- 締切済み
プライドってなんだろう
仕事で屈辱的なこと、言い返せなくて悔しかったこと、失敗したことなど、社会人ならプライドが傷つくことって多いと思います。 私の上司は「プライドなんかいらないんだよ!」とよく言います。 どうなんでしょう? 社会人にとってプライドって何なんでしょうか?必要ないものでしょうか? プライドがあるから逃げ出さず踏ん張れる時もあり、プライドのおかげで他者の助言に耳が貸せなかったり。 謙虚とプライドは相反するものでしょうか? 今の自分の中では「無くしてはいけない気がするが、とりあえずあると足を引っ張ることがあるモノ」という認識です。 ご意見を聞かせてください。
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
みんなの回答
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
連続投稿ですいません。 他の方々への回答に書いてあったことに対してちょっと思ったことがあったので。 まずプライドを状況に応じて使い分けることなどありえないです。 自分のプライドと仕事のプライドが相反するものなら、その仕事についちゃいけないんです。 >サービス業なもので無私を求められることって多いです。お客様に頭を下げる、果ては土下座をする。それをスムーズに行うことを妨げるプライドなんかはいらないんだ、という含みもあると思いますが、その調子でどんどん自分のプライドを殺していくと、うまくいえませんが必要なプライドまでいつしか殺してしまうような、そんな不安感があります。 サービス業にプライドがあるなら、大事なのはそのサービスを受けに来るお客様で、そのお客様にiamhappyさんや同僚が何か気分を害するようなことをしてしまったのなら、 プライドを持って、お客様の気分を元に戻すために頭を下げます。 必要なら、プライドを持って土下座します。 もしiamhappyさんが土下座をするなんて自分のプライドが穢されると思うのなら、 他人のミスのために自分が謝る可能性のある職業につかず、自分も決してミスをしないことです。 >たとえば、仕事で失敗して閑職にまわされてどん底だったら?人としてのプライド・男としてのプライドはずたずたですよね。 自分のミスが原因なら自分の責任です。自分がミスしないようにより精進してレベルアップして今後そのようなことのないように自分を高めるだけです。 プライドがいけないのでなく至らない自分が悪いのです。 ただプライドが有るから自分はまだまだ駄目だから自分をさらに高めないといけないと思うのです。 どん底にいるときにこそプライドを持っているもの持っていないものの差が出るのです。 ただ、今の組織では自分がレベルアップしたとしても、 一度の取り返しのつかないミスによって二度と浮上が出来ないような状況なら今の組織から出て行くことも問題では無いです。 自分を高め、浮上する努力をしても過去のミスで浮上できなかったときの話ですけど。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
Ano.5です。 書き方が悪かったですね。 本来のプライド意味は「誇り・自負心、・自尊心」で「見栄・虚栄心」って意味は無いんです。 見栄や虚栄心はdisplayって単語ですね。 ただ、多くの人が誇りをわかってなく、虚栄心や見栄が誇りと勘違いしています。 またはわざと混合して自分の見栄や虚栄心を隠すためにプライドという言葉を使っているために、 プライドという言葉そのものがおかしくおなってしまっています。 >誇りなんて命令されて持つものじゃないと思うんですが。 おっしゃるとおりで言われて持つものとは違います。 しかし上司の方がおっしゃった >閑職に回されたとき、上司は「誇りを持って前向きに仕事をしろ」とのたまわれました。 は、閑職とはいえ今の時代の会社である部署というのはよほど素晴らしい会社以外なくては困る部署です。 閑職と言っても目立たない、回りから誉められることの少ない裏方だけども必要な部署です。 そういう、他人から誉められたり尊敬されることの無い部署でも自分の仕事がないと会社が回らない、 日陰でも必要な部署なんだという気持ちを持ってた部署の人間に劣等感を持たず胸を張って仕事をしろという意味です。 そしてこういう他人に理解されることとか誉められることを前提としない、自分自身がわかっていれば良い大事な部分が誇りです。 他人の目を良い意味で気にせず、自分の信じた道を突き進む信念です。 そういうものがあれば、その道を突き進むにわからないことが有れば素直にわからないことを聞けるし、 泥まみれになり他人から馬鹿にされようがそんな他人の目は気にせずにそのことをやっていけます。 かっこ悪いとか恥ずかしいとかで動くのでなく、自分の内に有る信念で行動するためのものです。 プライドとは他人がどうこうできるものでないのです。 >自分はいま、男としてのプライド・人としてのプライドはずたぼろになっています。 きついことを言いますが、本当にプライド(誇り)がズタボロになっているのならそれは自分の責任です。 自分が自分の誇りを傷つけるような行動をとらない限りプライドは傷つかないからです。 他人によって傷つけられるものは見栄や虚栄心、世間体などです。 他人がどう思おうが、他人が何を言っても傷つくことのない本当の誇りを見につけ、 その誇りに対してそむくことのないように自分が考え行動をしていけば、 決して自分の誇りはズタボロになどならずにどんな境遇になろうが耐え、また浮上するような行動が出来ますよ。
- Acekiller
- ベストアンサー率35% (70/196)
ANo.3の者です。 なんか書き方が悪かったですね。 プライドは局面局面で使い分けたりするもんではないと、私も思います。 そして、やっぱりプライドは必要だと思います。 でもどこにプライドを懸けるかは、変化していくもんだと思いますし、見つけていくものだとも思います。 先の回答でも「プライドの力点が違うだけだとは思います」と書いてるんですが、どこにプライドを懸けるかは本人次第ですよね。 でも、あるポイントに懸けているそのプライドが他者から見た場合、邪魔になる場合があるんでしょう。 そういう場合に、他者の「プライドなんかいらないんだよ!」という言葉を聞くことになるんじゃないでしょうか。 上司さんにとって「この仕事をするにあたって、そんなところにプライドを懸ける必要はない」と思えたんでしょう。 だからやっぱり、上司さんの発言の意は「考えるより先にとにかく働け」だと思います。 もちろん、学生時代のプライドは社会人になるに当たって邪魔なことがありますね。 この場合、自尊心というよりは虚栄心だったりするわけですが。 「プライドを捨てろ」というのは、そのあたりの自覚を促し、働くに当たって必要なポイントにプライドを移せというときの常套句ですね。 質問者さまにどういう事情がおありで、どういう心境であるのか、私にはわかりかねますが、仕事に情熱を失っている貴方に奮起をさせようとしての言葉だったのでしょう。 で、どうしても誇りをもてないとおっしゃるんなら、逃げても別にかまわないと思います。 こんなところで愚痴ってるよりよほど有意義ではないですか? もちろん、退職したあとは苦労があるのは目にみえてますけど、承知のうえでしたら、ご自分の人生です。 でも、それを「逃げ」と呼び、「逃げない」で踏みとどまっておられるのはプライドのひとつではないのですか?
- yosiigawa
- ベストアンサー率9% (44/485)
プライドとかけて古女房とトク(笑) こころは 時には邪魔にはなるが人生に大事なモノ(笑) おそらく上司は死ぬ気でやれと言っておられるのでは 自社にプライドを持たなければ仕事もやる気無くなるでしょうから 助言を聞かないのはプライドとは違いますよ 他人の助言を上手く利用すべきです 鵜呑みにするのとは違います
お礼
ありがとうございます でも本当に本当に大事なものですか? どん底に落ちた人間は持ってなきゃならん必須のものですか? わからないんですよね・・・。 逃げちゃったほうが有効なんじゃないかとも思いますが。
- dai-ym
- ベストアンサー率22% (848/3824)
プライドって言葉を誇りの意味で使うか、虚栄心や見栄の意味で使うかしだいでしょう。 誇りがなければ駄目ですが、虚栄心や見栄は無駄なものです。 誇りがあるから逃げ出さないで踏ん張ることも出来るし、他人の助言も聞けるし謙虚になれます。 虚栄心や見栄だと、失敗を恐れて安易に逃げ出したり、他人の助言を馬鹿にしたりして傲慢になります。 本当の誇りであるプライドを持っていれば問題なく、虚栄心や見栄のプライドはそぎ落としていけば良いと思いますよ。
お礼
ありがとうございます 本当の誇りって何でしょうかね? 見栄は本当のプライドじゃないとか、誇りは持ったほうがいいとか、プライドってものは本当に何が実体なのか、聞けば聞くほどわからなくなります。 自分はいま、男としてのプライド・人としてのプライドはずたぼろになっています。プライドを持っている高揚感などなにもありません。 閑職に回されたとき、上司は「誇りを持って前向きに仕事をしろ」とのたまわれました。何すか「誇り」って? 誇りなんて命令されて持つものじゃないと思うんですが。 こんな訳のわからんものいらねえよ。そう思ったりもします。 人相が変わってしまいそうな絶望感と何年も付き合って今の会社で這い上がるのがプライドなんですか?そのプライドは持っていて心地いいものなんですか? 自分にはわかりません。
- wobuzhidao
- ベストアンサー率26% (6/23)
プライドにもいろいろあると思います。 人としてのプライド、プロフェッショナルとしてのプライド、男としてのプライド・・・。 ただ、虚栄心≒プライドと考えている人も少なくないようです。 プライドが邪魔して素直に人の言うことを聞けない、というのであれば、そのプライドは不要かもしれません。なぜなら、他でもない貴方自身にとってマイナスだからです。 もっとも、上記のように色々なプライドがありますから、「他人に頭を下げて教えを請うために捨てなければならないプライド」と「プロとして仕事を完璧にこなそうとするプライド」というのは別です。 後者は自分に対して求めるものなので、謙虚さと相反するものではないでしょう。
お礼
ありがとうございます。 では、人としてのプライド・男としてのプライドがプロフェッショナルとしてのプライドによって害されそうになったらどうします? けっこう多いケースだと思うのですが。 たとえば、仕事で失敗して閑職にまわされてどん底だったら?人としてのプライド・男としてのプライドはずたずたですよね。 「プライド」を口にする人全てが意地でもって這い上がる道を選ぶものでしょうか? プロフェッショナルとしてのプライドを持っている人なら退職して逃げるようなことはしないはずですよね
- Acekiller
- ベストアンサー率35% (70/196)
プライドは必要だと思いますよ。プライド無くしたら終わりです。 上司さんが言うのはきっと「いま、この仕事に、お前のプライドは、必要ない」ってことですね。 プライドが傷ついて落ち込んだり、失敗してやる気が無くなったり、悔しくて反抗したり、そういうことをしてる暇があったら動け!ってことじゃないですか。 逆に言えば、「いまにみていろ」とがむしゃらに頑張ることにプライドを賭けろってことで、プライドの力点が違うだけだとは思いますけどね。 たぶん、若い人で「恥」をかくことを嫌う人が多いのを「そういうプライドは要らない」としてるんだと思います。
お礼
ありがとうございます。 >「いま、この仕事に、お前のプライドは、必要ない」 プライドが必要ない局面、ということですが、あの場面では必要ない、この場面でも必要ない、そんな風にしていったらじゃあどこで必要になるんだよ、ってことになりません? あと、この場面では必要ないけどこの場面では必要。それってプライドなの? 都合で使い分けるような便利なものではないような気がするんですよねえ・・・。
上司の方は、「がむしゃらにやれいっ!」と、おっしゃりたいのではないでしょうか? 何も出来んうちから「オレのプライドが・・」なんて簡単にぬかす若者を多く見てきた人なんではないでしょうか? 質問者さんがそうだといってるわけではありませんよ。お間違えなく。 プライドって「誇り」でしょうか。 自分の中で何か誇れるものってありますか? でも、それを口に出したとたん、 風船のように 軽く飛んでいってしまうものに変わっていく気がしませんか? もちろんそのようなものを心の中に持っている事は生きていく上で必要だと思います。 自分自身の「芯」にして、年追うごとに太くしていけばいいのではないかな~。 口に出さない方がカッコイイかも。 と、考えます。 なんか、えらそうしてごめんなさいっ(^^;)
お礼
>自分の中で何か誇れるものってありますか? それを身に着けるために働いてきたし、努力もしてきた。ベテランからすれば吹けば飛ぶようなものだとしても、それが「ない」としてしまったら、それは自分の今までを否定することになると思います。表に出す必要はないとしても、ね。 サービス業なもので無私を求められることって多いです。お客様に頭を下げる、果ては土下座をする。それをスムーズに行うことを妨げるプライドなんかはいらないんだ、という含みもあると思いますが、その調子でどんどん自分のプライドを殺していくと、うまくいえませんが必要なプライドまでいつしか殺してしまうような、そんな不安感があります。 自分の中で境界線を作る必要を感じていますが、どこで線引きをしたらよいものか、難しいなと感じている次第です。 ありがとうございます
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
「「有る」ということを意識し、外に見せる必要は無いもの」 というのが私の考え方ですね。
お礼
やっぱり「有る」べきですよね。 ありがとうございました
お礼
>そしてこういう他人に理解されることとか誉められることを前提としない、自分自身がわかっていれば良い大事な部分が誇りです。 ありがとうございます この部分はわかりました。でも後の部分は正直、哲学みたいに抽象的でよくわかりませんでした。できればご自分の経験を例にして話してくれるとわかりやすいです。 自分もこんな時にプライドが危うかったけどこういう風に考えて乗り切った、とか。 正論が正しいのは当たり前で、ある意味誰でも言えるじゃないですか。他人に言うだけでいいのなら私でも同じくらいのことは言えます。道徳の本に書いてあるようなことをそのまま語られてもどうも納得が・・・。すいません。