見えて、そういうものを目指していたのに、いざ時間やお金が手に入ると思ってたような満足感が得られない、ということでは? 私は質問者さんほどではないですが似たような状況です。お金と時間がなくて必死だった状況から一転、専業主婦でそれなりに時間もお金もある状態になったら、何か心が空っぽになった気分で。 多分暇だからなんだと思います。あと欲がないのかな?欲しいと思ったものは大体手に入った(入る)ので…。 かといって時間やお金がない生活に戻るのは嫌なので、私はなるべく毎日忙しくなるようにし、今までは「ちょっと普通に考えたら無理でしょう」とあきらめていたものを手にしようと思い直しました。 趣味を作るとかそういうことじゃなくて_(余暇をどうにかするレベルじゃなくて)、もっと「しなきゃいけないこと」レベルのものと言うか。会社経営をされてるようですが、もう一つ事業を始めてみるとかそういうのでもいいんじゃないでしょうか。 住宅ローンの返済が終わってるなら、別荘を建てるとか、島を買うとか。何かしら、もっと大きな目標に向かったらいいんじゃないでしょうか。上には上がいますから、それを目指せばいいかと。 私もそこそこ幸せな主婦をしていますが、上には上がいるのでそれを目標にしよう!と思ったら、割と充実した毎日が過ごせるようになった気がします。理想や夢があると違いますね。 高い理想とそれに向かう努力が充実感に繋がるんじゃないでしょうか。 私も何度となく「主婦のささやかな幸せ」を感じようと努力しましたが、無理なものは無理でした。 刺激を求めるタイプなのかもしれません。刺激は慣れていきますから、追い求めると怖い気がしますけど、本質的なものなのかなかなか変わることは難しそうですね。 たまに日常から離れることも大事かもしれません。私はあまり出来てないですけど、たまにそういう非日常が欲しくなりますから…。
- sousetsu
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結婚 子供でしょう。 子育ては自分を見直すとてもすごい経験だと言います。 有り余ってるエネルギーを 愛する人たちに注ぐのです。 一度そのエネルギーを使い出すと 湧き出る湖のごとく かれはてることは無いと言います。 それが充実感となるのではないでしょうか?
- morizou___
- ベストアンサー率20% (67/323)
何でしょう??マイナスを知ってるからこそ、プラスが続くのが信じられないというか…。 どこかで「今幸せなんだなぁ」と感じてるのに、穏やかに時間が過ぎることが不安…てことはありました。 今はもうあんまり考えないですけど。 人間ってきっと欲張りで、一つの目標が達成したらもう普通になってしまって「今以上」を常に求めたくなるものかもしれませんね。 そして生きることすらに必死な時というのは、そんなことに気づく暇も時間もなかったんだなぁってよく思います。 私が「今以上」を必要以上に求めなくなったのは、ある程度のそれが自分なのかなってあきらめと自己満足かもです。 激しい充実感はなくても、やっぱり今は穏やかなんだなぁってそれで十分になりました。
- bs1224
- ベストアンサー率30% (11/36)
ごめんなさい。2回目です。 私は自分のしていることが偽善だと自覚していますから、偽善と言われてもなんとも思いません。 そもそも私はその偽善を自己満足のためにしているのであって、他人の感情や賛否などは関係ないのです。あくまで心のヒマつぶしですから。 >自己満足的な充実感には嫌悪感を それと私は自己満足的でない充実感などありえないと思います。 あ、カッとなって反論しに戻ってきたわけじゃないんですよ。 私は真剣に「質問者さんが充実感を得るためのヒントがどこかにないか」と考えているだけです。私自身のためでもあるので誤解しないでください。 >今のこの生ぬるい環境をすべて捨てて抜け出すのも怖いんです そうですね。私も恐いです。そんな勇気がないというか、充実感がないと言いながらも何か新しい行動を起こすのが面倒だと思っている自分もいます。 「うまくいかないかも知れないし、途中で飽きてしまうかも知れない」そういう諦めや虚しさも「充実感がない」に繋がっている気もします。 切羽詰っているときは必死だったのに、後になってその時が「1番生きてる感がした」なんて不思議ですね。もしそれが充実感を得る方法だとしたら、そんな状態が死ぬまでずっと続くのは精神的に良くない気がします。 そこに目標があるなら別ですが、貴方のように自分が望むものを満たしてしまったあとは…これは成功者のジレンマですかね。 まずは何か目標が必要だと思います。自分のためか身近な人のために。赤の他人だと偽善になりますから。(決して皮肉じゃありません。) 私の中ではまだまだ答えや解決策は出そうにありませんが、考えさせられる質問をありがとうございました。
- eienn
- ベストアンサー率16% (77/462)
農業、伝統工業、音楽。など。 創造的活動と、二次集団からの独立。 これが、虚しさを脱却するキーワードです。 WWOOFなどどうですかね。
- Rahiri
- ベストアンサー率21% (32/151)
生きるのに必死だった頃は、苦しい中でも全力で生きるという充実感があったのだろうと思います。 今は、お金も時間も自由になって 生きることそのものには全力を注ぐ必要が全く無くなってしまったということですよね 。。。。 で、もしよろしかったら ちょっとだけ考えてみて下さい。 『最も充実出来る生き方というのは、自分ではなく他人が幸せになるお手伝いをすることである。』という言葉があります。 たとえば以下のサイトの阿部敏郎さんのような生き方が もしかしたらあなたを最高に輝かせるのかも知れません。 http://orionza.ti-da.net/
- precog
- ベストアンサー率22% (966/4314)
>実は、家も既に購入しローンはすべて返済済みです。 >仕事も、会社を興してそれなりの地位にいるつもりですが、そんなに苦労がないんです。。。 >本当に順調すぎて怖いくらいです。 おぉそうですか。であれば後は倒産を経験するのみですかね? ちなみに何でそんなに稼げたのでしょう? 運なら幸運に感謝しておとなしくしているか、実力ならこれをスタートと地点と捉えてさらなる挑戦をしていくか決断のときですね。 経営者としての実力があるなら、迷わず世界市場に挑戦して欲しいと思います。
- dqpq05
- ベストアンサー率33% (361/1089)
>でも、そういう自己満足的な充実感に嫌悪感を感じます。 この一文に非常に好印象を持ってしまいました。 こういうことをはっきりとおっしゃる方は素敵だと思います。 スポーツでも始めてみてはどうですか? スポーツでなくても、何十年も取り組めるようなやつを。 スポーツでも音楽でも絵画でも陶芸でも、余裕がある人にしか踏み込むことの出来ない領域ってありますからね。徹底的に打ち込めばよいと思います。 真面目な話、生きていくことにプラスになることは間違いないです。 (けれども、余裕のある人にしか出来ない。) 以下、蛇足です。 ロードバイクなんてどうですか(^^; http://www.trekbikes.co.jp/madone/madone_line_up/ http://www.cannondale.co.jp/index.html
お礼
スポーツですか。確かに今はやらないです。 絵画と書道は老後の楽しみしようととっておいたのですが、これから初めてみようと思います。
- kokkochann
- ベストアンサー率17% (70/400)
わかります 貴方の質問を読んで 20代前半のころを思い出しました お金なくて 何とか食費減らそうと、方々歩きまわり、一個25円の袋ラーメンや 小麦粉買ってうどん作ったり、栄養的に良くなかったけど お金のこといろいろ考えて工夫して、何とか貧乏乗り越えようとしていたあの日々・・・・ だから、美味しいものは、心底美味しいと感じたし、楽しい日は、すごくわくわくして、きらきらしてました。 今は、あのころに比べれば、毎日が、お祭りかお正月のような贅沢な生活・・・ 何であのころが楽しかったかなと考えると、 お金がないから、お金をあまり使わないようにして 頭を使って、工夫してたということでしょうか 昔のようには行かないけど もう一度、工夫する生活、したら 喜びも、増えるかな そう思います 私も、充実感がなぜないのか、最近考えていました 何か、昔を思い出して、そういうことだったのかもしれないという気持ちになってます。 ありがとうございました
お礼
共感してもらえてうれしいです。 まさにそんな感じです。
- yuki0148
- ベストアンサー率26% (26/97)
質問者さんほど豊かな生活水準ではないですけど、なんとなくわかります おそらく幸せを含めて、感情の沸点のようなものが鈍っているのではないでしょうか? そういうときこそ、改めて日常のささいな幸せに目を向けてみたらどうでしょう? 職場に行くルートをちょっと変えてみるとか、一駅分歩いてみるとかして 「こんなお店があったんだ」とか嬉しいことや発見があったら素直によろこんで 意外とよくなかったら「普段の道使っててよかった~」といつもの自分に喜んでみるとか >でも、そういう自己満足的な充実感に嫌悪感を感じます。 前の回答でこう答えていらっしゃいましたが、あえていまやってみてはどうでしょう? 前まではそうだったけど、今度はそう思わなくなっているかもしれません 「やらない善よりやる偽善」 私は偽善であっても人に喜んでもらえるならいいかなーと言う考えなので こちらはムリには薦めませんが、冒険して刺激を受ける前に 自分の凝り固まっている感情の波をほぐしたり、敏感にしてみてはどうでしょう
お礼
回答ありがとうございます。 毎日を楽しく過ごそうという努力はしてますし、日々を過ごすことは楽しいんです。 彼女と公園に出かけたり、最近は紅葉にも色々でかけました。 家にクリスマスツリーを飾ったり、そういうことをしてることは楽しいです。 でも、充実感が得られないんです。 どうやってこの気持ちを伝えたらいいか分かりませんが、その時には感じなかった精一杯生活してた頃の「生きてる感」が今は何をしても感じられないんです。
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お礼
そうですね。倒産すればまたあの時の生きてる感が戻ってくるでしょうか。 そんなに稼いでいる気持ちはないですが、今の地位になったのは完全に運でしょう。 何もしないで流されてるうちにこのようになってしまいました。 これを言うと生意気だと思われるかもしれませんが、お金なんてどうでもいいんです。 かといって、今のこの生ぬるい環境をすべて捨てて抜け出すのも怖いんです。。。